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今度はエヴァンゲリオン展。

 こんにちは!女上アサヒです。私の住んでいる地域は毎日のように
熱中症の注意報だけでなく、コロナの感染者も増えています。
 皆様のお住まいの地域はいかがですか?お互いに気を付けたいですね。
晴れていても外よりウチが好きなので、ステイホームでも苦にはなりません。お外で仕事をする方、外出が大好きな方、または子育て中の方は外に出るのが普通なので、今の時期は大変かもしれませんね……。
どうぞ、お体だけにはお気をつけ下さい。


<<病歴と介護③>>
 私のプチ家出(?)騒動が解決し、母にも迷惑をかけたのですが、当時は数時間だけなら母を一人にしても大丈夫でした。
なので、エヴァンゲリオン展も早くから行き、見学するとすぐ帰ることにして出かけることにしました。
 エヴァ展は私の住む地域の美術館・博物館で開催されました。当時の私はやはり、人混みが苦手で、人がいっぱいだったらどしよう、という心配事もありました。しかし、朝一番で行ったからか、観覧者はまばらでした。
それが私が唯一の救いであり、ゆっくり楽しめる、と思ったものです。
 出入口には人の大きさのエヴァたちが飾ってあり、写真を撮るのが自由だったので、撮りまくりでした。私はエヴァは何号機でも好きなので、興奮したものです。でも、動悸はしません。好きなものを見て、動悸をすることもありましたが、そのときは大丈夫でした。
 もう何年も前なので微かな記憶しか残ってないのですが、イラストが飾られていたり、映画のワンシーンが大きなスクリーンで上映されていました。
 エヴァの世界に入った気分です。使徒が攻めてこないかって思わせてくれるような演出もあった気がします。映画の上映は有名なシーンが繰り返されるだけでしたが、私の好きな声優さんの声がアナウンスのように響いていて、その場でずっと耳を傾けていたことを覚えています。
 「耳が幸せ」ってこういうことを言うんだな、って思いました。今回の表紙にしたエヴァの写真もこのエヴァンゲリオン展で撮ったものです。
 ジオラマの写真は結構、撮る方が多くて並んで撮りました。それでも、過呼吸を起こしたりすることはなかったので、パニック障害は治った? って思わせてくれる程でした。人が少なくなると私のほぼ独占で好きなように写真を撮っていました。スマホの充電を普段から「100%」にして出かけるのですが、このときも、その癖があってよかったと思わせてくれました。
 もう出口に到着する頃、現実に戻らないといけない、と思えばため息が出ます。母が待つ家に帰るのです。嫌ではないのですが、楽しかったですし、数日前に家を飛び出して、死のうと考えていたのが馬鹿らしくなっていたのも事実でした。
 バスに揺られていつも見慣れた風景ですが、家に帰るんだって思うと憂鬱な気分がまた湧いてきました。親の介護だから、子供がするとは決まっていないと思います。当時もそうでしたが、色んな公共機関に相談しないと身が持ちません。実際にパニック障害を抱えながらの介護は怖かったです。
 また、どのタミングでパニック発作が起きるかわかりませんから。帰ってからは母は寝ていました。いつも寝てるので、いつもの姿といえばその通りになってしまいますが。
 母が実家で一人で住んでいた頃、コインパーキングが近くにあったので、24時間車の出し入れの音がして、毎日あまり寝られなかったとよく言っていました。私の家は道路から少し離れているので、車の音は遠くから聞こえる程度です。そのためか、母は寝られなかった分を取り返すように、よく寝ていました。それで、夜中によく起きてました……。
 私が夜中に創作をしていると、『もう、寝なさい』とよく言われたものでした。自分は起きているのに!でも、電気を消すと寝てくれたのでこれだけは助かりました。深夜徘徊がなかったのだけが救いだったかもしれません。
 私がクレームの多いコールセンターに勤務し出して数年経っても、怒鳴り系のクレームには慣れることはありませんでした。いい年して泣くこともありました。今となればパニック障害の症状のひとつだったかもしれません。その人は私のことをすでに忘れてるかもしれないのに、私は覚えている。いじめられっ子がいじめっ子のことをいつまでも覚えている、そんな感覚に近かったかもしれません。
