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人生に魔法の杖はない

自分がなんで生きているのかもわからない……

仕事でうまくやるにはどうすればいいのですか?
家族や友人とうまくやるにはどうすればいいのですか?
どうやったらお金をたくさん稼げますか?
どうやったら幸せになれますか?

人が生きている限りさまざまな壁にぶつかり、悩むこともあるでしょう
それが普通です
至極当たり前のことです。
では、これらをすぐにまた、安易な方法で解決できる方法があるか?と質問してくる人がおりますが、答えはそんなものはないです。

人生には魔法の杖というものは存在しないのです。

自分のことがわからない
そんなことは当然であります、人の事はあれやこれやとよく見えるものですが、いざ自分のこととなると盲目になり何もわからなくなる、これは当たり前のことなのです。
この当たり前のことを理解されていない人が多くいますが、この「わからない」ということ、また、自分はこんな人間なんだって少しでもうっすらと灯火を見えているかどうか
そんなものは青年期に悩み終えておかないといけないのですが、いまの人たちはその通過儀礼を終えずに"おとな"というものになる人が多く、こういう悩みを持つのです。

悩むのは時間がかかる、タイパが悪い
そういうものです
周囲からの自立、自分の本当の感情とはどういうものなのかと考えること
自分の適性とはどういうものがあるのかということ
これらを試行錯誤して自分の成長と内側と向き合うという作業をしなくては見えてはきません。
友人にあなたの心の底の声を聞いてくれるという人がいますでしょうか?
過去に積み残してきた自分と向き合う時間を持っているでしょうか?

現代は周りの情報の過多、それらを浴びることで自分が知ったという事実があるだけで満足感を得てしまう状態がよくないのです。
それは経験ではないのです。
ハイデガーでいうのであれば、理解よりも人の経験を重視するべきなのです。

いまの人たちは自己承認欲求が高いといいますが、それは間違いであると考えています。
いまの人たちが抱える"自己承認欲求"というものは、子供のときに終えるべきだった無条件の賛美を求めるというナルシズムであると言っていいでしょう。
彼,彼女たちのいう"自己承認欲求"はこの言い換え、言い間違いに過ぎないのではないかと考えるのです。

つまりは"未成長人間"が多いのです。

人は安全と成長の葛藤の中で生きるのですが、多くの人が安全というものを選んでいきているのです。
そして、この安全というのは慣習によって整備されたものの中で生き続けるというものと同義で配慮されたシステム、ルールに従って妥協をして生きるというものです。
しかし、人が悔いなく人生を生きるためには意志の力で選択された成長が必要なのです。
これを求める行為は時間も労力も、お金もかかるでしょう
このことをいまの人たちは、「タイパ」が悪い、「コスパ」が悪いといいます

自分という人間が成長するという意志を選ぶという意味があまり理解されていないというのは少し危機を感じるのです

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