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ジャッジしてはいけないというジャッジ

先日、「ほら、そうやってジャッジしてるの、気が付いてる?」という会話が繰り広げられた。ジャッジとは「判定を下す、判断する、審査する」という意味。自己啓発系のセミナーやスピリチュアル系だと、「ジャッジしてはいけない」に近い話が現在の定番になっているけど、使い方が間違っている場面が多いと思う。←これもジャッジなのか?(笑)実は違う。私が感じる気持ちを話しているわけで、私の感覚は私もものだから♬

個人(自分)の気持ちは感じるまま大切にしよう

好き嫌い、欲しい欲しくない、いい悪い、など自分の感じる気持ちは大切にしてほしい。自分の世界に繰り広げられる物事は、自分の世界なので、自分の感覚で判定するのは当たり前なのだ。それを周りから「ジャッジしてると辛くなるよ」「そうやって決めつけて・・・」という言葉に振り回されることはないのだ。自分の心の感じるままに感じることこそ、自分軸なのです。

「ジャッジ」について詳しく説明

「称賛か非難か」のどちらかしかない場合、これは「分裂」を意味する。人は良い面、悪い面があって一人の人間である。すべていい人もいないし、すべて悪い人もいない。ある人にとっては良い人でも、ある人にとっては悪い人である場合もある。人間は多面的なのだ。
それを理解できず、すぐに人を「ジャッジ」して決めつけてしまう人の心にあるのは「分裂」である。人のいい面と悪い面を別の人格をして捉えている感覚。だから、「〇〇する人は大抵いい人だ」「△△しているから悪い人に違いない」と過去の自分の経験から判断して当てはめて決めつける(ジャッジ)のである。その人はどういう人か時間をかけて付き合わないと分からないし、その時たまたま何かの事情があっただけかもしれないのに、その一瞬、一つの出来事ですべてだと考えてしまうジャッジは「分裂」を生み、それに振り回されると世の中がすべて葛藤構造のパターンで捉えるため、生きずらい。二者択一の考えしかない生き方はとても辛く、本当の自分を見失ってしまう。

分裂から統合へ

なぜ、このような考え方になってしまうのか。人は良い記憶より悪い記憶に襲われる。悪いことのほうがよく思い出す。それは後悔や悔しさが心に残るからだ。つまり、「よい私」と「悪い私」がいて、悪い私も認めてしまったら、「よい私」が「悪い私」に生存範囲を犯されてすべて悪い私になってしまう恐れが無意識層にあるからなのです。
ほら、うれしいことがあっても途中でがっかりすることがあったら「楽しかったんだけどね、なんか嫌な思い出にしかなってなくて・・・」という愚痴と同じなのである。悪いことは良いことを喰ってしまうのだ。
その恐怖から抜け出さなくては、いつまでたっても分裂してしまう世界に生きることになる。善悪どちから一方しかない人なんて存在しないのです。
長所×短所、メリット×デメリット、光×影など、この世は陰陽なのです。「二つで一つ」なのです。混ざり合った色には狭間の色が存在します。人生はグラデーションなんだと知ることが、分裂から統合への第一歩です。

あなたらしく…

いろんな人がいて、さまざまな成長段階にいて、経験も千差万別なのだからいろんな考え方があるし、生き方、信念も違うのです。一番は人に振り回されないこと。人に振り回されないんだけど、人の意見に耳を傾けること。
次に、「自分」をしっかり持つこと。成功も失敗もすべて自分の成長の糧にしてほしい。

十人十色、千差万別
すべての人生が彩りある人生で輝かしい
最終的には、どの選択もどんな人生もすべて本人の輝きなの…
だって私たちは様々な感情を学びに地球に来たのだから…

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