【10分で読める】 元イングランド・プレミアリーグ所属の古豪サッカークラブで働くまで。
はじめに
2023年、スポーツベットのサービスを提供するグローバル企業に入社し、ほぼ同時に元イングランド・プレミアリーグ所属の古豪サッカークラブからも一緒に働こうと声をかけていただきました。
そうして平日はスポーツベットの会社で働き、週末はサッカークラブの仕事をこなした後に、ホームゲームが重なればスタジアムの空いている席を探して観戦するという、文字通り(僕にとっての)ドリームジョブを手にしたわけですが、そんな僕はこれまで頭脳明晰という言葉とは真逆のキャラクターとして学生生活を送ってきました。
僕はこの記事を通して、これまで自分が歩んできた進路とターニングポイントをまとめようと思います。'Knowing is Owning' 「方法がわかればその時点で夢はほぼ叶えている」ですので、こんな進路もあるのかと知っているだけで将来の展望が広がると考えています。ひとりでも多くの学生の方に、またその保護者の方に、進路決定の参考にしていただけたら嬉しいです。
そしてこのnoteを読めば、良縁と良運を引き寄せるために必要な行動力の正体について納得していただけると思います。大きなことは言えませんが、あくまで僕の実体験に基づいて、ある結論に至りました。
一度しかない人生だからこそ、個性をより鮮やかに表現したい。僕のnoteではそのための方法を読者と一緒に考えていきたいと思っています。
それではよろしくお願いします。
着火しかけた夢
子供の頃はサッカー選手になるものだと思っていました。
その夢を叶えるため、高校時代はJリーグのユースに所属し、サッカーに集中するためにそれから一切勉強をしなくなりました。
ところが人生は思い通りにいかないもので、高校3年という進路を決定するにあたって一番大事な時期に、新監督に嫌われて干されてしまい、夏の時点で「お前はプロのレベルには程遠い」と監督から2人きりの会議室で伝えられました。要は、トップチーム(プロ)で活躍できる選手を育成することが目的の組織において事実上の「クビ」を宣言されたのです。
「分かってんねん。そんなことは、、自分でもな。」
「でも、あなたもクラブも進路の面倒を見てくれないんやったら、これからどうしたらええねん。」
そんなことを思いながら、ただそれよりも勉強から逃げてサッカーに全振りした挙句に、そこで大転倒した自分を客観的に見つめると、「自分が悪い」の一言で全て解決がつきました。
慌てて詰め込んだ受験勉強
ユースを退団後、じゃあサッカーで生活をつくれないのであれば、将来メシを食っていくために今から勉強して大学に行きたいと思いました。
しかし、偏差値40の田舎の高校に通っていた僕の周りには大学受験勉強をする子など一人もいませんでしたし、控えめに言っても高校の授業内容は中学校よりも簡単でした。すでに圧倒的ビハインドな状況に、さらに両親による「浪人禁止」ルールも追加され、状況は危機的なものになりました。
少し賢い人であれば、すでに諦めるべき条件が十分出揃っているので、もっと効率の良い別の進路を探すのかもしれませんが、僕はそこで大学進学を諦める事はしたくありませんでした。
その裏では当時、学年ビリのギャルが慶應義塾大学に現役合格するストーリーを描いた「映画ビリギャル」が世の中で流行っていて、自分の可能性を信じることができるか、できないかだけで、人間はみんな慶応義塾大学に現役合格できるという優しい理論が僕を支えてくれたからです。
それで映画の世界観そっくりと、受験科目を英語に絞った戦略を真似して、6ヶ月間、毎日15時間以上勉強し続けた結果、当時の大学入試センター試験(現:大学入学共通テスト)で9割超えの正解率を叩き出すまでにどういうわけか結果は出ました。
がしかし、英語以外は全く勉強してこなかったので、受験科目が多い国公立大学はもちろん、早慶、MARCHや関関同立などの大学にも手が届かず、英語と国語の2科目受験を採用している中堅大学の外国語学部に合格することができた、という何とも微妙な終着点を打ったところで卒業式を迎えることになりました。
実用性の嘘①
進学先の大学でも、一応これだけ成果が出たのだから英語を続けようかと思ったのですが、すでに独学で学びを発展させられる英語をわざわざ高い授業料を払って勉強する価値はあるのだろうかと疑っていました。
そんな時、たまたま親戚からFIFAやIOCといった国際スポーツ組織ではフランス語が英語と並んで公用語として使われていることを教えてもらい、公用語が二つという意味がわからない別世界を見上げながらも、「将来そこで自分が売れなくてもいいから」と妙な期待を込めてフランス語を専攻することに決めました。
一年前まで不良高校生をしていた自分が国際スポーツ組織で働くなんて、とんだ理想主義的な考え方でしたし、それを想像しても脳内の臨場感が高まることはありませんでした。
しかし、大学に入学できただけで大儲けだと思っていたので、本来与えられなかったボーナスの4年間だと思って、実用性を無視して目の前の小さなチャンスにフルベットしようと思いました。
