【Essay】雨
空が薄らと暗くなる。湿った空気が網戸からじわじわと部屋へ入り込む。やがて雨が庭に敷き詰められた小石を細かく突き始める。
雨が入り込まないように、窓を閉めなくては。湿ったフローリングを裸足で掛け、窓まで向かう。スクリーンが半開きになった窓辺で、僕は佇む。もわっとした冷たい空気を顔に感じながら、雨粒に霞む緑の山を眺める。
薄暗い室内は、サーっという雨音に包まれる。この単調な雨音に、いかなる雑音も消えてなくなる。そこにあるのは、激しい雨という無秩序に守られた、一種の秩序だ。暖色のライトを一つ灯し、冷め掛けたコーヒーを片手に本を開く。
梅雨。ついにこの季節がやってきた。
雨は、自分が濡れなければいいものだ。
いつも眺めている景色が、その日は違ったものに見える。昨日、見えていた景色に、今日はヴェールがかかっている。
雨音、ヴェール、薄暗さ。それが窓辺に腰掛ける自分を、外の世界から隔離している。この雨が幾多の人間に恵みを与えることも知らずに。この雨が遠くにいる誰かの命を脅かしていることも知らずに。
梅雨に入ったとき、自分はタイのスコールを思い出す。明るい灰色の空から、指でつまめそうな大きさの雨粒が、チェンマイの小さな街に降り注ぐ。僕はそれを、コンドミニアムの7階から眺めていた。普段ならよく見えるドイ・ステープも、スコールの季節になれば、その姿を見せない。
この雨が、街の反対側では洪水を起こしている。この雨が、旧市街の城壁を崩している。でも、この部屋にいる限り、そんなことはわからない。雨に区切られた部屋の中で、自分は一人寝そべっている。
雨は、そこに特別な区切られた空間を作る。そこでは全ての現実が、現実味を帯びていて、非現実だ。それこそが真実なのかもしれない。
自分たちは、情報という雨に打たれながら生きている。雨に打たれながらも、自分がいる空間に、その雨は直接入ってこない。その空間で、全ての現実は、現実性を帯びていない。
その区切られた空間では、人の生も、人の死も、ただ窓ガラスに滴る水滴と化している。その雨粒は、ガラスの表面を伝って一つの筋になり、気がつけばもう消えてしまっているようだ。
その雨粒の一生を最後まで眺めるわけでもなく、画面を消して本を開く。
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