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【トークイベント】雪柳あうこ×宮尾節子 詩誌La Vague vol.0 【第2回】「私たち」という「うねり」 ~「詩」への想いで連帯する~

この記事は、2023年5月14日(日)に行った、詩誌LaVague Vol.0の出版を記念して行ったトークの内容を収録しています。vol.0 ゲスト詩人の宮尾節子さんと主宰の雪柳あうこの対談です。
本トークイベントの記事は、数回にわけて連載していきます。本トークのマガジンをフォローしていただくと連続して読むことができます。

◆詩は「劣情」 ~安全な場所としての「女性詩誌」~

宮尾 (中略)詩っていうものはそもそも、劣情。うん。劣情だと思ってるし、文学自体もそういう。だってね、 推理小説だって、人が人殺したところから始まるわけでしょ。だから、文学は「言わんや悪人をや」の世界だと思ってるわけ。だからね、私は「文学の親の顔は怖いぞ」と思ってるから。正しさとか正義とか、そっちの方じゃなくて。でもやっぱり、嫌なものはぜったい嫌なんだと。
そういうのが、あの『女に聞け』(宮尾節子さん詩集)なの。『女に聞け』には憲法どうのこうの、9条とか書いてるでしょう。それで(私を)政治的な人だと思うのは勝手で別にいいんだけど。9条に触るなは、私の男に触るなっていうイメージもあって。父や夫や息子を持ってくなよっていうのがあるのを忘れないでってこと。(中略)

雪柳 詩は劣情であり、先におっしゃった”非日常語で解き放つ行為”でもあるという、なるほどその通りだなと。(中略)”女性”や”女性“詩誌って書いてますが、(普段私も)あんまり自分が何性だとかは思わず、ただ詩を書いているっていう気持ちでは書いているんです。けれど、やっぱり私たち日常を生きる中で、いろんな属性を持っていて。そういう中を生きざるを得ない時に、やっぱり噴出してくる、どうしても消化しきれないものがあって。そういったものを「正しさ」というか、表向きで語られる言葉だけでは十分に語り得ないものを、どうしても言葉の形で消化したいものっていうのがあって。
最近はSNSとかで本当にいろんな方が発信できるようになって、時代もどんどん変わってきてるなと思う一方で、やっぱり声なき声というか、なかなか拾われづらい声というか。そういったところを可視化できるようなものってないのかな、ありえないだろうかな、と。自分の中でも、やっぱり誰かに読まれたい、読まれたくて生まれた、だけれども、ちょっとこれを(そのまま)ネットに無防備に晒しておくにはどうだろうって思うような詩が自分の中でいくつかできてきたことが、新たな詩の器(=詩誌)を作れないかなって思ったきっかけでもあったんですね。 

宮尾 おっしゃる通りだと思います。本当に、詩なら書けるっていうのはあって。たまたま思ったことをつぶやきに書いちゃうと、いっぱい反応されて。いや、ちょっとどういうことかっていう感じで……違うんだよな、と。でも、詩ならOKっていうところがあって。詩なら、OK。安全な場所みたいな感じは確かにありますよね。

雪柳 安全な場所というか、安全な器というか。それと、先ほどおっしゃってたような”安心感”っていうのに、近いところだと思うんです。

宮尾 (安全といえば)思い出すのは、即興詩をやってる方がいて。ポエトリーリーディングでは、お客さんの中から、言われた言葉を全部取って詩を即興で作って、リーディングするんですよね。どんな言葉が来るかわかんないから、怖いじゃないですか。だから、随分勇気があるなと思って。 
怖くはないの?って聞いた時に、彼女が「はい、 怖くない」って言うんですよね。本当にどんな言葉が来るか。私は怖い。どんなことを言われるかわからない。ただ、「ここは舞台です。だから詩の場所。ここは私の守られた場所です。どんなことがあっても」と。やっぱり、安心な場所。だから、詩の場所っていうのは守られた場所なんだ っていうのを(その人の答えから)すごく感じて。
雪柳さんがVol.0の巻頭に書かれたことは、少し先ほど言われたことにつながると思うんですけど。どんな言葉を出しても、大丈夫。(ポエトリーリーディングの)その人の場合は、どんな言葉がやってきても大丈夫って答える。守られた場所、人にそういう場所をもたらす表現って、やっぱり素晴らしいなとその時思ったんですね。

◆「私たち」という「うねり」 ~「詩」への想いで連帯する~

雪柳 (中略)詩誌を作りたいなと思い始めたのは、第一詩集を出した後ぐらいです。これから自分の詩をどうしていこうかなって考える中で、詩誌というのも一つシェアの方法かなという風に考えていたんですけれども。
先ほど言ったように、ちょっと言いづらいとか。そういったものに安心感を持って、なかなか今聞こえてこない声も、そこなら安心して出せるというような場になれるものっていうのを作れないだろうかなって思いながら、 身近な方の(詩誌を作ってみたいなという)つぶやきにちょっと反応してみたりして。そしたら、話が具体化していって。……っていうのを、こう繰り返しながらですね、今の形になっていったんですね。
ただ、実は、今の形になるまでは結構(時間がかかって)。本当に一年ぐらい前に構想し始めたんです。けれども、メンバーは比較的早く揃ってきたんですが、実際集まって話し合いを始めたら、対立というわけではないんですけど、”議論”がですね、たくさん生まれたんです。「なぜ今、女性で?」とか、どういう私たちが集まってどんな声をどう具現化していきたいとか。それぞれの主張や考え方が、本当に違うねっていうこと。zoomでメンバーとお話をさせていただいて、そこのすり合わせから始まったんですね。そこに時間を(かけました)、きっと他の詩誌よりも。一つしか作ったことがないからわからないんですが。でも他の詩誌よりはそこに時間をかけたんじゃないかなと、私は思っているところなんです。

宮尾  一年ってやっぱりすごいですね。でも、やっぱり、時間をかけただけのことはあると思うんですよ。詩人同士だけでも大変なのに(笑)、さらに女性同士。色々大変だと思います、まとめていくってことは。でもそれぞれの個性があって、それぞれの詩の形ができあがるわけで。
(中略)お話聞いて思い出したのは、息子が小学校の時に、保護者会があって親が集まる。そうすると、お母さんたち、やっぱり色々癖があるお母さんがいるじゃないですか、みんな言いたいこと言い合ってまとまらない。
私、役員をしたんですよ。後でやるの嫌だから、最初にやってやろうと思って。そしたら、(みんな)まあ言うわ、言うわの姦しさに呆れたけれど。 はっと気が付いたんですよね。子どもを思う気持ちは一つだと。みんなやっぱり一番自分の子どもは大事な気持ちは濁りがないんだと。自分の子どもは大切に思っている。その一つにつながればいいんじゃないかと思った時、なんか、ふっとみんなの気持ちがまとまる一つが見えてきたんですよね。
多分、それと似て、この詩誌でもみんなそれぞれ違うし、詩への思いも違うし、言葉も違うけれど。詩を好きな気持ちとか、詩を大切にする気持ちの、本当がある。そこでつながれば、 きっとうまくいくって、やっぱり思うの。子を思う母親の気持ちに似たまっすぐな気持ち。でも、大好きだよね。自分の子どもは、大好きだよね。そこはみんな「うん」なんですよね。みんな違うけど大好きだよね、自分の詩って。そこで繋がるとね。
ぶっちゃけ好きだよね自分の子、自分の子可愛いよねっていうところで。そしたらなんか、親同士も割とうまくいった感じがあって。それを思い出しました。


※宮尾節子さんをゲストにお招きした詩誌ラヴァーグ準備号はこちらから購入できます。


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