そんな理由で、最初の2年間のうちにフランス語の基礎を徹底的に叩き込み、教科書を丸暗記するという誰もやらない課題にも2年間コツコツと取り組んでいたら少しずつ教授に気にかけてもらえるようになり、結果的にそんな態度が評価されて3回生にあたる1年間をフランスの大学に派遣留学をさせてもらえる機会に恵まれました。
もしこれが英語だったら、帰国子女やもともと英語が得意な子たちに埋もれて、大学派遣留学のメンバーに選ばれることはなかったかもしれません。マイナーなフランス語だったからこそ、少ない候補者で限られた派遣留学の席を競うことができました。
実用性の嘘②
フランス留学は人生の大きなターニングポイントとなりました。
それは時期を同じくして開催されたロシアワールドカップ2018において奇跡的にフランス代表が優勝したことによって、ワールドカップ優勝国のど真ん中で、グローバルスポーツの魅力を確信することができ、いつかこの熱狂を創り出す側に立って挑戦してみたいと将来の目標が定まったからです。
さらに色々調べてみる中で、どうやらあのワールドカップ開催の裏にはスポーツマネジメントという手法が用いられているということを知り、またユース時代にJリーグの運営に関わっていた経験から、日本のスポーツ界はこの部分で世界にかなり遅れをとっていることが見えてきました。
くさい言い方が許されるならば、きっと自分は世界最先端のスポーツマネジメントを深く学ぶ「深化」と、それを日本のスポーツ界にとってより良い形にして未来に残す「進化」、この二つの ‘シンカ’ に取り組みたいと思いました。
となると、その専門知識を学ぶことはもちろんのこと、それをビジネスの場でアウトプットするための「英語力」に加えて、世界中のどこで誰を目の前にしてもある程度自分らしく立ち振る舞える「慣れ」を身に付けなければいけないことが分かりました。
さらに、将来スポーツビジネスの中でもサッカーに関わりたいのであれば、商業的にも技術的にも世界トップのサッカーリーグ「イングランド・プレミアリーグ」があるイギリスに渡英し、そこで本場のフットボール(サッカー)文化を肌で体感しながら、欧州サッカー界とのネットワークが強いリバプール大学大学院でスポーツビジネスの専門知識を学ぶのがキャリアの一環として良いんじゃないかという具体的なアイディアが生まれました。
たらればの罠をすり抜ける
言うのは簡単ですが、一般的に海外大学院はただ願って行けるような場所ではありません。しかし、たまたま4年間フランス語を頑張ってきたおかげで、奇跡的に大学の成績がイギリスの大学院受験に必要な基準を満たしており、また大学受験で鍛えられた英語の基礎体力があったおかげで、イギリスの大学院受験で使われるIELTSという英語試験に酷く苦戦することもなく、身構えていた割にはあっさりと入学オファーをいただけました。
もしあの時〇〇していたらイギリスに行けなかっただろうな、そんな「たられば」の世界を想像すると、これまで数々のトラップをすり抜けてきた事実に驚きを隠せません。
4年後のカタールワールドカップ2022
サッカー日本代表史上初のワールドカップベスト8進出がかかった対クロアチア戦の当日、僕の姿はイギリスの大学院の卒業式にありました。
自分の名前がアナウンスされた直後に湧き上がった歓声によって、これまでの全てが肯定されたかのような安堵感に包まれたのを覚えています。
卒業式が終わると急いでパブに直行し、大学院で共に苦楽を分かち合ったクラスメイトと、それから自分をここまで育て上げてくれた家族と共に、スクリーンの前で日本代表を応援しました。
それから日本に発つ家族を駅まで見送り、僕はそのまま本記事の冒頭で述べた会社に現地就職することが決まっていたため、またひとりイギリスに残りました。
デフォルトを変えてみる
こうやって振り返ると、ただただ僕は良運と良縁に恵まれただけなので偉そうなことは言えませんが、あくまで自分の感覚として、ここまで手と足を動かし続けることができた根本的な理由(考え方)を最後に僕からの提案として共有したいと思います。
それは何かというと、そもそも人生はどんなに頑張っても失敗するものだと思って、だったら失敗そのものを楽しもうという考え方のすゝめです。
それでいうと、冒頭であっさりと触れた人生最大の挫折となった「クビ宣告」は、当時は苦すぎる味がしましたし、正直「生きるのをやめた方がラク」とまで考えたこともありましたが、今振り返るとこの楽観的なマインドをつくるために必要な薬だったのかもしれません。(もちろん、あんな苦しい想いを皆さんにも経験して欲しいなどとは一ミリも思っていませんが)
結局、人生ダメもと。
失敗して当たり前なんだから、転んでも気にせずに立ち上がれば良いし、逆に失敗がデフォルトの中で少しでも成功できたのなら、運が良かったラッキー!くらいに思えばいいのではないでしょうか。そうすれば「やってみるか」と行動できるかもしれませんし、いつまでも謙虚な大人でいられるのかなと思ったりしています。
気をつけていたのですが、かなりボリュームが出てしまいました。こんなところでこのnoteを締めようかと思います。
Life is a journey.
最後までご覧いただきありがとうございました。
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