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【アートのミカタ】ジョルジュ・ルオーGeorges Rouault

【人物像】20世紀最大の宗教画家

宗教画家と聞くと、無宗教の多い日本ではあまりメジャーな画家ではないかもしれません。
実際、「日本人が好きな画家ベスト5*」では、ルオーとは相反して印象派の名前が多く挙げられていました。

ルオーとは、そんな日本人が好きな印象派と同時期・同地域で活躍したアングラ画家だと思ってください。

キリストを正面から描いた代表作「聖顔」は数十点も残され、また銅版の連作「ミセレーレ」は圧巻です。

19世紀末20世紀初頭は、何と言っても大印象派ブームでした。
それまで(ルネサンス期など)は画家には主に宗教画(文字が読めない人も聖書を理解するための絵)と宮廷画家(金持ちが自分の肖像画を依頼し、威厳を保つ絵)が求められていました。が、印象派の時代には写真技術や娯楽の一般化が進み、画家のイメージがガラリと変わったとも言えるのではないでしょうか。
宗教が昔の思想とへと変わっていき、カジノやサーカスが街並みを彩る時代。

そんな時代に逆らいながらも、ただひたすらに宗教と対面し、文字通り命を削って作られたかのようなルオーの作品を、今回はお話していこうと思います。

なぜ、キリストの正面画ばかりを描いたのか。何を伝えたかったのか。紐解いていこうと思います。

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聖顔 1933
なぜ今、美的センスを磨くのか。どうやら世界では、サイエンス重視の意思決定では不十分だと感じ美意識を鍛える人達がいるそうです。このブログは、歴史上の偉大な画家たちをテーマに、少しでも多くの人にアート思考を築くきっかけにならないかと書いています。
まずはそれぞれの画家の特徴を左脳で理解し「頭ではわかった」状態にさせることがこのブログの目標です。あなたがその後、展示等でその画家に改めて触れた時、あなたの美的感覚が研ぎ澄まされるように。その下準備として御活用下さい。あなたの味方となり、見方を変える彼らの創造性を共有します。


目次
【人物像】20世紀最大の宗教画家
【時代】宗教オワコン?世代
【核心】「製作とは祈り」キリストに祈る奇跡が残る作品


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キリストとの親しき集い.1952


【時代】宗教衰退?世代

ルオーが師として仰いだギュスターブ・モローの突然の死後、ルオーは衝撃の事実に直面しました。
これまで自分が信じてきた「キリスト」の存在が、彼の生きた時代には既に過去の思想だと捉えられていたようです。人々は快楽や娯楽に魅力され、政治や教育から宗教を遠ざける動きにありました。
時代は19世紀末のフランス。
モネ、ドガ、ルノワール、ピサロ…。印象派時代の到来です。

元々はステンドグラス職人見習いとして、仕事柄 教会に立ち入ることも多かったでしょう。どちらが先かはわかりませんが、彼がキリストの信者だったことが頷ける経歴です。19世紀中期は、まだ時代としては信仰心も熱く、宗教画が盛んに描かれます。
その後パリの国立美術学校に入学し、最大の師となるギュスターブ・モローと出会うことになります。
印象派が囁かれる中、モローはルオーの信仰心や絵の技術を潰すことなく受け入れていたようです。ルオーはモローの下で熱心に絵の技術を習得しました。

そんな折の死別でした。

目指すものを失ったルオーが、立ち止まって周囲を見回すと、既にキリストの信仰心が世間から薄れていることに気がつきます。学校を中退、絵も描けない時期が長く続きます。
「果たして、自分は宗教的な画題を描き続けていいのだろうか」そんな葛藤がルオーの中で渦巻いていたようです。


【核心】「製作とは祈り」キリストに祈る奇跡が残る作品

自分にとって信仰とは、キリストとな何か。
ルオーは葛藤の末、作家のジョリス=カルル・ユイスマンスとの出会いもあり、その結論に至ります。

「神への祈りとして絵を描く」方法です。
連作「ミセレーレ」は、彼が祈る目的で作成したのだと思わせてくれる作品の一つです。

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銅版画とは、金属の表面を引っ掻いて、そこにできた凹みにインクを含み紙に転写する凹版印刷の一種です。
そのため銅版画といえば一般に、線としての存在が強く残ったり、ヘラ状に彫刻したような跡が残ります。

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連作「ミセレーレ」no,13「でも愛することができたなら、なんと楽しいことだろう」1923

それを踏まえてのルオーの作品をみると、その圧倒的な手数に驚きます。
まるで筆で書いたようなニュアンスは、よくみると全て、細かい引っ掻き傷です。これはルオーが絵画を「作品」として捉えている以上に、「祈りの軌跡」であることがわかります。

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さらに数多く残されているのが、神の顔を人の顔に模倣して描かれた「聖顔」の数々です。

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これはイエスを埋葬した痕跡とも言われる場所から発見された布です。
長年折りたたまれた布を広げると、顔のような模様が整列しているようにも捉えられます。この聖顔布に衝撃を受けたルオーが、その後祈るようにキリストの顔を書き続けたと言われています。

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サラ 1956.

また、晩年描かれたとされる旧約聖書の登場人物「サラ」には、長い年月と祈る思いがインパスト(もりもり絵の具を塗り重ねる技法)として現れています。
そのため輪郭が盛り上がり、まるでステンドグラスのように光はなった作品へと仕上がりました。
ステンドグラス職人として働いていたルオーが、信仰心の原点に立ち返ったもののように感じます。

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長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださってありがとうございます。
まだまだ書ききれないことが沢山ありますが、今回はここで終わります。画家一人一人に焦点を当てると様々なことが見えてきます。環境や時代の中で見つけた生き方や姿勢を、命をかけて提示してくれているんです。現代の私たちにヒントを与えてくれる画家も多くいます。それをぜひ、少しでも多くの人に知ってもらいたいです。

いつもたくさんのご支援・ご声援、ありがとうございます。