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スマホ四国八十八ヶ所巡礼日記

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ウォーキングアプリ「お遍路ウォーキング」による四国八十八ヶ所巡礼シミュレーション日記。その日の歩数からアプリが指し示す位置をスクショで紹介。詳細な位置情報と巡礼の思い出を書き添え… もっと読む
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お遍路ウォーキング日記(125:四十一番龍光寺へ)

【2024年5月9日(木曜日) Day 125 】  今日で漸く札所四十番観自在寺を打った。この寺を打つと言うことは距離的には四国八十八ヶ所巡礼の折り返し点を回ることでもある。というのも札所一番霊山寺から距離的に最も遠いのがこの観自在寺で、この寺は言うなれば一番、八十八番に次いで重要なポイントでもある。  この寺について簡単に書こうと思う。この寺の所在地は愛南町御荘平城だが、愛南町という町は平成大合併で生まれた町である。中心の御荘町、先日通過をした一本松町をはじめ周辺の5

お遍路ウォーキング日記(124:四十番観自在寺へ ⑥)

【2024年5月8日(水曜日) Day 124】  ついに越境をして愛媛県に入った。これで高知県とは完全におさらばだ。もう高知県内に入ることもない。四国八十八ヶ所巡礼をしていると同じ場所には二度とは戻らない(一部の打戻りを除き)ものだ。宿もそうだし札所だってそう。基本は一期一会になるような順路を辿る。  その反面同じ方向へと向かう遍路とはずっと一緒になったり、札所毎に再会をすることも多い。そしてそれは当然だが順打ちをしているときに多く、数日にわたり札所でバッタリなんて事は

お遍路ウォーキング日記(123:札所四十番観自在寺へ ⑤)

【2024年5月7日(火曜日) Day 123】  雨が降ってウォーキングに出られなかった為今日は一歩も外には出ておらず昨日と同じ場所にいる。  現在地から凡そ1.5km先に県境がある。県境は正木トンネルというトンネルだが、厳密に言えばトンネル手前で渡る増田川という川が県境だ。  この県境を越えるとまずは平成大合併前の旧一本松町を通過する■

お遍路ウォーキング日記(122:札所四十番観自在寺へ ④)

【2024年5月6日(月曜日) Day 122】  今日は3㎞ほど先には進んだがまだ越境はできていない。現在地は宿毛市のほほ県境の場所まで来ている。  ちょうど今いる場所の周辺は道路端にアイスクリン屋台が並ぶ一帯だと思う。  アイスクリンとは高知の名物のひとつ。アイスクリームに似たものでクリームと言うよりはシャーベットのようなもの。しかしシャーベットほどツンツンと突き放した感じではなく「面倒見るよぉ」という人懐っこさと可愛げを感じる(個人の感想)。夏場の名勝地でよく見か

お遍路ウォーキング日記(121:札所四十番観自在寺へ ③)

【2024年5月5日(日曜日) Day 121】  今日も連休の疲れが祟り寝てばかり。昨日はわんこの散歩に出たが、今日は頭がフラフラしてそれさえも出来ず歩数は0(室内の歩数は除く)だったので今日は一歩も進んでいないことになる。なのでこの先のことを簡単に書く。  次の札所四十番観自在寺に着く前にまずは越境がある。次は愛媛県に入る。越境してすぐに一本松という集落に入る。かつては一本松町という一つの独立した自治体だが今では愛南町の一部となっている。  観自在寺を打つと次の札所

お遍路ウォーキング日記(120:札所四十番観自在寺へ ②)

【2024年5月4日(土曜日) Day 120】  まずは昨日打った札所三十九番延光寺について書こうかと思う。  この寺は聖武天皇の勅令を受けた行基菩薩が薬師如来を本尊として彫り建立させた。その際には12もの坊を持っ寺だった。後に弘法が薬師如来の脇侍として日光菩薩と月光菩薩を彫り本堂脇に井戸を掘った。この井戸は今でも「目洗い井戸」として残されている。  明治の時代となると神仏分離による廃仏毀釈のため廃寺という憂き目に遭うも後に復興し現在に至る。山号は赤亀山といい、境内の

お遍路ウォーキング日記(119:札所四十番観自在寺へ)

