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台湾人になりたかった(6)”ハーフ”という呪縛と母

こんにちは、Mikiです。今回で一旦、最終回です…!!
前回までの記事はこちらから!

台湾人になりたかった(0)自己紹介
台湾人になりたかった(1)母に中文で話してと頼む
台湾人になりたかった(2)台湾短期留学
台湾人になりたかった(3)祖母の葬儀
台湾人になりたかった(4)鏡映しとの出会い
台湾人になりたかった(5)父の中文

  父との中文教室をやめた頃、私は大学卒業に向けての課題や卒論執筆に奔走していました。そんな時、アメリカと日本の"ハーフ"である友人S(※私と同級生)に、「卒論で”ハーフ”について書くためにインタビューさせてくれないか」と依頼されました。私はちょうど休学中に自分が”ハーフ”であることについて色々考えていたこともあり、喜んで受けました(ちなみに私自身の卒論テーマには”ハーフ”のハの字も入っていません笑)。

  今回は友人Sの多大なる協力のもと、内容を適宜引用しながらまとめていこうと思います。

(突然連絡したにも関わらず快く協力してくれて
本当にありがとう…!)


卒論協力のインタビュー

  インタビュー内容はざっくり、

自分が”ハーフ”であることについて、
どんな風に感じ、受け止め、考えてきたか。

  私の場合、小さい頃は自分が”ハーフ”であることをポジティブに捉えていました。
  日本の幼稚園に通っており、当時母から「(日本と台湾)どちらの文化にも触れられる(家庭)なんてうちは特別だよ、良いことだよ」という言葉を日常的にかけられていたからです。
「他の人と違って特別」というのは当時の私には嬉しくて、小学生に上がってからも”ハーフ”であることを誇らしく思っていました。

しかし段々と、

”ハーフ”である=中文を話せる(話せなくてはいけない)
”ハーフ”になりたい(=なれていない)

と思うようになっていきました。
これがまさしく、「”ハーフ”の呪縛」です。


友人Sの分析

  友人Sは私の話したことをたくさん分析してくれました(引用の「」部分は私がインタビュー時に話した内容、太字部分が友人Sによる分析)。
※許可を得て適宜編集・加筆しています

”ハーフ”という呪縛

  ”ハーフ”が「呪縛」になったのは、母が(幼い私にとって)完璧だったというところから始まります。

「ハーフがすごいっていう(風に思っていた)のは、母が結構完璧だったからかもしれない。お母さんはハーフじゃないんだけど、日本に3年くらい留学して、その時も日本語を勉強して、今は通訳やるくらいだし、普通に聞いただけじゃ日本人か台湾人か分からないくらい流暢なんだよね。そういう姿を見てるから。一番身近なバイリンガルが完璧すぎたんだよね。(お母さんは)日本と台湾の歴史についてもある程度は知ってるし、今思うと、台湾にも日本も長く住んでるし大人だからある程度知っててもおかしくないんだけど、子どもの自分にとってはその母しか見本がいなかったから、ハーフっていうよりもバイリンガルに対して、『バイリンガルすげえ』って。『ハーフ=バイリンガルが普通なのでは?』みたいに思ってた。(バイリンガルじゃない人が)いるとしても、バイリンガルが9割くらい占めてると思ってて。そんなことないんだけど(笑)」 

(Mikiは)理想の「ハーフ」像と自身のギャップに苦しんだ。「ハーフ」とはすごい人のことなのに、自分は全くそうではない、と感じていたからだ。そのような「ハーフ」像を持つようになったのは、母親の影響が大きかったという。

※「」:Mikiの発話、太字:友人Sの分析

「ハーフ=バイリンガル→」という単純で乱暴な図式。

私、めっちゃくちゃ母の影響受けてるやん。

  今までの話でも、幼少期に母から、ハーフは「特別なこと、良いこと」と言われ、中学には母に中文で話してと頼んだり祖母の葬儀の”通訳”に衝撃を受けたり、「」という単語がものすごく使われています。
※ちなみに(1)~(5)では平均10回以上使われていましたw(検索時に「母語」や「祖母」などは除き「Mikiの母」のみカウントしています)

「中国語がどんどん上達するにつれてやっと『ハーフらしく』なってきたな、台湾人要素が出てきたなっていう感じかな。(中略)それまでは、自分を台湾人だと証明するものが何もなかったんだよね」

