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人を愛するということは、私を愛する旅だった。

実のところ、最近心が強くなった。
彼と別れて以来、この1年間は途切れ途切れに
さまざまな出会いと別れを繰り返していた。

この人なら愛せそうと思うとうまくいかなかったり。
この人は愛せないと思う人から熱烈に愛されたり。
なかなか、うまくいかないものだなぁと思うけれど。

|離婚して決めた、人を愛するという覚悟

離婚を決めたのは私が夫を愛しきれなかったから。
無条件で夫を愛せなかった。夫を尊敬していなかった。

私の最大の過ちは“夫が私を愛してくれるから”という条件で結婚をしたこと。
だから、次に結婚をすることがあるなら心から愛せる人がいいと誓った。
例え、その人に裏切られても好きでい続けられるくらい愛したいと。

確かに出会えた。
その後、2年近く私を悩ませた彼は私の中で最も愛した人だった。
欠点も長所も目に入れても痛くないほど可愛いと思えた。
でも、今思えば本当は我慢していたんだ。

無条件に愛していたように思えて
自己犠牲が優っていた。

いつだか彼の暴言に「許すよ」と本人に伝えたことがあったけど
そう言ったときの私の心はグッと胸がつかえるような
キリキリするような体感があった。

離れるのが嫌でその違和感を無視したけれど。
あの時、無視すべきではなかったのだ。

無条件に人を愛するというのは
自己犠牲を伴うものなのだろうか。

否。

当時の私がそう意図していたから
そういう恋愛になってしまっただけで
本当に無条件に人を愛するというのは
もっと違うものだったと彼と別れてから気づいた。

無条件に人を愛するというのは
まず、無条件に私が私を愛する
ということなのだ。

|失恋から学んだのは私を愛する気持ち

強く傷ついたけれど、その痛みは私に
私を愛するという学びを与えてくれた。

皮肉にも彼と一緒にいる時間で学んだのではない。
彼と会えない時間で私の心が私をそう育てた。
こんな結果は正直、望んでいなかったけれど。
それでも私はかけがえのない答えに辿り着いたのだ。

人を愛するというのは、
私を愛するということ。

私が満たされていなければ
人を赦すことができない。

表面上で赦すことはできても
自分の心の奥底では満たされていないから
その隠した本音は後々になって疼いて
結果として拗らせて、人間関係や恋愛のトラブルとなって表面化してくる。

フェイクで人に優しくしても
私の本心が納得いかないのならそれはうまくいかない。
それを知った。

だから人を愛したければ
私は、私の心に嘘をつかないと約束をしなければいけない。
もう二度と自分の気持ちを無視しないと。

誰よりも私が私を愛するという
そういう覚悟ができて、それが体現できて
初めて他の誰かを愛せるようになるのではないだろうか。

|何をされても私が私を愛していれば、私の価値は変わらない


今年の夏に素敵な人に出会ったのだが、ここ一週間未読スルーが続いていた。
音信不通というのは本当によくあることで、彼だけではなかった。
無論、それまでに出会った男たちの何人かも音信不通になっていた。

これまでの私なら音信不通に対して酷く傷ついていた。
元カレの時のように打ちひしがれていたと思う。
また、裏切られたと。私は愛される価値がない、と。

あまりにも慣れすぎたせいもあるかもしれないが
今は音信不通など大したことないと心底思えるようになった。
そうなってしまう瞬間は、ちょっと寂しいと思うこともあるが。

つまるところ、相手は私と同じ熱量で信頼関係を築き上げたいと思わなかっただけの話だ。それは逆も然り、私と深い信頼関係を結びたいと思う相手に私のほうから「あなたを受け入れられない」と言ったこともある。

仕方のないことで、今はご縁がなかった。
ただそれだけのこと。それと、私や相手の価値は何も関係ないし何も変わらない。

今までは「連絡がない=連絡する価値が私にはない」と結びつけていた。
これはまさに自分いじめである。自己肯定感を自ら下げる行為なので
私と同じようなことを考えていた方は今すぐその考えを捨てたほうが良さそうだ。

|私を生きると決めれば、愛に溢れた人生に


私の本心と向き合うと、私の考えと合わない人が出てくる。
とくに今まで自分の本心を無視してきた人は人間関係の大精算と言わんばかりに
いろんな人が離れていくと思う。

でも、それでいい。それがいいんだ。
私は私として生きると決めたから私の本心に従って生きる。
すると、その本当の私にピッタリ馴染む人に必ず出会える。

すると、当然ながら人間関係に悩むことな少なくなる。
いつか同じ波長の素晴らしいパートナーに出会える。

私の場合、今は私を愛するトレーニング中なので
時折ズレを見直すかのように離れていく人が出てくる。

でも、それは私にとって成功の道の過程。
離れる人がいるというのは、自分に合う人に出会うように
現実が修正に入っているから、実は悲しいことではなく
とても素晴らしいことなのだ。

一週間未読スルーをされた彼もとても素敵な人だった。
今日までありがとう。またご縁があったらよろしく!

本当に自然とそんな気持ちになって
怒りが湧くこともなく、相手を応援できる。
もちろん偽善からではなく、心から愛を送れる。

そう思える自分がまた誇らしく、愛しく思えて。
また、私は私を好きになる。

|一番愛すべき人は、私

今までは私を愛するということがちょっとわからなかった。
いや、必要だとは理解していたが体感として腑に落ちなかった。
だが、今なら少しわかるような気がする。

何があってもどんな私でも、私は私を否定しない。
エゴの塊で醜い私すらも愛しく可愛く思う。
私に優しい世界を私が作ってあげる。

すると、私の中から怒りが湧いて来なくなる。
なぜか常に満たされ、余裕があり、底なしの優しさがあり
人に何かを与えて見返りがこなくても気にもとめない。


そんな人があなたの身近にいたらどう思うか。
当然だが、居心地が良くずっと一緒にいたいと思うだろう。
そして、同じような人や、私もそうなりたいと思う人がたくさん周りに集まってくる。

どんなにいがみあう世界が世の中にあったとしても
あなたの世界は思いやりや愛に溢れた世界となる。

愛されたい。
それは、あなたがあなたを愛したいという
心のサインである。

カラカラになった愛の器を
丁寧に自分自身の手で満たしてみてほしい。

そのトレーニングはもしかすると時に
深い自分の心の闇を見つめなくてはいけないかもしれない。
怖いかもしれない、苦しいかもしれない。孤独かもしれない。
一度地に落ちたと思うほどの絶望を伴うかもしれない。

でも、一度でもそういう経験をしたことがあるなら
フェイクではなく本当の意味で無条件の愛を知ることができる。
その絶望を抜けた先は、穏やかで幸せで、ちょっとやそっとでは揺らがない
芯の強い自分が微笑んで待っているのだ。

離婚して、失恋して、音信不通にあって。
家族や友達と離れたその全ての経験は
私を愛するという素晴らしい価値を私に与えてくれた。

もちろん、人間だから揺らぐ時もあるけれど
前よりも確かに強くなった。




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