見出し画像

アルケミスト的に2023年を振り返ってみた。

さて。
2023年はどんな1年であったろうか。
今年を振り返ったりなんか、してみようか。


一言で言うと、
なんかやかんや激動の1年であった。
に尽きるかと。


ことの始まりは、2022年11月であるが、
そこをきっかけにまず、わたしの仕事が変わっていった。

いつかゆっくりとその話も書こうと思うけれど、
16人いらっしゃる日本の隠者のうちのお一人とご縁いただき、本来ならば、表に出てくることがないような魔法道具を手にして、そこからわたしは、世界でわたしにしかできない施術ができるようになってしまい、それをひたすらやることになった。

それがちょうど1年前の2022年12月のこと。


それから2023年に入って、兎にも角にも、なぜか、その施術ばかりをすることになり、その途中経過として、これまでわたしが行ってきたメニューを全くさせてもらえないという数ヶ月を過ごした。

それだけでも衝撃的だったのに、5月頃からは、手を使う施術をさせてもらえない。という衝撃的な数ヶ月を過ごすことになった。その間、手を使うセッションはほぼしなかったけれど、その代わりに、オンラインで多数の人たちとアロマを魔法道具として使っていく21日間のお祭を開催することとなり、思いの外、年内に4回開催する流れになり、そのアロマのお祭りは、年を跨いで、第4弾目の祭が続いている。


わたしは自然療法を扱うサロンを経営し、セラピストとして21年活動してきて、手をケガしたわけでも、病気でもないのに、手を使った仕事をさせてもらないという事態に陥ったのは始め手だったので、自分のアイデンティティが揺らぐわね。なんてことを思っていた。


ただ、そういう表層的な揺らぎのもっと奥の方では、然るべき変化・変容であり、これでいいのだという大層しっかりとした確信があって、自分の深いところでは、我が身に起こっている出来事や流れに対して、完全に降伏し、変化を受け入れる!という気持ちで変容の波に流されていくことにした。


最初は、1ヶ月くらいで落ち着くのかしら?と思っていたけど、2ヶ月経っても、3ヶ月経っても、いつも通り、これまで通りの働き方へは戻してもらえないので、諦めることにした。


リボーンである。と思うことにして、だったら、新しいこと、背中を押されていることをやるか〜と今までやりたくないと思っていたことをやることにした。


わたしは錬金術を学び、その智慧を伝授してもらい、それを伝えていく役割があると思っているのだけど、わたしが学んだ方法は実にトラディショナルで、師との問答の中で学んでいくというものであったので、オンラインで、一対多という形で、錬金術のさわりの一部だけでも伝えるというのはルール違反なのではないかと最初思っていた。


なので、自分が継承されたことをそのままオンラインではやるつもりは今後もないのだけど、そこへ繋がる道(path)を作っていくことはオンラインでもできるじゃないか、と考えを次第に改めていくようになった。


本格的な学びにいくための、楽しんで触れることができる部分をまず、自分が開示していく。そんな取り組みを始めることになった。


今思うと、手を使った仕事をしている限り、わたしはこの錬金術を教えていくための取り組みをやはり後回しにしていたと思うのだ。サロンでの日常という当たり前を壊して、新しい取り組みを組み込むには、サロンでの日常が充実しすぎていたので。
なので、強制終了的に、手を使ったセッションをさせてもらえない時期というのは、後から振り返ると、完璧な計画のもと、わたしの元にやってきた必然の出来事であったのだろうと思うのです。


でも、これは後から、完璧な宇宙の采配だった。と思うものであって、渦中hやはり手探り、これをやることは合っているけど、本当に、これでいいのか。できるのか。いや、やるんだよ。と自分の心を宥め、導き、動かしていくという智慧とアクションが必要だった。


自分にこの心を動かし、アクションへ導く智慧があったからこそ、今、ここにいることができているとも思う。


これまでのセッションメニューからアルカナというセッションしかさせてもらえないようになり、これは不思議で、お客様が自ら、アルカナを選択されたり、あぁ、そのご相談を受けてしまったら、もうわたしもアルカナをご提案するしかないのですよ。という流ればかりがやってきて、何かに操られてる?と思うほどだった。


ただ、お客様に一番必要なことを提供できるというのは、やはり、施術家冥利に尽きるもので、私も、お客様も共に、お手入れするべきものが変化し、魂の純化のプロセスのフェーズが変わっていて、今、この時代の流れの中でやるべきことなんだと認めていくことができた。

