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疾風(シップ)伝説・1   そこの五月病になりかけのキミ、ちょっとだけオジサンの昔話を読んでみないか……?   としいけわかお・著

 遠い遠い昔にあったお話――
 まだ元号が昭和で西暦も1980年代になったばかりの時、大学の文学部国文科というあまり社会の役に立たない所を4年+落第2年掛かってやっとこさお情け卒業できた俺は、同期の仲間の殆どが進んだ小中学校国語教師への道から足を踏み外し、どこの民間企業にも就職できなくて、いわゆるフリーター、昔で言う「モラトリアル青年」の生活を続けていた。
 そのうち金がなくなり、喰うに困ってニッチもさっちも行かなくなり、正規の就職先を探すかアルバイトに出るしかなくなった。
 俺が見つけたバイトは、東京の板橋区にあった某大手関西私鉄傘下の観光バス会社。
 その会社は大企業の子会社のくせに超節約主義経営で有名だったらしく、観光バスのガイド嬢の代わりに「ボーイ」と呼ばれるバイト学生を使ってバスに添乗させていたのだった。(現在はまったく違うみたいですよ。その会社の名誉のために言っておきます)
 俺が配属になったバス営業所の2階にはタコ部屋みたいな畳敷きの大広間があって、常時数名のバイト学生や学士崩れのプータローがタムロしていた。そして、配車係のオジさんからお呼びが掛かると、「ボーイ」たちはワイシャツとネクタイに着替えてバスに乗車し、運転手とコンビ組んであちこち都内の名所や関東地区の観光スポットに出掛けて行く。それは日帰りの時もあれば、長距離数泊の長丁場の時もあった。
 昭和円熟期の当時の観光バスの運転手というのは、プロ意識の強い職人肌の人から反社まがいの闇を背負った人までいろいろいて、俺たち学士崩れや現役学生の若造は格好のオモチャ代わりにされていた。
 ある日、板橋の営業所に行くと、俺は配車係のオジサンから「ボーイ」添乗の指令を受けた。行き先は、港区にある有名な高級ホテル。拾う客は、ななんと、「近鉄バッファローズ選手ご一行様」!
 そして、送る先は、所沢の西武ライオンズ球場だというではないか!!
「うわっ、ヤッターー!!!」
 俺は飛び上がった。そうなのだ。プロ野球パ・リーグの近鉄球団の選手の関東地区ビジター球場への送迎は、同系列のその観光バス会社の受け持ちだったのである。

 高鳴る胸を抑えるうち、有名ホテル玄関前に俺の乗務するバスが着いた。
 近鉄バッファローズの選手のみんなが、既にユニフォーム姿で待っている。どんどん乗り込んで来る。やがて……
 白髪の紳士が乗り込んで来た。
 おお、その人こそ、パ・リーグの名門球団をビクトリーロードに導く老雄、「西本幸雄監督」その人ではないか!!
 西本監督は、必ず送迎バスの最前部の左側の席に一人で座るのだという。そして、乗車中は一人瞑想にふけるとの話だ。

 黙然と座る老雄監督とコーチ陣と選手たちを乗せたバスは、ホテルの玄関をゆっくり離れた。首都高速ランプに入り、西に進路をとる。
 バスの最前部、運転席の隣で直立不動の姿勢をとりながら、俺は胸をときめかせていた。
 すぐ後ろには有名人の西本幸雄監督当人がいる。ああ、サインをもらいたい。思い切って声を掛けちゃおうかな……
 と、横にいる相棒の運転手と目が合ってしまった。中年の悪面の運転手は「ダメだ」と合図を送って来た。
 ……そうなのだった。営業所を出庫の際にバス会社の人から釘を刺されていたのだった。乗務中は、「乗客」である選手やコーチや監督に声を掛けてはいけないと。たとえ応援やねぎらいの言葉でもダメ。乗務中は私語を発するのは禁止。お前は、バイトとはいえバス運行業務の補助の仕事をしているんだから、けじめはきちんと付けろと……違反したら、すぐにクビにするぞと……

 そう言われたって、こんなチャンスそうそうないじゃない……と悶々としてるうちに、バスは高速を降り青梅街道を走って所沢丘陵地帯の多摩湖畔に到着した。
 西武ライオンズ球場クラブハウスの前で停車すると、俺はバスを真っ先に降り、乗客を送り出す体制に入った。
 一番最初に車から降りて来たのは、西本監督。のっしのっしとステップを降りて来る。
「に、西本監督……今日の試合、がんばってくださいね!!」
 俺は思わず声を出してしまった。
 すると、それまでずっと口を真一文字にしてむっつりしていた老雄監督の顔が、ほんの少し笑みを浮かべた……ように見えた。
 俺は深く深く腰を折った。
「ご乗車、ありがとうございましたぁぁ」
 老雄に続いて、近鉄バッファローズのユニフォーム姿の若者たちが次々と降りて来る。
 俺は、彼らの背番号を見送りながら、にわか猛牛ファンとして精一杯の声援を送ってあげたのだった。