 家では母の介護と心臓が止まるかもしれない症状で心配で、いても経ってもいられない。仕事ではクレームが怖い……。「逃げ道は」創作活動だけでした。
 私の仲のいい友人たちはだいたいが30代で結婚したので40代に突入すると、パートと子育てに追われていて、一緒にご飯を食べる機会は半年に1度くらいでした。楽しみはそのくらいでしょうか。当時はLINEもなかったような?今はグループLINEで楽しいことをシェアすることもありますが。
 私は本当にパニック障害はよくなったのか?と思いある実験をしたこともありました。自らラッシュアワーのモノレールに乗ることです。すると、人のおしゃべりは気になっても、それ以外、何も体調に変化は起こりません。
 今思えば理学療法的なことを自ら試していたのかもしれません。治ったかも、とぬか喜びをしていましたが、でも油断大敵です。母のことがありますから。
 現在もそうですが、用事を済ませばすぐ帰ることが癖です。女性だったら、どこか大きなモールに行けば目的の物を買えば、寄り道をしたりすることがあるかもしれません。ですが、私は未だに直帰する癖があります。行きたい店を横目に急いで帰ります。誰も待ってる人は、もういないのに。
 仕事では新人研修を手伝うこともありました。私は緊張を和ますために、『今は何のアニメを観てるの?』とか、若い子たちに聞いたりしていましたが、アイドルが好きとか言われ的を外すこともありましたが、話が合う子いたら盛り上がりました。年齢的には親子ほどの年の差がありましたが、
『趣味が若いですね』って言われたりして、嬉しかったことを覚えています。
 仕事で楽しかったのは、新人研修くらいだったかもしれません。新人たちが育っていく。でも。クレームの嵐に巻き込まれないか、というのが一番の心配でした。ですが、当時の若い子たちは「氏ね」とか言われても、自分の中に抱えることなく、『ムカつく!言われてしまった』と同僚と言い合いながら帰宅していきました。
 だんだんと、ずっと抱えてしまう私だけが、おかしいのか?と思えるようになってくることもありました。私は考えすぎる性格。同じ考えるなら、創作のネタを考えよう、と思っていました。ですが、耳元でワーワーと叫ばれる、心がしぼんでくるのが分るのです。それに耐えていた理由はもう仕事の休みが月に三日だけでも好きな日を選べる、それにすがって仕事をしているようでした。
 あるときから母の月に一度の病院には、母を心配する姉と甥もついてきてくれるようになりました。甥の車で送り迎えをしてくれるので、本当に助かりました。今でもあちこちに連れて行ってくれます。感謝の言葉しかありません。
 余談ですが、病院に行った日は台風が近づいていて、風が強い日でした。
そのとき、とあるおばさまが携帯で小声で話しているつもりでしたが、内容が待合室中に丸聞こえでした。ある知り合いにその前の週に会ったばかりなのに、その方が亡くなった、というものでした。病院でちょっと不謹慎だ話をしてるな、と思いつつ、おばさまの背後の窓ガラスを見ると、雨の中、一生懸命に羽ばたく白い蝶々がいました。私の住む地域では、亡くなった人が蝶々等の虫になって知らせて来るまさに「虫の知らせ」が信じられています。
 おばさまが電話で話している間、風に吹かれながらも一生懸命に羽をバタつかせ、窓ガラスに向かって飛んでいます。すると、おばさまが「私の名前が呼ばれたからもう切るね」といい、診察室に入っていきました。私が何気なく、蝶々がいたところを窓ガラス見上げると、もういなくなっていました。
 やっぱり、あの蝶々は「虫の知らせ」だったのだな、って今でも思います。
 当時の母とは待っている間におしゃべりすることはあまりありませんでした。何度も同じ話をするので、私が苦しかったのです。それで、名前を呼ばれるまで、母に言われたことに相槌をする程度でした。かわいそうなことをいくつもしていた、とホントに思います。
 また時系列はズレてるかもしれませんが、楽しみにしていたはずのデイサービスが億劫になっているようで、昼寝もサービスに含まれるのに、疲れたと言ってすぐ寝る様になってきました。
 それがまた日常生活に影を落とすとなるとは、なんとなく予想がついていました。
 


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