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自分が世界が変わるヨガ体験 13


自宅でヨガを実践している生徒さんから、「時間がないので、呼吸法を省いていいですか?」との質問。結論から言いますと、呼吸法は絶対やるべきです。たったの1セットだけでもいいので、呼吸法(カパラバティとアヌロマヴィローマ)は絶対行ってください。呼吸法は呼吸器系だけの運動ではありません。呼吸法は、身体全体の細胞や器官や筋肉に新鮮な血液を供給し肉体や思考を柔軟にします。さらに、呼吸法は、純粋なプラーナ(生命エネルギー)を、身体だけでなく精神や意識、そして魂にまで満たすことができるのです。実際に、呼吸法をやらないでヨガをすると、筋肉痛になったり、集中力や感情や感覚のコントロールができなくなることがあります。心の余裕がなくなり、怒りやすくなることもあります。呼吸法をやるのとやらないのでは明らかに、ヨガの効果は違ってくるのです。


「ヨガでお金儲けできますか?」という質問を、ヨガの先生を目指している生徒さんから頂くことがあります。逆に、「じゃあ、ヨガでお金儲けできたら、何がしたいですか?」と生徒さんに尋ねると、ほとんどの生徒さんが明確に答えられません。結論は、ヨガでも他の手段でもお金儲けはできますが、儲けたお金の使い途とか、目標金額とか、その予算のために何をすべきとか、細かく計画立てることが必要になります。頑張れば、ビクラム・チョードリーのように、ヨガで億万長者になれるかもしれませんが、彼みたくなりたいですか?ヨガを教えることで、目指すのはここ(お金)ですか?お金以上に意識すべきことを考えていますか?


過去の出来事にこだわる人は、未来を歩む中でつまずきます。過去のダルシャン(神の拝謁)を常に想い起こす人は、どんな試練にも耐えることができ、シャンティ(平安)とアーナンダ(至福)の意識を維持できます。


実践に移せない知識は捨てた方が、心に余裕ができ、有意義に過ごせます。膨大な聖典を学んで得た知識よりもはるかに、意識や人生が変わる知識があります。それは、誰かのために、あるいはみんなが幸せになるために働いて体験した知識です。


悪人は、悪行や偽善を、あからさまに見せびらかします。善人は、善行や慈善を決して明かしませんが、その業績は本当に知るべき人々に必ず知れ渡ります。


「コ口ナワクチソ打って物凄く体調悪いです。ヨガの先生なのに恥ずかしいです。」こんなヨガの先生がいますが、ワクチソ打っても打たなくても、ヨガの先生だって体調悪い時はあります。落ち込むこともあるかもしれませんが、体調良くない時や病気の時こそ、ヨガの先生は、最高の機会だととらえましょう。なぜなら、自分と同じ症状を持った生徒さんに、どんなヨガで、どんな食事で、どんなサーダナ(霊性修行)で改善するか、体験から教えることができるからです。


「大災害や戦争で多くの人々が亡くなっていますが、死ぬ人は決まっているのでしょうか?」という質問について。答えは、YESです。死ぬことは決められています。だから、死ぬ理由や原因も決めなくてはならないのです。死に関して重要なのは、死因ではなく、死に際して意識の状態なのです。


自分の心に余裕が持てなくなり、誰かを責めたり八つ当たりをしたりしてしまい、後で後悔の念や自己嫌悪に陥ります。そんな時は笑顔で、『みんなの幸せ』とマントラのように繰り返し唱えましょう。すると不思議なことに、自分も周りも幸せになっていきます。


感覚や感情や心がコントロールできなければできないほど、バクティ(信愛)が失われ、神様が離れていきます。バクティが深まれば深まるほど、感覚や感情や心がコントロールできるようになります。


心の中に神が居られることを知っていれば、怒ることなんてあり得ないはずです。あらゆる空間では、静寂においてのみ、神様を認識できるのに、大きな声で怒鳴ったり、また大きな物音を立てたりすることは、あり得ないはずです。


世俗的・霊的な事すべてにおいて、過ちを繰り返すと落ち込みがちですが、これは凄い進歩のチャンスなので前向きにとらえましょう。実際に繰り返す過ちで、悔恨の念がますます深くなり苦しみます。そのように苦しみを味わいたくないので、やがて同じ過ちを繰り返さなくなるのです。


「ヨガで病気は治りますか?」という質問をよく頂きます。答えは、YESであり、NOでもあります。確かに、特定の病気や症状に効果があるポーズは存在し、病気や不調が回復することがあります。しかしながら、病気や体調不良になるまでは、長い年月の中で、様々な環境下においての、その人の思考や言動の間違いが原因となっていることが多いのです。ヨガのアーサナ(ポーズ)以上に、自分と向き合い、良心に従って熟考し行動することが常に大切なのです。


家族の世話を付きっきりでしなければならなくなり、ヨガを教えたり、サーダナ(霊性修行)が思うようできなくなったとしても、神様は絶対ハンディを与えません。それどころか、世俗と霊性の両方の恩寵を与えてくださいます。これは、体験から得た真実です。


神への信愛と、世俗の満足は、同時に与えられるのです。だから、これは神様の仕事、あれは生活のための仕事と分ける必要はないのです。


世界では私たち力ではどうしようもできない恐ろしい災害や戦争や悪事が起きています。それらのことで、心を痛めている方々はとても多いです。しかし、起こることがどんなに悲惨で残酷であったとしても、すべては神様の劇場であるというを忘れてはいけません。たとえ、極悪非道な悪人が悪いことを起こしたとしても、その悪役は神様のシナリオ通りに、役割を果たしているだけです。自分と世界を離して物事を見ましょう。私たちにできることは、バクティ(神への信愛)を持って愛と奉仕の道を歩むことなのです。そうすれば、悪が降りかかることはありません。


*きらめく美しいヨガ的生活の体験から、インスピレーションを得てまとめました。

愛と優しさをいっぱいありがとうございます!