共済から始める社会主義
日本の共済制度の元祖と言われるのは島根県石見銀山の「友子制度」と言われています。銀山の鉱夫たちは有力大名や幕府から徒党を組むことは禁止されていましたが、親方層を中心に同業者組合を結成し、労働力育成や人材異動や派遣、供給の調整などを行なっていました。怪我で働けなくなった鉱夫にも米や味噌が支給され、その子どもにも養育米が与えられました。戦国時代や江戸時代のお話で、封建体制の時代の方が産業革命下の日本より相互扶助の関係ができていたというのも何だか皮肉な話です。そうした運動が資本主