ちょっと前でも、ちょっと後でもない。その時必要だったら、それをひたすらさせていただくことになった。今ではそう思っている。


10月頃くらいから、手を使ったセッション、手を使わないセッション、これまでのメニューも全部が再解禁となって、11月から自分の中にフレキシブルさが戻ってきた。
あぁ、ひと安心。ひと段落ついて、自分はどれでも選んで提供していくことができる。そう自分の中も落ち着いた。1年越しの作業だった。


そうこうしているとプライベートでは、父が亡くなった。
もっと悲しむかと思っていたが、心の準備ができていたこと、満足する看取りができたことで、悲しみよりも圧倒的な感謝で自分が満ちて、光の体験として父を見送ることができた。これは大きなギフトだった。


始めて体験した身内の死は、10歳の頃、祖祖父が94歳で目の前で亡くなった時だけれど、その時は、後悔や悲しみや戸惑いでいっぱいになって、長く悲しみをひきづった。でも、父の旅立ちは、その体験とは真逆で愛に満ちていて、わたしはとてもたくさんの愛情を受け取って育ち、わたしはすでに愛を知っていたと思い出させてくれた。

また、死も1つの祝福なのだと、心底納得した。
錬金術では、この世を魂にとっての監獄と考え、あの世が本当の世界と考える。
あの世で評価を受けるために、この世に生まれてくるのだと。

人間界に生まれてくることは誕生で、当然祝福なんだけれど、錬金術的には、死は肉体という不自由な拘束技を脱ぐという祝福なのだ。
寿命という言葉に、寿という言葉が入っているのに、死は、悪でも、穢らわしいもので、悲しみそのものでもない。


父が亡くなる前の2日間は、特に、父の美しい魂の光を見たと思っていて、ただ病室で手に触れているだけの静かな時間を包んでいる光の美しさは、姪っ子がお腹から出てきて、オペ室の熱量がブワーっと明るく、一気に強くなった瞬間と似ていると思った。
もちろん、誕生のエネルギーの方が生命力の爆発力があって圧倒されるようなものがあったのだけど、死を迎えていく穏やかな時間も同じように生命の光がそこにはあった。

今思い出して、とても幸福な気持ちで満たされる。
悲しいよりも、満たされて、細胞が震えて涙が溢れる。そんな感じなのだ。
お通夜や告別式の時も、人間が仏(神)になっていくその経過をエネルギー的に感じたし、やっぱり悲しいよりも感謝しか出てこなかった。
棺を閉めるときも、「ありがとうございました」しか出てこなかった。


それは、病室で父の体に何の後悔も未練もないことがわかって、そして、わたしの中にも、父に対しての後悔や未練はなく、お互いに満足できる親子をやれたんじゃないかと。


その満足できる親子関係というのは、幼少期のことで、家の中がごたついてわたしが家を出てからはほとんど接点がなかったので、その短い期間ということになるのだけど、けれど、幼少期という短い期間の間に、一生分の愛を受け取っていたし、わたしも与えることができていたのだろうと思うのだ。だから、亡くなる前の日、わたしは父にこう語りかけた。「わたしはお父さんの子供で大満足です。(お父さんもそうでしょう?)」


死を通して受け取るものがあるのだとしたら、わたしは愛を知っている人間であり、自分が何で幸せを感じるのか。ということを思い出したことだと思う。
わたしの拗らせ愛の迷子期間は終わった。

仕事も、プライベートも、「これまで」を超えていく時期だった。
わたしの2023年はこんな感じ。


友人&知人との愉快な2023年ももちろんあるけれど、それは本当に笑い話しかないし、彼らの体験を通して、自分の世界観や自分の価値観なんかを改めて感じ取れたりした。周囲の人は、体験を通して、自分の中にあるものを見せてくれるとは本当にその通り!と思うことばかりで、みんなも、わたしも、人間らしくて可愛いやん。というところに帰結するので、まるッと100点なのです。


あと数時間で2023年が終わっていくけど、すぐに、2024年がやってくるので、変わり身はやく、2024年はあんなこといいな、こんなこといいな。って、いろんなイメージを広げていくんだろうと思う。


終えて、始めて。
ぐるっと一周する。
さぁ、終えて、始めよ。


この記事が参加している募集

今こんな気分

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?