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【上達には法則がある】もちろん外国語の上達にも…という話

前回の記事では、「臨界期仮説」をとりあげて、外国語の習得にとって年齢は決定的ではないことを紹介しました。それならば、開始年齢以外になにが大切になってくるのでしょうか?

今回は、上達のために必要なのはなにか?もしかすると、法則みたいなものがあるのではないか?について考えていきたいと思います。と言いますのも、 ほんとうに法則があるのであれば、知って利用しない手はありません。

まず、この点に関して、外国語だけに限った話ではないものの、岡本浩一先の『上達の法則』(PHP新書、2002)がとても参考になります。このなかで、岡本先生は、「上達には法則がある」と明確に言い切っています。そして「上達をするためにはその法則を会得していることが大切である」「その法則を把握できている人は努力の効率がよい」と述べています。

ということで、この上達の法則を、あわよくば外国語の上達にもあてはめよう、というのがこの記事のメインテーマとなります。

上達の段階

さて、上達について考える際には、上達の過程で辿る段階について目安があった方がよいでしょう。それは、以下のとおりです。

  • 入門者・初級者:上達の努力を始めたばかりの人、技能や技法を身につけようとしている人

  • 中級者:ある程度の技法は身につけた人、入門者・初級者が上手になった人、上達途中の人

  • 上級者:一人前と考えてよいだけの知識と技能を持っている人。同業者、同行者で何かしようとする際に、足手まといにならず、自分も十分に楽しめる水準にある人。その技能ができることで自分自身の楽しみや生き甲斐を持ち、生活に潤いを感じることができる人。

一見して、語学学校のいわゆる「初級」「中級」「上級」クラスの分類と比べると、かなり趣が異なっています。

語学学校のクラス分け…一通りの基礎を終えるのに1年かかる?

語学学校のカリキュラムを見ていただくと、だいたい、文法事項を分割して、「入門」「初級」「中級」「上級」に割り振っている場合が多いです。

たとえば、スペイン語は、動詞の「時制」が多く、また、その活用が非常に華やかな言葉です(なので、時制の違いによる表現の奥行き、陰影も深いです)。このうち、「入門」では直説法現在、「初級」で点過去と線過去、「中級」で未来、過去未来、「上級」で接続法、命令法という具合に、動詞の時制や法をもとにカリキュラムが割り振られるケースが多いです。

言い換えれば、「上級」まで終わらないと、スペイン語を運用するために最低限必要な一通りの文法事項が網羅できないということになります。そして、各段階のコースには、だいたい春夏秋冬の一シーズンが当てられますので、文法事項を終えるのにほぼ1年が必要となります。

ただ、命令法は、日常会話ではよく使われますし、また、難しいことになっている接続法も、スペイン語では願望や疑い、感情・気持ちを表すためにふつうに使われます。いずれにしても、1年近くやらないと文法体系全般が終わらないということでして、なかなか実戦に打って出ることができないというのは遅い気がします。

外国語上達の過程を岡本先生の分類に当てはめると

これに対して、岡本先生の分類はかなり異なります。「入門者・初級者」は、接続法を含めた文法事象を一通り身につける段階といえるでしょう。語学学校のでいう、「中級」「上級」クラスまでを含んでいます。そして、次の「中級者」は、一通りさらっと身につけた文法事象について、さらに上級に向けて、これを使えるように実戦訓練をしている段階に当たるでしょう。

さらに、ここで重要なポイントがあります。上級者はたんに中級者が上手になったというものではなく、中級者と上級者との間では「質的な差」があるという点です。だからこそ、上の定義で、上級者の記述が厚くなっていますね。たんに技能の面だけではなく、その技能を通じた自身の充実度という意味においても、上級者とは特別な存在なのです。

それでは、中級者と上級者との間の「質的な差」とは、いったいどういうものなのでしょうか?

中級者と上級者の「質的な差」…ものの見え方が変わる

それは、上達の途上で、「ものの見え方」がグンと一段上がったという実感を持っているかどうかの違いです。この「見え方が変わる」という経験をした人が上級者です。ある程度の訓練が必要な技能であれば、訓練を経てその仕事に対する「センス」が備わり、今までの経験を多少超えた事柄に直面しても、落ち着いてだいたいの見当がつくようになるといいます。

私の経験が参考になるかわかりませんが、初心者の頃は、外国語の記事は、ただのアルファベットの羅列、単語の羅列にしかみえません。当然、意味がとれないので、とても長くは根気が続きません。とても苦しい過程です。これが、「見え方が変わる」体験をすると、文章を初見で眺めた際に、もちろん知らない単語は多少混じっているものの、動詞、目的語、修飾関係などといった、骨組みとなる構造がパッと目に飛び込んでくるようになります。また、Webラジオを聞いている時には、いままではたんなるBGMだったものが、単語の一つ一つや話されている内容が頭に入ってきてしまうので、いわゆる「ながら仕事」ができなくなります。

直感的にわかる

このような状況について、岡本先生は、将棋の例を挙げて、あるレベルを超えると、具体的な詰めの手順がわかる前に、「相手の王が詰んでいる」ことが直感的にわかるようになると言います。詰んでいることを直感的に掴んだうえで、あとは具体的な手順を探す順番になります。なにかスゴイはなしです。将棋の藤井聡太さんも、もちろんこういう感じであるはずです。

