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あっという間の一年

去年の今頃、翌日にまさか1年以上闘病生活を送ることになるとは思っていなかった…
ちょっと振り返ってみようかな…すみません、長いです(笑)

あの日浴室でふにゃりと転んで一日近く起き上がれず、ほぼ裸の状態で転んだままだった。
出勤する時間になってもそのままでどうすることも出来ず気持ちだけが焦ってた。どうする?這っていくことも出来ず悩んでた←この時点で自分が重病であることは勿論低体温症になってることすら気付いてなくて、起き上がりさえすれば大丈夫!な位に思ってた。
勤務時間が近づくとジャンジャン電話がなりだした。
いつも始業の3〜40分前には出勤していたから心配の電話に違いない。
実際そうだった…携帯の番号、ライン電話、メッセージ、ありとあらゆる着信音がその後1時間近く鳴り響いてた。
でも出られない…もどかしいけれど仕方ない。
そうこうしていたら、お昼過ぎに(お昼前かな?記憶が曖昧)妹の旦那さんがお昼休憩に帰ってきて私宛に届いた荷物を持ってきたので、そのチャンスを逃さず大声で叫んでみた(大声が出てたかどうかも定かではないが)!
すぐさま浴室まで来てくれた。裸だろうがなんだろうが、この際気にしている場合ではない…とにかく起こしてもらわなければ!抱き起こしてもらおうとしたけれど、如何せん妹の旦那さんは腰をやってて起こしきれなかった…けど、そのタイミングで職場の上司と仲良しの先輩が来てくれた。これまで無断欠勤も無断遅刻も一回もしたことないので、何かあったに違いないと思い心配して駆け付けてくれたのだ!
外で妹の旦那さんと3人で何やら話した結果、救急車を呼ぶことにしたらしく、先輩が伝えに来てくれた。
『もう何も心配しなくていいからなぁ!』と。
その時初めて涙がこぼれた…それまで、何となく申し訳なさでいっぱいいっぱいで周りに謝ってばっかりしてた。
それから数分後、人生初の救急車。
乗ってスグに熱を計測したり、血圧を測ったりされていて、意識があったからか救急隊員の方に『熱34.◯◯(←詳細は記憶に残ってない)しかないですよ…後、1〜2時間遅れてたらヤバかったですよ』と言われて、そっかあのままだったら死んでたかもしれないのか…と、ここで初めてビビりました←鈍感すぎ?死ぬなんて考えもしなかったのに(この後もっとビビる羽目になるんだけど💦)。
ところで、救急車の乗り心地の悪いこと悪いこと…打撲してるのか、車が揺れてストレッチャーが揺れる度にどこかしらが当たって痛い。
もっとゆっくり走ってよ〜なんて思ったりして(救急だから仕方ないのに)る間に、今入院しているこの病院へ搬送された。あれこれ検査や治療(というより手当)されている間に連絡を受けた妹も来てくれて、先生からの話を一緒に聞いてもらった。
2〜3日入院と当初言われていて、会社に連絡してシフト変えてもらわなきゃ!と思っていたのだけど、救急の担当先生が血液検査の結果を説明している時に白血球の数値が高すぎることに注目されて、改めて再度採血して検査することに…結果が出る頃には既に夕方。
待ってる間に妹に携帯とか靴(裸足だったので)とかを取りに行ってもらったりしてたけど長い長い…。
再度呼ばれた時には外科の先生も同席されいて、何事?な空気感。
やはり白血球の数値の話から始まった。
確か正常値の100倍以上の数値で詳しくない私も、え?と思うようなほどの異常値。
そこでの先生の話は『大腸ガン(S字結腸)のステージ4です、肝臓にも転移してます』でした(色々聞きましたが、何だかボンヤリとしか覚えていません…それに肝臓がんが大腸に転移していたと聞き間違ってもいた💦)。
そこからの展開はあれよあれよという間に決まっていって、まるでベルトコンベアーに乗せられているような感じ。
2〜3日の入院から退院未定に…。
ひとまず、関係各所に連絡し状態を報告。
その時点でまだ手術の日程等は決まっていなかったけど、翌日から精密検査してから決まる旨報告。
みんなに報告し終える頃には、身体は痛いが気持ち的に開き直ってきていた。抗ってもどうしようもないことには抗わない主義。
なるようになるとホントに心から思っていた。
その夜…というか朝方に眠れずにいたら、何かを察したのかスタエフの友達のBちゃんからラインが…。入院することを伝えていたんだけど、詳細を確認したいとのことだった。
そこから、あれこれ具体的な話を聞いてもらった。
いつも心配かけてたけど、この時最大級に心配をかけたね…。
感謝しかないよ〜〜〜〜〜(涙)

そんなこんなで入院した日の夜は結局一睡も出来ず、朝を迎えた。
ホッとしたら体中が痛くてどうしようもなかったのもある。
そして、この時まさか1年後もこの病院にいるとは全然思ってなかった。

実はこの日から最初の手術までの1週間くらいの記憶がほとんどない。
その前日から水分以外摂ってなかったのに手術までまさかの絶食!
この絶食期間、人生で一番ひもじい思いをしました(笑)

そして殆ど手ぶら状態で入院したのを気遣ってくれた前出のBちゃんが
日用品とか凄い量を差し入れてくれた。
しかもティッシュの箱にまで名前を書いて…涙が出るほど嬉しかった。
この時から今までにないくらい人の優しさに接することになったんだけど
Bちゃんをはじめスタエフ友達数人と、限られたリア友数人、本当に本当にお世話かけちゃいました…。
そして迎えた手術の日。
みんなが心配してくれてたのだけど…
私は。
絶望していた訳じゃないけど、手術して目が覚めなくても
仕方ないと思っていた。
それほど大きな手術だったし、時間も長い。
これまでの人生を振り返る時間もたっぷりあったので、
ええ人生だったと思えたし、悔いもない。やりたいことやってきたしね。
そんな私に手術前の数日間、🍑さんからあれやこれやと叱咤激励のメッセージが…。
ここで書いたことはなかったんだけど、実は手術が終わって麻酔から覚めるか覚めないかという時、夢うつつ状態の中🍑さんが
『🐬〜!!!早く起きな〜!!!おーい!』と呼びに来た夢を見ていて
ほぼ同時に看護師さんの『◯◯さん!!!手術終わりましたよ〜!』
と呼びかけられて目覚めので、どっちがどっち?な感じだった。
で、手術翌日ICUから出て🍑さんへ無事に終わったと連絡したら、
何と!昨日15時頃終わったとメッセージもらったよと…
終わった時間伝えてなかったんだけど、その通り15時頃終わったてた!
めちゃびっくり!!!付き添ってくれてたのか?と思うほど。
念ずれば通じる…ありがとう、通じたよ。

そんな訳で私の長い長い闘病生活が始まった。
以降の話はここで呟いてきたので振り返り終了…唐突に終わる(笑)

ここまで長文のうえ駄文を読んで頂きありがとうございました。
これからも引き続き叱咤激励よろしくお願いします。

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