(Mikiが)中文に力を入れた理由は、他にもあった。それは言語面でしか「自分が『ハーフ』である」ことを証明できなかったからだ。
台湾人としての要素を得るために、中文を習得することは重要だった。(Mikiにとって、)中文こそが自分を「ハーフ」たらしめるものであった。

※「」:Mikiの発話、太字:友人Sの分析

そうそうこれだよ!その通りだよ!
私には中文しかなかったんだよ!
薄々気付いてたつもりだったけど、
人に言われるほど明らかだったのか、
”ハーフ”という呪縛も、母という存在のデカさも。

  自分の気持ちを人に言語化してもらったことで、やっぱりそうかという承認感や、なんだかホッとしたようなそんな安堵感がないまぜになった不思議な気持ちになりました。


”ハーフ”という呪縛から解き放たれる

  私が”ハーフ”の呪縛から解き放たれたきっかけは、鏡映しの存在Yを始めとする、自分以外の”ハーフ”との出会いでした。

「そこ(地球一周の船旅)で会ったのが、アメリカと日本のハーフだったり、アメリカ育ちで大学から日本に来たっていう人もいれば、小6まで中国にいたけどそこから日本に来たとか、結構言語に対する経歴がばらばらで。あとトルコと中国のハーフで日本育ちっていう人とか、とにかく色々いて。『見た目で分かるの面倒だよね~』って話に『あ、そうなんだ~』って思ったり、『どっちかの言語をしゃべれないと変にがっかりされるよね』とか共感できることもいっぱいあって、ありきたりな言葉だけど、『あ、自分ひとりじゃないんだ』っ思ったのが結構大きかったかな」

休学中に経験した地球一周中に出会った、多様な背景を持つ乗客の中には、(Mikiと)同じような境遇をもつ「ハーフ」を含め、様々なバックグラウンドを持つ人々がいた。彼女らに会ったことで、いわゆる「『ハーフ』の『理想像』」は母親だけではない、と(Mikiは)気づいた。そしてその視点から自分自身を見た時、自分が「ひとりじゃないんだ」、様々な形の「ハーフ」がいる中の一人なんだ、と思うようになった。ここで、それまで母親に対してしていた「自分もなるべき姿」という意味付けが薄れ、「母親のように日本語も中文も流暢」というわけではなくても、「自信持ってハーフって言って良いんだな」、「台湾人の要素を認めてあげても良いんだな」と思えるようになったと言えるのではなかろうか。

※「」:Mikiの発話、太字:友人Sの分析

  ”ハーフ”でもどちらかにしか住んでいなかったり、どちらかしか話せない人もいます。  そんなことは重々承知しているし、他の”ハーフ”の方がバイリンガルじゃなくても、どちらかの歴史や文化を知らなくても、「へぇそうなんだ」と、特に何も思いません。
  それなのに私は、自分に対して実にレベルの高いことを求めていたのです。

  • 中文を話せるのは当然

  • 台湾のことをよく知ってるのは当然

  • 日本語を話せて当然

  • 日本のことをよく知ってるのは当然

そう、ができるみたいに自分もできなきゃ。

日本語も中文も話せるは、"幼い"私のロールモデルでした。

でもは”ハーフ”じゃない。
そして、私じゃない


現時点での結論。私はいったい何者なのか?

  私は、自分が何者なのか言葉を探してきた中で、今までで一番マシな答えに辿り着きます。

”ハーフ”って言葉にこだわらなくてよくない?
母が台湾人、父が日本人。それでよくない?

  しごく単純なことでした。なんなら特別な帰省の時に気付いていたことでした。
  幼少期〜中学、高校、大学、そして現在。自分の中に落とし込むまで、こんなにも時間がかかってしまいました。

  なんだそれが結論かよ、と思ったそこのあなた。そうです。それが現時点での結論です。

台湾人になりたかったMikiは、
日本人ではありません
台湾人にもなれませんでした
"ハーフ"にもなれていません

だから、「言葉」に当てはめることをやめました。

私は、私。

ありきたりだけど、私にはそれがよかった。


こんにちは、Mikiです。
私の父は日本人、母は台湾人、
私は、私です。

以上!

最後まで読んでいただきありがとうございました。


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