舞台刀剣乱舞 禺伝矛盾源氏物語の感想とか

思い出しながらつらつらと書き溜めていたら長くなったので、せっかく借りた場所を使わずしてなんとする。
というわけで置いておきます。ネタバレ配慮してません。


禺伝。木偶は刀剣男士だけじゃなかったんだなあ。

光源氏が刀剣男士を「刀の木偶」と言う時にどうして怒っている、侮蔑を感じるのかなと不思議だった。邪魔をする相手だから怒るのはわかるけど、木偶、と侮蔑?嫉妬?を込めるのが。
あの時代、女性は自由ではなかった。学はいらない、あの雨夜の品定めで言われている内容がもろ。それこそ人形のように扱われて唯一自由だったのが思考。和歌では足らない。物語だからこそ拡大した領域で思いを自由にさせることが出来たのが源氏物語。ただし虚構は罪悪…自由になれた世界も罪とされたのか。神も仏もない。

光源氏になった名もなき男が救おうとしたのは、その地獄を作った紫式部だけど、その紫式部もある意味では人形つまり木偶。

それを救えるのが人である自分ではなく、刀剣男士つまり彼女たちと同じ「木偶」であることに怒りや侮蔑や嫉妬のようなものも混じっていたのかなあ。彼らに斬ってもらうことで光源氏の存在証明としたかったその不甲斐なさにも噴飯もの。

名もなき男の物語も実はない。源氏物語の読者というだけで、それだけで実像を結べるほどの物語がない。どこにでもいる「誰か」。だから名もなき男。紫式部を救おうとして時間遡行軍につけこまれた彼も木偶では。そして光源氏という役を与えられなければ救う力を持てなかった自分に対する怒りと、力を持つ人ではない刀剣男士への嫉妬。

名もなき「男」が紫式部の物語に心を奪われて、地獄に落ちようとする彼女を救いたいと願う心が傲慢にも見える。虚構は罪ということを認めているわけだから。もう地獄に落ちるの確定で話を進めているんですよねこの男。それを救う自分にも酔っていたのではないだろうか初めのうちは。

虚構の中で起こる悲劇に何の意味が、と叫ぶ彼女たちの声は登場人物の声だけではなくて現実に生きるあの時代の不自由な女性たちの声にも聞こえる。
ただ、その日々の中にも喜びがあるし、偽りなく愛したことを信じられた最期なのかなと思う。若紫に光源氏を斬らせなかった歌仙の優しさというか…あれは虚構の悲哀も全て背負う覚悟のようにも見えたけど。それはそれで壮絶。

女性だけでこれらを演じてこその話だと思う。男性が入っていたら「男の言うこと」によるバイアスがかかっていたかも。それが事実であっても。女性が演じて女性があの時代を語ることで、純粋に自らを諦める悲しさや怒りが際立ったと思う。男性が入ると多分その悲しさや怒りが濁る気がする。

物語は美しい地獄

木偶たちの物語でまさに禺伝

禺は寓でもあるらしく、寓話。比喩による物語、擬人化によって語られる話。刀剣乱舞の世界観そのものを示す話でもあったのか。

源氏物語のオープニング曲とか歌の部分が悲しくなるというか切なくなるというか。光源氏の空虚とは違う虚ろが女性たちにもあったのかなあと思った。だから憎くても愛しい。似ているから?

関係ないけど名もなき男というとTENET思い出す。これはあなたの物語かもしれない「名もなき」誰か。劇中、観客に向けてのメタ的な台詞もありましたね。刀剣男士のこの戦いが虚構であったら…と。

御前、愛を語るどこかの小烏丸を思い出す。しかしこれ壮大な愛の物語だもんねえ

一挙手一投足全て指先に至るまで綺麗。扇子を持っての舞が雄々しく美しくてマジで惚れる。OPタイトルコール前の自由な舞のところで見える各々の身体能力の高さよ…御御足を高々と上げる御前に姫鶴一文字にときめいた。

山鳥毛が踊る時に少し膝に角度をつけるところが好き。

南泉一文字が一家にめちゃくちゃ愛されている孫感。

博識御前。古今東西の伝説物語に精通し、相手方の土俵に入って交渉も出来るとか政府刀すぎるのに、たまにニカッと笑ってみせたり茶目っ気出したりとギャップ。

骨が〜の下りで、あの角スコで掘ったのかとか実際に出たら警察と坊さんがやってくるしその後何かあれば神主も来るので大変だとか考えていた。実際色々あるので大変みたいです。

数多ある説の一つをまとうことで刀剣男士はいかなる変化を、の実験。すんなり着脱可能(?)でアビスのボン卿のカートリッジを思い出した。物語のキメラ。


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