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古代オリエント文明 part2      (古代エジプト文明) 

こんにちはLandです!
今回は、前回に引き続きオリエントの地域に存在していた四大文明、
古代エジプトのお話をしていきたいと思います!


・古代エジプトの誕生

世界四大文明が発達した地域にはそれぞれ共通して、文明が発達するための大きな川が存在しており、古代エジプト文明を発達させたのはナイル川であるとされています。(古代メソポタミア文明ではティグリス・ユーフラテス川)しかし、ナイル川では氾濫が定期的に起こり大洪水を引き起こします。
なぜそのような川の近くで文明が発達したのか。

それは、氾濫が起こり大洪水を引き起こすことが上流の豊かな栄養を下流の土壌に流し込む役割を担い、豊かな土壌を創り上げました。
その結果として農業を発達させることにつながったのです。定期的に起こることから、危険を避けることもできますしね。

農業の発達は文明の発達につながり、古代エジプト文明が誕生しました。
そして、後に「エジプトはナイルの賜物」という歴史家ヘロドトスの有名な言葉が残されたのです。


・古代エジプト通史

古王国時代

古代エジプト文明の始まりは、古王国時代と呼ばれる時代からの始まりとなります。首都をメンフィスとする古王国時代の特徴はなんといっても
ピラミッドが盛んに作られた時代であるというところです。
エジプトと言われると最も思い浮かべられるものであり、誰もがその画像を一度は見たことがあると思います。

現代みたいにクレーン車などがもちろんないような時代に、あれだけの建造物を創ってしまうほど当時の王様の権力が強大であったということがわかります。
ピラミッドの中でも最大の規模を誇ったのがギザにあるクフ王のピラミッドです。スフィンクスなども並んで有名なので、ピラミッドと言われるとこのピラミッドが思い浮かべる人も多いのではないでしょうか

中王国時代

古王国時代が終わり次は中王国時代へと入っていきます。
首都をテーベとする中王国時代では、地方豪族の勢力拡大に伴いかつてほど王様の権力が強大ではなくなります。
そんな中、戦車や馬を使いこなすアジア系遊牧民ヒクソスの侵入を許してしまい、中王国時代は終わりを迎えます。

新王国時代

ヒクソスの侵入をなんとか退けたエジプトは新王国時代を迎えます。
エジプトは代々神権政治(神のお告げによって政治を行うこと)によって統治されてきたのですが、新王国時代にはその神権政治がさらに強化されるような時代となりました。

神権政治に欠かせない存在として、神のお告げを受ける神官がいるのですが神権政治の強化はこの神官の権力拡大につながります。
そうなると困るのは王様です。自身の権威が失われることを防ぐため、神官勢力の除去に乗り出した王様がいました。それがアメンホテプ4世です。

アメンホテプ4世はこれまで多神教であったエジプトを
日輪の神アトンのみを崇拝する一神教へと変え、神官勢力が強いテーベから首都をテル=エル=アマルナへと遷都します。
しまいめには自らの名をイクナートン(アトンに愛されし者)に変え、
神官が介入する余地をなくしてしまったのです。

しかし、次の王様ツタンカーメン王の時代には神官勢力は再び力を取り戻し都をメンフィスへと戻します。
その後、メソポタミアを衰退に追いやったヒッタイト人とシリアの領有権を争ったり(その横ミタンニカッシートとも争っていました)と時代が流れ、前7世紀にアッシリア王国に支配され、古代エジプトの通史が幕を閉じます。


・終わりに

今回は前回に引き続き、オリエントの四大文明である古代エジプトについての記事でした!
次回の記事では古代メソポタミア文明や古代エジプト文明が栄えた後のオリエントの世界がどのようになっていくのかを記事にしていこうと思っていますので、そちらの方も読んでいただければ幸いです。
ありがとうございました!


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