 その後……
 相棒の悪面運転手から思いっきりドヤされた。こっぴどく叱られた。
 俺は、近鉄バッファローズの選手の送迎バスには二度と乗務させてもらえなくなってしまったのだった……
 そんな観光バス「ボーイ」添乗員の仕事は、3ヶ月くらいやって辞めた。いろんな所へ行けていろんな物を見る機会があってそれなりに人生勉強になったが、やっぱり日当が呆れるほど安かったから……

 このままじゃ生きて行けないってんで、俺はもう少し日銭収入の高いバイトにスイッチする事にした。
 新しく入った某旅行代理店では、正真正銘の「ツアー添乗員」にグレードアップした。巷の小金持ったジーチャンバーチャンたちを引率し、バスや電車で温泉地や観光地に先導して行くのである。
 この新しいバイトでは、それまでの僅かな期間で得た観光バス「ボーイ」経験が生きた。ジーチャンバーチャンを楽しませるコツも覚えた。しかし……
 間が悪いというか必然というか、またも観光バス運転手と激突してしまった。コイツら、バイト添乗員の若造などハナから見下した態度で接して来る。

 バス運転手に暴言を吐いてツアー添乗員をクビになって、いよいよ進退きわまってしまった俺は、ちゃんとした社会人への正道「就活」をしなければならなくなった。
 学生時代に怠けていた遅すぎたリクルート活動は、何のスキルも才能もないプータローにはキツかった。実にキツかった……
 卒業した大学の学生部の就職課窓口に半年ぶりに顔を出してみたが、ダメ落第生だった男にはけんもほろろの対応。ハナもひっ掛けてくれなかった。
 職安(現在は「ハローワーク」と呼ばれる役所)にも行ってみたが、俺は入り口で立ち竦んでしまい、足が前に進まなくなった。
 自分は人間のクズ、カスみたいな存在だ。生きている資格などない。いっその事、死んじゃおうかな……ガックリ首をうなだれて自分の足元ばかり見つめながら、俺はマジで電車のホームの白線の外側に立ってる自分に気付き、ハッと我に返る事があった。

 そんな時、
 俺の手に「讀賣新聞」があった。近鉄バッファローズの俄かファンを自称してたくせに、実は俺は、子供の頃から「巨人・大鵬・玉子焼き」(古いね)だったのだ。普段読む新聞は、当然「讀賣新聞」だ。
 その讀賣新聞の真ん中あたりの紙面、一般企業求人広告欄の片隅に、俺は神の灯のような光明を見た。
―――『求む。漫画や劇画が好きな若者。当社は、有名劇画作家が社長を務める出版プロダクション』

「おおっ! この劇画作家の人の名前は知ってる。テレビにもなった時代劇マンガの原作者の人だよな。確か、『ちゃん!』とか『大五郎!』とか『冥府魔道』とかのセリフで有名な……俺、マンガの本はよく読んでるし。マンガ好きだし。この会社なら、こんな俺でも雇ってもらえるかも……よし、ダメもとで面接に行ってみよう」
 そうして……洗い晒しのワイシャツに擦り切れたネクタイを締め、古着屋で買ったぶかぶかジャケットを着たモラトリアム脱出決意男は、何回も書き直した履歴書を手に、東急東横線の電車に乗った。

