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残酷な記憶

【療養日記2024 4月25日(木)☁️☀️】

 今日の日記は書くのも気が重い。記憶というものの内容を語るのではなく、記憶というものの状態についての話しだ。

 一昨日母がいる施設から面会の解禁の知らせを受けて今日面会に行って来た。面会の時には必ず手作りカレンダー(これは自分が1年前に入院していたときに暇に任せてPhotoshopで作ったもの)や先月のわんこの写真と文春(週刊文春ではなく文藝春秋のこと)を持っていく。

 母はこのところ次第に記憶の順序が混沌とし始め、また今が2024年であることも認識できない、言うなれば「認知症」がだいぶ進んできた。そんなわけで僕のことはだいぶ忘れてしまっている。(なのに僕の妻は良く覚えている)

 僕としては本や写真の差し入れをしてわんこの話や施設での生活について話を聞きたいところだ。しかしいつも訊かれることといえば自分の母(僕の祖母)や兄弟姉妹(僕の叔父叔母)の事ばかり。その都度元気にしていると答えられるほどの上手な嘘がつけない。叔父叔母に関しても半数近くは亡くなり、その葬儀には母と参列している。ひとりは大阪、もうひとりは僕が代理で米国にまで行っている。これだって母の頼みで行って来たが、そんなことも忘れてしまっている。さらに亡くなったことを隠し通していた叔母がいてそれに至ってはかなり憤慨していたがそれも記憶にはない。

 祖母は30年以上前に亡くなっているのに相変わらず元気かと訊いてくる。さらに祖父に至っては僕が生まれる前、1964年の東京オリンピックの翌年くらいに亡くなっていて僕とは会ったこともない。

こうして親戚縁者がその都度もう亡くなったと言うのにも疲れる。一人一人の動静を訊いてくるものだからそれに答えるのも疲れるし、母から見たら身の周りの者が一気にいなくなったように受け取られるためかなり悄気る。それを面会する度に繰り返すので心底疲れる。

 こんな時みんな元気だよと嘘をつけばいいのかもしれないが嘘はつきにくいし、嘘をつけばさらに詳細を訊いてくる。そして先にも書いたように叔母のひとりが自分の死を隠し通していたことがあとで知れたときに母が逆上したことも覚えているので尚のこと嘘はつきにくい。

 ここまで書くと母は認知症も進行して大変と思われてしまうが、ごく一般的なケースと違うのがリアルタイムでの言語認識力と情報分析に関しては衰えていないことだ。それが毎月「文春」を買って行く理由である。

 以前は退屈だろうからと小説を持って行っていた。母の好みの小説家は藤沢周平と池波正太郎である。しかし小説はあっという間に読んでしまうので、

「次からは文春を持ってきて」

 と言われて以来、毎月文春と特別号が出ればそれも買って持って行く。しかし記憶も曖昧で混沌とした状態で本は読んでいるのかと訊いてみると読んでいるが施設の他の人はテレビばかり観ていてこの本の内容を話題にして話もできないと愚痴っていた。

 施設の中での有り余る時間をテレビばかり観て過ごす他の入所者とは違い、本を読んでその内容を誰かと共有したいのにそれができないことが寂しいらしい。そんな話を今日初めて聞いた。

 確かに文春ともなるとそれを読みたがる者や内容を他人と共有したがる人は少ないだろう。ましてや90を超えて文春を読む老人なんてあまり見ないと思う
(週刊文春ならまだしも)。

 本はあればあるだけ読んでしまうので文春の差し入れは毎月楽しみにしているし、そうだろうと思うので面会ができなくても毎月わんこの写真と文春は忘れずに届けに行く。

今日持って行ったわんこ写真から

 なので母は記憶こそ曖昧になるが文章や状況の判断と処理については認知症の影響をまだ受けていない。何よりも身体がまだ元気であることは喜ぶべき事でもある。コンピュータで言えばHDDからの読み込みが遅く、また一部のドライブにはアクセスできなくなってもCPUは衰えていない、しかしキャッシュメモリの容量は少なくなって来ている。そんな感じだ。なので急に深刻な問題と直面しているような感じではない。

 とは言え施設から帰ってくるとドッと疲れが出てしまいちょっと横になったつもりが夜までぐっすり寝てしまう始末だった。

 今度の連休は母が決して忘れない妻も連れてまた遊びに行きたい。本当ならわんこも連れて行きたいがそれは叶わないのが残念だ■

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