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過去の私が、現在の私を救う

職業、ライター。
日常で日々、物書きをしている。
noteに綴る事柄は仕事ではない。

いくら書いたって金になりゃしない。
(有料記事は書かない。金にもしない)
見る人によっちゃ意味のないことだろう。
何のために書いているかなんて私にもわかりゃしない。

けど、何となく書きたくなるんだ。
そのとき私の中にふっと湧いた、その感情を。
心の温度を。目には見えない内側を。
琴線に触れるような感覚で文字を打つ。

過去に書いた記事をたまに読み返すと
いっそ消してしまいたくなるくらい
恥ずかしい記事もあったりして。

共感性羞恥を呼び起こすようなものもあったりして。

だけど、たまに過去に書いた私の記事を読んで
私の今が救われるようなそんな気持ちになることもある。

ここに書く一つひとつの記事は
金にもならない。

けど、他の誰でもない私の心を救う
金にも代え難い貴重な財産になり得るのだ。

|音信不通から2年。しっかりトラウマ


真摯に愛情を注げば気持ちは伝わる。
そう信じて疑わなかった私は相手の気持ちも考えずに
愛を伝え続けていった。

結果、面倒くさがられて
別れも言われず、無視をされるという形で
大事に思っていた恋が終わった。

あれから2年が経った今。
すっかり気持ちも立て直し、未練などとうにない。

けれど、どうやら
私の中に根深いトラウマができていたようだ。

音信不通が恐い。

信頼関係を深めたいと思う相手から
連絡が来なくなることが非常に怖くなっている。
無論、誰でも連絡が来なくなるのは悲しいと思うだろう。

いや、それでもより恐怖が増している。
連絡が来ないことを気にしなければいいのに
つい、嫌われたのでは?と不安がよぎる。

深く信頼している相手に対しても思う。
私の自信のなさの表れだ。

ひゅっと
足元をすくわれるような気分になる。
悲しい、寂しい、愛されない。
そんな私の弱い部分が顔をだす。

その度に、こんなトラウマを植え付けた
張本人の元彼を恨んでしまいたくなる。
不幸であれ、不幸であれと願いたくなる。

あれから2年も経っているのに。
私の中にまだ闇が残っている。

いつもじゃないけれど
時折、顔を出す“そいつ”に
囚われてしまう私が嫌だ。

彼を思って綴った記事は何本かある。
だけど、恨みが強くて読み返すことはなかった。
かといって、私のあの時の感情を削除したくもなく。
ずっと読み返さないままそこにあった。

|過去の私の記事は愛に溢れていた


ある日、またトラウマが引き起こされた。

元彼を考えていたせいもあって
ちょっと勇気を出して
過去の私の記事を読んでみたんだ。

あんな奴を好きになった
脳内お花畑な記事に苛立つかなって
そう思ったんだけどいざ読み返したら
まったく、そんなことはなかった。

彼がまだ私の横にいた頃に書いたあの記事。
喧嘩をして、仲直りをした頃に書いたあの記事。
私の言葉には彼を思う優しい気持ちが溢れていた。

そうか、私、彼をすごく愛していたんだな。
そう思えるような恋愛が出来ていたんだな。
結果がどうあれ、当時の彼はそれを受け入れてくれてたんだよな。

私、ちゃんと愛を知っていた。
私、ちゃんと愛を知っていたんだ。

彼との最後の記憶。
それは“裏切られた”だったけど。

でも私の過去の記事には
あの日の、あの時の、あの瞬間の心が
文章にしっかり閉じ込められていて
蓋を開けてみれば今もあの日の情景や香りを思い出せる。
忘れていた幸せなあの時間を、今の私に届けてくれた。

確かに終わりは褒められたものではなかったけど
私は確かに良い恋愛をしたし、ひとつずつ前に進んでいる。

記事を読んで、そんなふうに思えたんだ。

|時を超えて、私が私を救う


過去の記事を読んで気持ちが救われた。
…なんて大げさかもしれない。

別に記事を読んだからといって
このトラウマが解消されたかと言われれば
多分、そうでもない。

でも、ネットやSNSに散りばめられている
トラウマを回避する方法や、恋愛テクニックを読むより
私を一番よく知る、過去の私が書いた記事が一番心に響いた。

よく過去は変えられないっていうけど。
私はその記事を読んだことで
過去を変えられた気がするんだ。

上手くいかない恋愛ばかり繰り返して
結局誰にも愛されない、選ばれない私って
今の私は被害妄想でいっぱいだったけど

過去の私が、そんなことないってことを
当時の情景と共に示してくれた。

私がnoteに記事を書く意味って
もしかすると、こういうことなのかもしれない。

起こった感情を言葉にして閉じ込める。
忘れてしまわないうちに心をここにしまう。
それは意味のないような出来事に思えて。
なんの価値もないように思えて。

だけど、時に忘れていた感情を思い出せてくれて。
私ってこんな素敵な体験をしていたんだねって
改めて感じさせてくれるんだ。

それは私以外の誰にも作ることのできない
お金にも代えられない、美しくて瑞々しい黄金の果物のような
そんな素晴らしいものなのかもしれないのだ。


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