これを仕事の場面でたとえると、初めての、ちょっと難易度高めの案件を前にした時に、それでも、「なんだか行けそう」と最初にピンと来ることってありませんか?そうであれば、しめたもので、あとは具体的なやり方を検討し、企画・計画を立てたうえで、実行していくプロセスとなります。これに似ているかもしれません。

上級者になるために大切なこと…「ひとつのものを深める」

さらに、中級者から上級者になるために、「鳥瞰的認知を高める」「理論的思考を身につける」「精密に学ぶ」「イメージ能力を高める」などなどの方法が紹介されています。それぞれの具体的な中身について紹介すると長くなってしまうので、原本を読んでいただくとして、このなかから、ひとつ特徴的と思われる点を、私なりの理解(独断と偏見かもしれないので、すみません)で、ご紹介します。

それは、「得意なものにこだわり」、理論書を読んで本格的な理論を学び、なにか一つの事柄について深い精密練習をやって「ひとつのものを深める」ことをやっていくうちに、さらに「それを中心として全体が見えるようになる」ことです。

言い換えると、全体を総花的に、中途半端にやるのではなく、なにかひとつのものを決めて、理屈も含めてとことん深めていくこと。そうすると、深めたひとつを軸に全体を鳥瞰できるようになるということです。

もちろん、これは、中級者が上級者にステップアップするために必要なことについて言っています。ですから、スタート地点として、すでに中級者の段階に入っていること、ある程度の技法を身につけていること、すなわち、外国語で言えば、文法体系全般をさらっと終えていることが前提になります。

ひとつのものを深める例:「齋藤メソッド」

こうしたひとつを深める方式の訓練について、岡本浩一先生は、桐朋音楽大学の故齋藤秀雄教授による「齋藤メソッド」を例として挙げています。「齋藤メソッド」とは、一つの曲を選ぶとおびただしいエネルギーを注入して、その一曲だけを仕上げていく方法です。

音楽をやっている人でないと齋藤メソッドに触れる機会はないでしょうけれども、スイスのレマン湖畔で行われた、若き優秀な音楽家たちの合宿の様子を記録したドキュメンタリー番組がネット上で視聴できますので、以下にリンクを張っておきます。雰囲気がかなり伝わってきます。
"Le souffle de la musique", Seiji Ozawa International Academy Switzerland

このドキュメンタリーの中で、参加者の一人が次のように語っています。「ひとつを深めること」に関するとても的確な証言となっていると思います。

普段、レッスンでは、次から次へと、どんどん弾けと言われる。ここでは全く反対。仲間たちと、たった一楽章か、二楽章を2週間かけて練習する。と、あるとき、音楽が自分の肌の中にしみ込んでくる。

Le souffle de la musique, Seiji Ozawa International Academy Switzerland, 6分25秒 

なお、この合宿に関して、作家の村上春樹さんも、エッセイを書いていますので、これもご参考です。
『小澤征爾さんと、音楽について話をする』(新潮文庫、2014)

外国語上達の法則への応用

脱線して申し訳ありません。外国語の上達に話を戻します。

外国語学習成功者の研究をされている竹内理先生は、「ある程度の基礎力が身についたら対象言語の学習にどっぷり身を浸す機会を持つ学習者が、格段の上達を示す」とし、これは、必ずしも「聞く」「話す」に限らず、「読む」「書く」でもよく、現地に行く必要は必ずしもないようだと指摘しています。(『より良い外国語学習法を求めて 外国語学習成功者の研究』竹内理、2003

そうだと思います。岡本先生の「上達の法則」にも沿っています。

今回はほんのさわりだけとなりますが、「上達の法則」を意識しながら、外国語を身につけるための、私なりに考える理想形は、おおよそこんなステップになるのではないかと考えています。

  • ステップ1:完璧でなくてよいので、とにかく、比較的短い期間に基礎文法を最後まで終えてその外国語の文法体系をざっくり把握する。(入門者・初級者)

  • ステップ2:現代文の精読。ステップ1で学んだことを使って実際の文を丁寧に読み、定着させる。実戦の練習試合みたいなもの。題材は興味の持てるものがよい。(中級者)

  • ステップ3:個人のニーズに応じて、とにかく深める。「読む」「聞く」「書く」「話す」のどれか、でも良いし、ジャンル(芸術、科学、料理、文化などの切り口や、特定の国や地域の切り口など様々)を選んでも良い。(中級者⇒上級者)

ポイントは、ステップ1をダラダラやらず、直後に精読を軸にして、使えるように実戦で鍛えることだと考えています。この点については、とても大切な点ですので、記事をあらためて書きたいと思います。

一芸に秀でた人に幸いあれ

「一芸に秀でるとは多芸に秀でる」とも言います。外国語以外の分野でなにかをかなり深く身につけるという経験をしたことがある人なら、その時のご自身の経験をぜひ思い出してみてください。外国語を身につける際にも、きっと参考となるはずです。

あるいは、「一芸に秀でたものがない」と嘆く必要はありません。子どものころとか、なにかに熱中した経験はありませんか?どんなことでも構いません。それで、結構いい線まで行ったりしたこととか?

今回は長くなってしまいました。最後までお読みいただきありがとうございました。

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