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バイの僕は理想が高いらしい。

久々にnoteを開く。

4月に社会人になった僕は、同期という新たなコミュニティを手にした。
気兼ねなく仕事の愚痴を言い合える存在。
社会人になるまでは「仕事の関係なんて冷め切ったものだろう」
と思っていたため、同期の存在はとても有り難かった。

しかし一つ、新たなコミュニティを手にすると必ず始まるのが
恋愛話である。
どうやら、僕の周りの同期は全員恋人がいるらしい。
そしてみんな決まってストレート。
どこかで”同志”を探していたのか、ちょっとショックであったのは言うまでもない。

遊びに行く時も、Web飲み会をする時も、
恋愛話が始まる。
みんなそれぞれに価値観があって悩みがあって。
でもその価値観や悩みは「ストレートの人たちが抱える」という枕詞が入っている。
僕の同性を好きになるから、両性を好きになるから、
といったマイノリティ特有の価値観や悩みを会話に織り交ぜることはできない。

実際、話をしていてとても苦しい。

話は必ず最後に恋人がいない僕の話になる。
どうやったら付き合えるのだとか、どういう人が好きなのだとか。
そういった会話に本音で話せれば楽なのだけれど、
一つ「女性のみを恋愛対象にしたときに」というフィルターを通さなければならないのが苦痛である。

実際は本音を伝えたい。
でもバイの僕にとって、好きな人となる内面的な基準は男性・女性共に同じであって、
そこに「女性のみを恋愛対象としたときに」というフィルターを通すと
結果的に外見的な要素で女性のタイプを話さなければいけなくなる。
丸顔がいい、、背は自分よりも低い方がいい、、、
そうすると結果として、
両性に対する内面的な好み×女性に対する外見的な好みを混ぜた僕のタイプは
みんなからみると「理想が高い」となるのだ。


自分でも理想が高いんだろうなとは思う。

これまで何度も言っている社会的な幸せを求めるのであれば、
僕が付き合いたいと思うのは女性である。
でも内面的な好みだけを追って好きな人を探すと、
ほぼほぼ男性にいってしまう。
同性であることから、この古臭い日本ではある程度男性的な教育をされてきて、価値観は似ている部分が多いだろうし、
僕自身理系であり、周りの友達は理系で、理系は男が多い。出会う人は男が多い。

ふわふわと出合いを求めているといつまで経っても埒が明かないとは思っている。
そうして、好みの人を女性から探すとなると、外見、つまり
顔や体格のタイプの人をまず見つけなければならない。

今日も1人女性とご飯に行った。
話はとても気が合うのだが、
何度会っても顔と体格はタイプからは程遠い。
今回も付き合いたいという気持ちにはなれなかった。


…やっぱり僕は理想が高いのだろう。

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