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使いかけ干し野菜

去年の4月に下の子が家を出ていって夫婦二人暮らしになった。
四人暮らしの時には野菜も肉も「1パック単位」で使っていたし、三人暮らしになってからも野菜は「一本単位」で使っていた。
ところが二人暮らしになると「にんじん半分」とか「玉ねぎ四分の一」とかが残る。さらにうちは二人とも料理をするので、「にんじんを半分使った後、残りを冷蔵庫に保存しようと冷蔵庫を開けると、そこに夫が使った残りのにんじん三分の一がコロンとある」ということが頻々に起こる。もちろん在庫を確かめてから料理を始めればいいじゃないかと考えたことはあったが、「〜すればいいじゃないか」が簡単にできれば苦労もないし工夫もいらないのである。

そんなわけで、残ったピーマンが悲しい姿になって冷蔵庫にへばりついていたり、キノコが袋に入ったままドロドロになっていたりという事件を経て、二人暮らしになってからそろそろ1年になるにあたり、残り野菜の処理方法が確立され、それが素晴らしいと確信しているので言いふらすことにする。

残ったものは刻んで干す

それが「干す」という作業である。

野菜カゴの横、電鍋の上が定位置

ハンパになった野菜を刻んでザルの上に放置しておくと、その上で勝手に干し野菜になっていってくれる。

キャベツ・にんじん・大根の皮・玉ねぎ・ナス
(ゴロンと乗ってる玉ねぎは刻む前のもの)

刻むのは、こういうことに夢中になっている私である。夫は特にこういうことに喜びを見出すタチではないので、使いかけ野菜は今までどおり冷蔵庫だったり野菜かごの中にそのままゴロンと入っているが、それを見つけたら私が嬉々として刻んで干しておく。大根の皮は「厚めにむいてザルの上に放置して」と頼んだら、彼なりの厚め(私からしたら全く厚くない)にむいてザルの上に置いておいてくれるようになった。

干された野菜はそのまま使う(保存したりしない)

で、干された野菜は、瓶に入れたり冷蔵庫に入れたりして保存したりはしない。ザルからそのまま使う。スープにすると絶品である。
小さい鍋で水を温めながら、ザルからポイポイと放り込んでいく。大根の皮なんかはキッチンバサミでちょきちょき切って入れる。沸騰してコンソメなり、トマト缶の残りなり、味噌なりを入れれば干し野菜スープができる。

いいところ1、うまい

干した野菜というのはなんでこんなにうまいのか。
特に「皮(大根の皮・にんじんの皮)」は、生で使うと「おっ、皮まで使ったんだね」という「がんばりました感」が出るが、干した皮はコリコリした食感が普通に美味しい。私がむいた肉厚の干し大根は勿論だが、夫がむいた「皮だけ」の干し大根でさえ、美味になる(だから最近は「別に厚くむかなくてもいいのでは?」と考えている)。

いいところ2、使うのに1アクション

私はわざわざ乾物野菜を自転車で1時間かけて買いに行くほどの乾物ラバーなので、干し椎茸や干しタマネギなど(買ったやつ)は瓶で常備されている。
が!しかし!
この使いかけ干し野菜の素晴らしいところは「瓶の蓋さえ開けなくてよい」というところにある。
買った乾物を使うには、1瓶を棚から下ろし、2瓶の蓋を開け、3内容物を取り出し、4瓶の蓋を閉め、5瓶を棚に戻す、という5アクションを取るのに対し、使いかけ干し野菜は、ザルから直接鍋に投入の1アクションである。
これは、本当に素晴らしい。私は飯田久恵さんの「収納指数」という考え方を信奉しているが、これはザルの置き場も「コンロから一歩」の場所にあるため、パーフェクトと言える。

いいところ3、ゴミが減る

うちの場合、生ゴミはミミズコンポストのミミちゃんのご飯になるのだが、ミミちゃんは大根の皮のむいたもの(大きいごはん)が得意ではなく、結構長い時間かけないと無くならない。皮を細かく刻んだりしてたこともあるが、その手間はかなり余裕のある日々を過ごしていないとかけられない。
それが、大根の皮やにんじんの皮を「人間が干して食べる」ことで一挙解決となった。

悪いところは今のところ見つからないが、雨つづき、湿気った梅雨などの間はうまく行くのかはまだ分からない。

写真に写っているナスは、写真を撮ろうと野菜カゴを整理してたら三分の一使いかけが出てきたので干しておいたものだが、ナスを干すのははじめてである。アクはどうするのか?とチラリと考えたが、アク抜きなんかをしてたらそのまま忘れること間違いなしなのでえいやと切ってしまった。どうなりますか。

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