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バーニー・サンダースが世界最強の労組組織内議員になる日

 バーニー・サンダースは1941年生まれの81歳。アメリカでは急進左派の代表ですが、その政治姿勢は各国の急進左派とはある意味一線を画しています。今後組織人員もその影響力も最大となる国際産別であるUNI Global Unionの第6回世界大会で登壇し個人的に結構好きな名演説をかましてくれました。バーニーは社会主義者であっても別に労組とはここまで二人三脚ではありませんでした。反逆者左翼のカリスマは世界各国にいますが、それと協調もしつつある程度中間を維持しつつ。日本には極めて希少なタイプの政治家です。旧社会党ですら社会主義者であることを忘れた人が多い中社会主義者がそれこそ社会的に弾圧された人間が今まさか最強の組織内議員になろうとしています。

バーニー前日譚

  世界史の難しい部分ですがロシアも中国も労働者主体の社会主義革命ではなく農民主体の社会主義革命でした。上層部は労働者も農民も関係ないかなりのインテリばかりですが工業国であり、マルクスの故郷ドイツで社会主義化を完全に達成できない事実を見ると労働者主体の革命ってほとんどないのでは?と思います。そう考えると社会主義者と労働組合は案外近親であって疎遠だったのかもしれません。
 バーニー・サンダースもキブツなど協同組合に参加していましたが数々の職歴で労働組合の役員どころか組合員になったことも無さそうな経歴です。ただ労働者経験は私よりはるかに豊富でしょうね。教師から看護助手、大工まで経験したのだから彼の勤労精神は本物です。バーモント州で政治活動を始めた頃は極貧生活。もう政治から身を引くつもりだったバーニーがバーリントン市長になったのは39歳。実に10年で初めて公職に就き当時かなり先進的だった政策を打ち出します。まだ1980年の頃。サッチャー、レーガン、中曽根康弘らネオリベ旋風が吹き荒れ日本では国鉄労働組合が消滅した時代でした。そんな時代に累進課税の強化やエコロジーエネルギーの活用、ひいてはLGBTの権利擁護です。社会主義者でありましたが自由主義者でもありました。

バーニーが国政に進出した日

  ネオリベ旋風だった頃各国労働組合もすっかり資本主義にどっぷりと浸かり、何なら小さな政府も悪くなくない?税金だって民間企業のサービスだってよくなるならそれでいいぐらいの感覚でした。連帯なんて口だけだったし自分の今現在の地位と将来起業年金もらってそれっぽいことを言えばという人もいたんでしょうね。私も労組の1人ですが何故か団塊の世代より少し下の世代ってあんまり顔を出さないんですよね。このままいけばバブル世代の人間も怪しい。だってネオリベ旋風で労働者すら恩恵を得た時代です。私も多少小泉旋風で若い頃助かった世代です。人生は長いですね。
 バーニーは90年に連邦下院議員になりました。当時6人しかいない急進左派グループ。2006年に連邦上院議員になったバーニーはブッシュ政権と対峙。フィリバスターでなんと8時間もネオリベ批判を行いました。フィリバスターとは演説一本で審議を遅らせる議会戦略です。普通は意味のない無意味なパフォーマンスですが、そこで何時間にも及ぶ演説をぶったまげたのです。山本太郎も是非ちゃんと真っ当な演説をしてほしいですね。人間の弱い部分を煽るような演説ではなくね。日本の民主党出身政治家もですよ。自民党もです。

現実路線しかない。でも本音、理想は?

 バランス感覚というものは大事です。特に政権与党になればあまり無茶も言えません。現実社会で理想を目指す。これも理解できますね。私はある自民党元国会議員とメル友でした。彼は野党の自民党を知っているので、色々と野党時代だったことも聞いてしまうんですよ。だから私はずっと自民党をいつかは野党にしなければこの国はよくならないと思ってます。保守が野党になった時、革新派はその重みを知るんですから。
 話が逸れました。バーニー・サンダース議員の評価は左派でも割れています。若者世代希望の星でもあったがちらほらと女性蔑視だった声も。多分どちらもバーニーなんでしょうね。家庭的で男性的で案外家庭では保守でそれでも社会主義者であったバーニー・サンダースが真の姿なんでしょう。実際バーニーはキューバもベネズエラも親和的なのでしょう。私の倍の年齢でラテン社会主義に惹かれない理由はないです。私も社会主義は理想では?とかなり一時期入れ込みました。社会主義者をやり続けるのも難しいんですよ。
 ちょっと前に左派だったはずの同志に「この国に真の日本人がなくなってしまう。外国の血ばかり混じった日本人なんて日本人とは言えないだろう」という言葉を下手すりゃ週一で聞いています。嫌になりますね。それで彼女は護憲派です。私は護憲派ではないですがそもそも守りたかったのは憲法なのか、日本人だろうが外国人だろうが安心して暮らせるコミュニティNIPPONだったはずなのにいつのまにか私1人が跳ねっ返りのよう。ムーミン谷を創設する労組組合員になることが私の理想なんですよ。それがうまくいかず一時撤退ばかりです。嫌になりますがちょっと主張しますね。

バーニーを超えたい40歳労働組合屋

 バーニーは偉大ですね。
「あらゆる新しいテクノロジーが世に出て、あらゆる富が存在する中で、私たちは多くのものを持っている人が非常に少なく、ほとんど持っていない人がいるという現実を変えなければなりません。 そしてその変化をもたらすのは労働組合運動だ。」
 こんなことを言えちゃう労働組合員いますか?でも彼は超えるべき左派の左派の指標です。私は労組専従になって10年ほど。でも彼の本気の演説で悩んじゃう人間ですね。だから急進左派ほど常に忍耐と努力が必要。オカシオコルテスが阿部知子みたいに何やら国籍法という大部分が知らない法律で党首を下ろすのも見たくないのですよ。阿部知子がちゃんと急進左派をやれる政党になってほしいですね。彼女は実際中間左派でいざとなれば・・。私は中道かもしれないですが、急進左派だろうが極右だろうが大いに議論で朝帰りしましょうね。体力言い訳にするポピュリストみっともないですね。右翼でもちゃんと左翼の意見は朝まで議論です。本物の右派はメンタルも体力も強靭だったから学歴なし労組運動も30歳近くなってようやく覚えた事も粘った結果色々と分かるありました。
 面白いですね。TwitterもSNSも。本音と一本勝負。正直インターネットはまだしもSNSは分からない。分からないからもしよろしければlaborko union でお話しましょう。FacebookでもというよりTwitterのダイレクトメールでもいいですよ。私は何もやり方知らないんですから。


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