【2024年5月3日(金曜日) Day 119】  今日は漸く札所三十九番の延光寺を打ち終えて次の札所の四十番観自在寺へ向かいだした。この区間の遍路道は途中に宿毛という大きな町があり、要り用のものがあったらここで調達しないと次は宇和島まで大きな町がない。  僕もだいたいこのあたりかこの先の五十崎あたりで供給をする。線香がとくにそうだ。  巡礼中の買い物は結構楽しみにしている。これから向かう宿毛の町は思った以上に大きな町で巡礼の時の消耗品の他にも日焼け止めや衣類なども調達

お遍路ウォーキング日記(118:三十九番延光寺へ ⑫)

【2024年5月2日(木曜日) Day 118】  宿毛市の平田町に入り国道56号線もいよいよ直前にまで近づいてきた。  この場所から数百メートルほど手前に「お雪供養塔」というものが遍路道の目印になっている。  土佐物語によれば応仁の乱で中村から逃げ延びて来た一条家の四代目が鷹狩りでこの地を訪れた際に土地の娘を見初めて足しげく通うようになり、そのために為政を蔑ろにした為に家老達に幽閉されてしまった。  それを聞いた娘がこの場所で身投げをした事からこの場所に「お雪供養塔

お遍路ウォーキング日記(117:三十九番延光寺へ ⑪)

【2024年5月1日(水曜日) Day 117】  札所三十八番から打戻りをし、下の加江から三原村に入り今日でやっと次の宿毛市に入る。現在地は宿毛市平田町なので次の札所はかなり近く、あと6㎞かそこらへんにまで近づいてきた。  この県道21号線を進むとJR平田駅の横に出る。そしてそこからすぐのところに国道56号線が通っている。しばらく国道沿いに宿毛方面に向かい寺山口というバス停のあるあたりを右に入って道沿いに進むと札所三十九番の延光寺の近くへ行ける。  お遍路道は平田の駅

お遍路ウォーキング日記(116:三十九番延光寺へ ⑩)

【2024年4月30日(火曜日) Day 116】  今日は雨で一日中家の中にいた。旅行疲れもあって外に出る気力もない。  昨日の時点で日記には何も書く事がないと書いてあるが今日も同じで書くような事は何もない。この日記も停滞すると途端につまらなくなってしまうのが残年だ。  明日は多少書くことも増えてくるのではないかと考えている■

お遍路ウォーキング日記(115:三十九番延光寺へ ⑨)

【2024年4月29日(月曜日) Day 115】  現在地は三原村中心部よりもやや東のあたり。県道46号線を進んでいる。この道はこの先県道21号線と合流し西へ向かう。  三原村は見た目にも小さな村でこの先村役場の近辺が中心部だがそこを通過してしまうとまた山中をしばらく進むことになる。  今日はこのくらいしか書くことがない■

お遍路ウォーキング日記(114:三十九番延光寺へ ⑧)

【2024年4月28日(日曜日) Day 114】  この日記で使っているアプリ、「お遍路ウォーキング」は時々位置情報を更新し忘れることがある。そんなわけで今日はまさにそんな憂き目に遭ってしまう事態となる。  今日の歩数は大した事はない。イベントに出店して歩く事も少なかった。  また明日。厳密には今日だが移動日なのであまり歩けないと思う。  こんな日もたまにあると言うことで。現在は三原村の中心を目指して進んでいる■

お遍路ウォーキング日記(113:三十九番延光寺へ ⑦)

【2024年4月27日(土曜日) Day 113】  思った以上に歩数が稼げだ事もありついに打ち戻しは終了。今日現在で三原村に入りそろそろ村の中心に入ろうかというあたりにいる。  実は僕自身は三原村周りで遍路道をたどった事がなく、ここから先に関しては自分で見たものではなくてルートをあれこれと調べて知り得た知識でしかない。これが宿毛線の平田駅のあたりまで続く。  簡単に書くと三原村は四国地方では最南最西の村。鉄道は通らず最寄りの駅は宿毛線の平田駅。村の中心から村営交通のバ

お遍路ウォーキング日記(112:三十九番延光寺へ ⑥)

【2024年4月26日(金曜日) Day 112】  下の加江の集落に入り現在下ノ加江川沿いを北上している。下の加江までは打戻をし、そこから三原村方面へ向かうが、その分かれ道は伊豆田トンネルのほど近くで打戻もかなりの距離をすすまねばならない。今日はその分かれ道には到達できなかった。  明日より二泊三日で琵琶湖に行く。病気で倒れて以来の関西だ。どのくらい歩けるかはわからないがこの期間はウォーキングもできないので歩数はがた落ちすると思われる。  それを考慮しても明日か明後日