 目指す劇画作家の会社は、キラキラとした東京山の手の一等地にあった。(ある懐かしの演歌のタイトルにもなっている場所だ)
 社屋もハリウッド映画に出て来るビバリーヒルズの豪邸みたいな造りで、俺は、建物を遠くから見た時から足が宙に浮いてしまっていた。
 玄関入口の横にあった小洒落た喫茶店みたいな待合室に入り、内線電話で来訪を告げると、綺麗な女性がやって来た。
「いらっしゃい。ようこそ。お約束の時間ではありますけど、担当者が今手が離せないもので申し訳ありません。すぐに参ると思いますので、それまでは、弊社の出してる本を読みながらお待ちください」    
 彼女はニコニコしながらドリップコーヒーを淹れてくれた。壁際のマガジンラックには、漫画の雑誌が何冊も差してある。どれも俺がいつも読んでる市販の青年向け漫画雑誌だ。
 俺は漫画雑誌には手を伸ばさず、美味しいコーヒーだけいただいた。しばらくすると、待合室のドアが開き、スーツ姿の男性が現れた。
「あー、どうもどうも。お待たせして申し訳ない。いや、よく来てくれたねー。こんな駅から遠い丘の上の不便な所にある会社にね。いやいや、お疲れ様です」」
「は、はじめまして。今日は、お忙しいところお時間を割いていただきまして、ありがとうございます」
 俺は、みすぼらしい身なりからも精一杯襟を正し、面接担当者の「部長」氏と対峙した。
「部長」氏は、小柄なのにやたら威圧感のある人だった。当時まだ33歳くらいくらいだったはずなのに、まるで50代の重役みたいな雰囲気を漂わせている。(実際に若くして取締役張ってたのだけど)
 大人びた取締役出版部長氏は、俺の履歴書をざっと眺めてから、
「で、卒業してから半年空白になってるけど、キミ、その間何やってたの?」と尋ねて来た。
 俺は、
「……はい、毎日せっせと漫画を読んでました」と正直に答えた。
 いくらか社交辞令的戦略もあったのだが、本当に正直な話、それまでやる事のない時は、俺はただ漫画ばっかり読んで過ごしていたのだ。
 部長氏は、ふーんと鼻を鳴らし、
「そうなんだ。ははん、バッカだねー。アホだな。キミは」
 と言った。
 俺は、初対面の入社希望応募者の面接で「バカ」や「アホ」はないだろうと思ったが、そんなクソミソ言われても仕方のない立場の当時の俺である。
「すみません……」
 無職のノーガードの若造は、サンドバック状態で首を垂れる。

 第一面接官の取締役出版部長はニヤニヤしながらしばらく変な貧乏ゆすりをしていたが、
「……じゃ、さっそく明日からでも来てもらうか。よろしく」
 あっさり言われた。なんと、一発で合格だという。ペーパー試験も社長面接も何もなく、こんな簡単に入社が認められるなんて、この会社はいったい……

 帰り際、その会社の社長である劇画作家の名が表紙に記されたコミックスを渡された。家への帰途、電車の中でそのコミックスを読もうと思ったけど……
 すぐにバッグに引っ込めた。本の表紙に、とっても妖艶な美女の裸体が描かれてあったからだ……
 家に帰って、一張羅のワイシャツを自分で洗ってアイロンを掛けた。既に親から勘当状態にあった俺は、身の周りの事は自分でやらなければならないシビアでハングリーな環境にいた。

 翌日、前の晩に兄に頭下げて借りたお古の紺のスーツを着て初出勤した。
 まばゆいばかりのビバリーヒルズのカイシャを前に、俺の期待と不安は大きく膨らんで、サイズの合わないつんつるてんのスーツは張り裂けんばかりになっていた。
 ここに、我が出版業界生活のまず第一歩がしるされた。
 しかし、
 ううむ……
 ビバリーヒルズのカイシャは、いざ入ってみると、スゴい会社だった。
 出版部門の販売課に配属されたピカピカの一年生社会人の俺は、出社初日から、もう既に「ダメんず」の烙印を押されてしまった。
 トロい。バカ。アホ。田舎者。オカマ野郎。根性なし。何をやってもダメ!
 
 入社4日目で早くも「退職届」をポケットに入れて、重い足を引きずりながら東急都立大学駅の改札を出た俺は、踵を返して家に帰りたい気分であった。
 会社に着き、タイムカードを急いで押して販売課の部屋に駆け込む。
 俺を待っていたのは、いつもの上司の容赦ない罵声……と思いきや、部屋はシーンと静まり返っている。
 あれれ? 皆さんどうしちゃったんだろうと首を傾げていると、背中から怒鳴り声が飛んで来た。
「アホンダラ! おどれ、何モタモタしとんねんッ!」
 マネージャー課の先輩が仁王立ちしていた。「外で皆な待ってんのやで。さっさと来いッ!」
「あ、すす、すみません」
 腕を掴まれ、引き立てられる。
 会社の前の道に車が何台もコンボイを連ねていた。車内にいる鬼の眼をした先輩社員たちが俺を睨みつけている。
「このノータリンがぁ。おめえ一人のために、全員が遅刻でお仕置き受けるじゃねーか。何考えてんだッ。ボケ」
「す、すみません。ええーと、ところで、皆さん、車でどこへ行かれるんですか?」
「バカ! 何も聞いておらんのか、おどれはッ。今日は山梨県の山中湖の保養所で、年に一度の大切な社員研修の日やがな。遅刻したら大魔王社長に獄門晒し首にされるがな。ほら、さっさと乗らんかいッ! 行くで!!」
 俺を乗せたワゴン車はフルアクセルでタイヤを鳴らし、たちまちのうちに中央高速に乗って西へ西へ驀進して行った。

