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【NGOミニマム寄稿エッセイ①】「誰か」に思いを馳せる 「自分」に思いを馳せる

 タイ北部チェンライにて「難民・孤児・貧困の子供たち」への支援をおこなっているNGOミニマムのご支援のもと、4本のエッセイを執筆することになった。NGOミニマムは、チェンライにて山岳少数民族の子どもたちを支援している。なのでエッセイのテーマも、タイの山岳少数民族から見るタイ社会の一端を取り上げたいと考えている。
 今回はエッセイを書くことになった経緯や、タイの「山岳少数民族」概要、エッセイに関するちょっとした覚書などを書き記しておきたいと思う。

エッセイ執筆に至るまでの経緯

 自分は現在、交換留学のためタイ・チェンマイに滞在している。文部科学省による官民協働海外留学支援制度「トビタテ!留学JAPAN 日本代表プログラム」の支援を受け、現地大学の社会学部における学修に加え、山岳少数民族の教育支援を行うNGOにてボランティア活動を行なっている。受け入れていただいているNGOの一つがNGOミニマムである。
 NGOミニマム(英名:Social Minimum Foundation)は、タイにおける難民・孤児の貧困支援を行う国際協力NGOだ。支援の対象はいわゆる「山岳少数民族」の系譜を持つ学齢期の子どもたち。タイ国内の3つの支援機関と連携し、4つの支援拠点にて子どもたちの学びと生活を支えている。
 私は留学開始後、現地支援機関のうちの一つである「ABU-ALI FOUNDATION」を訪問し、設立者のアリヤさんや専門学校へ通う子どもたちに会うことができた。「子どもたち」と言いつつも、大学生である自分にとっては、年の離れた弟・妹という印象だ。それぞれのエッセイに、彼らとの直接的な関連をどれだけ示せるかはわからない。あまり関係しないようにも見えるかもしれない。エッセイに書いた視点が彼らとどう関係するかは、実際に現地を訪問し、子どもたちとジャックフルーツを食べながら感じていただくことを個人的にはおすすめしたい。

「山岳少数民族」

 これは自分がタイ語を専攻し始めたときから念頭にあったキーワードだった。高校生の頃にタイの友人ができ、彼らから国境地域におけるいわゆる「エスニック・マイノリティ」の問題を知った。タイにおけるこの問題は、タイ北部のイメージの強い「山岳少数民族」に限らない。高校時代はマレーシア国境付近の「深南部」と呼ばれる地域について関心を持った。そのため、現地に住むマレー系ムスリムの社会と教育について研究したいと思っていた。大学入学以降は、現地のNGOや友人・知人に協力していただき、タイ・チェンライにて「山岳少数民族」という系譜を持つ人々の暮らしの一端に触れる機会をいただいてきた。
 興味は4年目にして興味・関心は大きく変わってきているものの、「山岳少数民族」という系譜を持つ人々の暮らしを通してタイ社会を知ろうと、大学生なりに努めてきた。このエッセイでは、そんな自分の「自由研究」の日々の中で行ってきた思索の跡を残しておきたい。

「山岳少数民族」の表象

 そもそもタイにおける山岳少数民族とは何なのか。
 東南アジア大陸部の山岳地域には、以前より多くの山岳少数民族が居住している。アカ、ラフ、カレン、モンといった民族の名前を聞いたことのある人は多いのではないだろうか。彼らは国家の支配を逃れるように移動を繰り返し、独自の言語・文化・信仰・生活様式を維持してきた、と言われている(注1)。タイではちょうどタイ北部にあたる地域がその山塊に位置している。
 今でもタイの観光パンフレットを開けば、色とりどりの民族衣装に身を包み、竹でできた家屋で伝統工芸である織りに励む写真などが載っている。山に住み、自足自給の生活をし、自らの言語を話し、民族衣装を着、昼間は畑作と伝統工芸に勤しむ。そんなイメージが作り上げられている。
 しかし、実際に山に入ってみれば、それが必ずしも当たり前でないことがよくわかる。家族を山に残し、現金収入獲得のため街に出稼ぎに行く若者がいる。村に残る者も民族衣装なんて着ていない。Tシャツ短パンといった身なりで、流暢なタイ語で話している(日本でタイ語を3年間学んできたどこかの誰かよりよっぽど流暢だ)。伝統工芸も残ってはいるが、決して全ての村で行われているわけではない。
 これを「進歩」と呼ぶか、「喪失」と呼ぶかは人によって意見が大きく変わってくるだろう。一概に判断できることでもない。

タイにおける「山地民」

 タイにおける山岳少数民族に対しては戦後、「山地民(ชาวเขา チャーオ・カーオ)」という名称が使用されてきた。タイ語の単語としては「“山(เขา カーオ)” の “民(ชาว チャーオ)”」なので、非常にシンプルなのだが、この「山地民(ชาวเขา チャーオ・カーオ)」というカテゴライズは、一般に、政策面における反共産主義が強まる時期に生成されたと考えられている。
 当時、タイ政府が「山地民」に対して抱いていた課題意識とはどのようなものなのだろうか。国家安全保障会議の議長を務めたカチャットパイ・ブルッサパットの著書『山地民(ชาวเขา)』と題された書籍が’90年に出版される(注2)。この本によると、山地民が抱える問題として以下の5つが挙げられている。

  1. 麻薬の栽培(ปัญหาการปลูกฝิ่น)

  2. 森林・水源林の破壊(ปัญหาการทำร้ายป่าไม้และต้นน้ำลำธาร)

  3. 国境の治安問題(ปัญหาความปลอดภัยทางชายแดน)

  4. 経済・社会問題(ปัญหาด้านเศรษฐกิจและสังคม)

