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困った男 後日談

 父方の祖母が末期の膵臓がんが見つかり入院した。まだ元気なうちに孫たちに会いに来るよう伯父が言ってきた。病院に一斉に息子たちと息子の子供らが集まって来て祖母は少し興奮していたかもしれない。
 特に次男である父が復縁したものの一度離婚しており、祖母はわたしと妹の2人にもう会えないかもしれないと思っていたのだから妹が自分にとってはひ孫に当たる子供まで連れて来てくれてとても喜んでいた。
 わたしが顔を見せると祖母はわたしの手を取り父の事を謝ると「××男を許してやってな」と涙ぐんだ。

 許すも許さないも無いんだけどなあ。
 そんな事気にしてたのか。
 悪い事したなあ。

と、わたしはここ数年年賀状も出さずにいた事を後悔した。

 実際、わたしは父の事を、しょーもない男だなと思いはしたが嫌いにはなれなかった。

 だって、お父さんはお母さんの「男」でわたしの「男」じゃないし。

 10も歳をサバよみして、その上避妊具もつけない男なんて最低だろ?

 しかし、わたしにとって父は「お父さん」であって、それ以外の父を持ち込む気にはなれないのだ。だから、あの騒動の後の相手の女性とその子はどうしたのか聞く気になれない。


 母はいつも父の文句を言ってはいたけれど、父をろくでなしとあなどるような事を言ったり扱ったりはしてこなかった。

 その事をわたしは感謝している。

 家の事や子供の教育は自分もする事だとは考えもしないすっかり評判の悪くなった昭和の男だが、父は父なりにわたし達に関わって来た。

 母は育児から逃れるために、何をするのかわからない歳になったわたしを時々父のトラックに乗せて付いて行かせていた。   
 大型トラックの中で、父は「腹減ってないか?」「おしっこは」くらいしかしゃべらないけれど、見ていてくれる安心感はあって、子供のわたしにとって大人に干渉されないその時間はほっとできるものだったのだ。

 車高の高いトラックの中から見る国道275号線脇を流れていく風景とともに。

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