 そして、山梨県の山中湖畔の保養所施設に着き、休む間もなく社員研修会が始まった。
 研修会の講師は、俺の勤めるそのカイシャの大魔王社長自身が務めていた。
 その人は、現代でも知る人ぞ知る、当時超売れっ子だった有名劇画原作者なのであった……

 山中湖畔で始まった毎年定例の社員研修会は、漫画家社員が集まる制作部から編集部からマネージャー課から販売課から総務課経理課に至るまで、社内の全部署全社員が参加する大掛かりなイベントだった。本来漫画制作の実務に関わる部署ではない事務職社員までもが、社長である有名劇画原作者の漫画講義を拝聴するのである。また、その他にも、社長劇画作家の直弟子にあたる有名漫画家たちも大勢参加していた。

 入社して間もないチンカス小僧社員の俺は、講義室の片隅で小さく身を縮めていた。
 ぶっちゃけた話、いささかミーハー気分だったのは確かだ。キラ星のような有名漫画家先生たちが自分のすぐそばに座っている。声掛けて、サイン色紙なんか貰えたら嬉しいな……

 だがしかし、ここでも俺はてんで「ダメんず」だった。
 漫画家先生や先輩社員たちとのディスカッションでトンチンカンな受け答えをして怒鳴られてしまった俺は、さらに慌てふためいてドツボスパイラルに陥り、罵声と怒号の渦の中に放り込まれた。
「バカヤロー! ドジ、グズ、間抜け、アホ、バカ、チンカス野郎!!」
「引っ込んでろ! 何も知らないド素人は!!」
 あうううう……もはやこれまでか……
 ポケットに忍ばせていた「退職届」の白い封筒を出すタイミングを計ってウロウロしているうち、講義は終了。そのまま全員で夕食。そして打ち上げの宴会へと、時は激流のごとく過ぎて行く。
 ビールの栓がポンポン抜かれ、乾杯の発声。笑い声と嬌声が満ち溢れる場の隅っこで、俺は「あうあうあううう……」と、なすすべもなく立ち尽くしていた。

 そのうち、「うおおお、誰か、余興で何か芸をやれ~~」という悪魔の声が掛かる。
 カラオケがまだ普及していない時代、生ギターの演奏でシャンソンを歌い出す人やフラメンコを踊る人が出て来た。

 やがて、運命の声が――
「おい! 隅っこでちっちゃくなってる販売課の新人のオカマ小僧、お前、前に出て何かやれ! やらんかいッ!!」

 俺は覚悟を決めた。どうせこの研修会が終わったら、ポケットの中の白い封筒を上司に提出するつもりだ。ならば、ヤケのやんぱちで、最後っ屁でも放ってやれ……
 俺は立ち上がり、宴会の輪の中央に進み出た。
「では、不肖、途中入社の新米の私、諸先輩の皆々様の前で歌わせていただきますッ」
 言うやいなや、ワイシャツにネクタイ姿のまま、腰をクネクネ動かした。

「松の●ぃばかりが~~~♪」 
 懐かしの色街演歌の名曲をアドリブの振付け入りで歌った。必死のヤケクソのあまり、ポケットから取り出した白い封筒をクルクル丸めてマイク代わりに手に持った。
「時●を見ぃながッら……今か今かとぉ~~~♪」
 白い紙製のマイクを握って小指を立て、腰をぐいっとひねって、
「♪ あなったン、待つ●も~~~」
 恐いJASRACに睨まれるのでこれ以上リアルに描けないが、実は、フリーターのバイト旅行添乗員時代に覚えたパフォーマンス芸であった。必死で夜の宴会の司会をやってた時に、酔っ払ったツアー客の粋なオジイちゃんから教えてもらった「艶会芸」ってやつ。

 場内はシーンと静まり返った。
 一拍後、はじけような大爆笑とやんややんやの拍手の嵐。
「うおおおっっ! おめー、なかなかやるな~~!」
「アホ、間抜け。アンポンタン。オカマヤロー! でも、面白れーぞ! こいつ」
「いいぞ、いいぞ。ついでだから、パンツも脱いじまえ~~!」
 さっきまであれほど俺に罵声と冷笑を浴びせていた先輩たちの顔が、いつの間にか笑顔に変わっている……

 そして、拍手の輪の中に大きく轟く、有名劇画作家の社長が放った張りのあるバリトンの声……
「いいぞ。頑張れ! 新人君。さすがは営業マンだッッ!!」

 ……気がつくと、俺は、山中湖畔に立ち、夜風を頬に受けていた。
 満天にまたたく星が、涙に滲んで、次々と流れ星になって消えて行った。
 掌の上には、丸まった紙屑が載っている。
 さっきまで俺が握っていたマイク代わりの「退職届」の白い封筒は、俺自らの手で破られ細かく千切られて、ズボンのポケットの中に消えて行った……
 
                      1981年の伝説  ――了

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