  5. 少数民族問題(ปัญหาชนกลุ่มน้อย)

「麻薬栽培」「天然資源の破壊」は「山地民」の生活様式に対するもの。また、「経済・社会問題」は貧困、衛生への知識や意識、教育と情報といった問題を指している。「国境の治安問題」は、国家による管理が必ずしも行き届かない国境に住む山地民はしばしば治安を脅かす行為を行うと指摘しており、「少数民族問題」は、平地タイ人との文化的差異と国籍の不在から山地民がコミュニスト側へ流れる可能性を指摘している。「山地民」への一連の「開発」「援助」といった政策は、これらの課題設定からスタートしたと考えていいだろう。
 ここではこれらの課題設定やその後の開発政策の妥当性について検討することはしない。ただ、この課題設定は現代の山岳少数民族への認識や語りにも引き継がれている印象がある。しかし、公的機関による「山地民」政策は2002年に終了。公式には、政策から「山地民」のカテゴリーは消滅することになる(注3)。

「山岳少数民族」を捉える視座

「山岳少数民族」をどう捉えるのか。これは非常に難しい命題になりつつある。公的政策の不在や、近代化による空間的影響の広がりなどは、そもそも「(山岳少数)民族」という分析の対象の枠組みを非常に曖昧なものにしている。目の前にある問題は、「民族」の問題なのだろうか。それとも「地域格差」や「社会的排除と包摂」なのか。対象は「(山岳少数)民族」なのに、実際に研究したいのは「民族」ではない。そのような葛藤を抱く研究者も自分の周りには少なからず存在する。
 しかし、それはあくまで「研究」の話であり、私が書こうとしているのは「エッセイ」である。彼らの暮らしの1ページから垣間見られることについて考えてみよう、というのがその主旨だ。
 常に断っていることではあるのだが、自分はまだタイ語を専攻する一学部生にすぎない。研究分野としては教育社会学だが、それ以外の分野については専門家ではなく、タイについても教育社会学についても、まだまだ学び途中の人間だ。ここで自分の書く文章は、研究が求める緻密さには耐えられない(情報の正しさに関しては日々注意を払っている)。そして実際、そのようなことを目的に書いているわけではない。
 すでに数本が公開されているように、自分は「エッセイ」と称して短い文章を書くことが好きだ。もちろん、公開されている初期ものに関しては「投稿する」ことを目的にして書いた記事も存在する。しかし、以前から自分は「書く」ということを、何かを深く考えるために行ってきた。頭の中で常に浮かんでいる事柄に「言葉」を与え、なんとか結びつける。そうして一度書いた文章を後から読み直し、その時に感じたことをさらに付け加え、何度も何度も書き直す。書きながら、何かを深く考える。そうしてできた文章が、今上がっているエッセイだ。なので、そもそも何も結論がない文章も多く存在する。しかし、そんな文章であっても、誰かに読んでもらいたいと思うことがある。
 私がエッセイで描く個人や社会、そしてそこで起こっていることは、大方の読み手にとってほとんど縁のない世界かもしれない。しかし、たとえ事象や場所そのものが違っていても、その時に個人が感じることは実は同じようなことがある。 
 非常に大雑把な例を挙げたい。中国にルーツを持つある子どもが日本に来て、住み始めたとする。日本での暮らしの方が長くなってきたある日、彼女はこう感じた。「私は中国人だけれども中国のことはよくわからない。日本で生活して、日本の学校に通ってきたけれども、周りにとってはいつでも自分は『外国人』みたい。私の居場所はどこ?」自分のような日本生まれ・日本育ちの人間は経験したことのない場面設定だ。しかし、そこまで仲がいいわけではないが、なんとなく付き合っている友人たちといるとき、自分のような子どもも、彼女が感じたような「私の居場所はどこ?」という気持ちを抱いたことだろう。

 自分が抱いている思いは、世界のどこかにいる他の誰かも、きっと抱いている。私が書くことは、おそらく他の誰かも書いたことがある何かである。そこに純粋なオリジナリティなど存在しない。ただ、もし自分の書いた文章が、自分が取り上げた人々の境遇や思いが、エッセイを読んで下さった方自身の経験や思いに呼応して、それぞれの方が改めてご自身のことやご自身の置かれている環境についてを考えるきっかけになれば御の字だ。
 今回はNGOミニマムからご支援をいただきながらの執筆。エッセイを読まれるほとんどの方にとってはおそらく全く縁のない世界のことを自分は書き続ける。全く異なる世界の中に「自分」を発見された方が、その「自分」に会いにタイへ訪れてくださることを心から願っている。

「誰か」に思いを馳せる 
「自分」に思いを馳せる

<脚注>

注1:東南アジア大陸部における山岳少数民族の史的ダイナミズムについては、Scott, James C (2009). The Art of Not Being Governed: An Anarchist History of Upland Southeast Asia. New Haven: Yale University Press.(邦訳:佐藤仁監訳(2013)『ゾミア:脱国家の世界史』みすず書房) が詳しい。比較的手軽に読める本としては、少し古いが 岩田慶次(1971)『東南アジアの少数民族』NHK出版 がおすすめ。
注2:บุรุษพัณน์, ขจัดภัย (2533). ชาวเขา. สำนักพิมพ์แพร่พิทยา. 
注3:政府による山地民のカテゴライズの変遷については、片岡樹(2013)「先住民か不法入国労働者か?:タイ山地民をめぐる議論が映し出す新たなタイ社会像」『東南アジア研究』50(2): pp.239-272 が詳しい。

<リンク集>

・NGOミニマム
https://mawp9.wordpress.com/
・トビタテ!留学JAPAN
https://tobitate.mext.go.jp/


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