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たまに一人旅をしないと、私でいられない(碧い国/ラオスのソーセージ)

目が覚めると、8時半過ぎだった。

WAYHA HOSTEL
ドンムアン空港から車で10分くらい

明るくなって、眠気もなくなってからよく見るとなかなか洒落たホステルだ。セルフサービスの朝食でカオトムを少しだけ試食して、朝市に向かった。

昨日寝たのは2時ごろだった割に、9時過ぎにはホステルを出ていたので我ながら頑張った方だと思ったのだけれど、朝市はすでにエンドロール上映中だった。

ひと商売終えて遅めの朝食をとっているお店の方々に混ざるのも何だか申し訳なかったので、朝市は諦めて散歩をすることにした。

東南アジアの道端で、いつも何となく羨ましいと思うのは、この野外と屋内の境が曖昧な生活環境だ。
コインランドリーに屋根はあっても壁はない。家のドアも窓も大体開けっぴろげで、ともすればプライバシーもセキュリティーもなしという感じで。

私たち日本人が「ビアガーデン」に異様な愛着を持っているのは、普段、野外と屋内の境が明確な生活をしているからなのかもしれない。
東南アジアのローカルなお店に行くと、野外/半野外のような場所に席があって、外の空気を感じながら飲食店できる。

日本人にとって外で飲食するのは"特別"だから、私たちはビアガーデンに強い憧れを持ってるのでは?ビアガーデンというカテゴリーが日本以外でどの国にはあるのか気になった。

結局、1時間ほどの下町徘徊ではめぼしい食料が見当たらず、空港まで移動してから、私の(今までの経験上)世界で一番好きなスイーツ「カオニャオマムアン」を食べた。

ココナッツもマンゴーもモチ米も大好きだけれど、全部を一度に食べるなんて考えもしなかった。まさに三位一体。カオニャオマムアンを考案した方に大感謝。ひょっとしたらタイ人もいちご大福に対して同じことを思っているのかもしれないけれど。

バンコクからラオスに向かう便は、この旅で初めて定刻通りに出発した。そしてこの旅で初めて、通路側の席だった。

離陸して、今までと同じようにさて考え事でもするかと思ったのだけれど、窓の外が見えないと、ぼーっとしていても何も思い浮かばない。私は、ただただ目的もなく”動き続ける”ものを眺めるときに、自分の思考と向き合うことができるのだと気づいた。

そう思うと、人間が目を瞑っているあいだ、瞼の裏の血管の流れが見えたりしなくて本当に良かった。
もし、さぁ寝ようと目を瞑った途端に毎度そんな映像を見せられたら、今頃私は睡眠前の考えすぎで脳みそが爆発していたかもしれない。

ルアンパバーンの空港に着いた瞬間から、私の親友がラオスを愛している理由がよく分かった。一面が深く深く、碧かった。

ルアンパバーンにいる間は、個室のホテルをとった。

バルコニー付きのステキな小部屋。雨戸のない大きな窓も、自分でブレーカーをあげないと点かないライトも、全部愛おしい。

チェックインを終えて、夕食には早すぎたのでプーシーの丘を登ることにした。

たった25,000キープで買った1リットル弱はありそうなフレッシュジュースを抱えながら登ったから、無駄に息が上がってしまった。

こんなにも樹木を、森を愛おしく思ったのは初めてなのではないか。
ずっとマイナスイオンというものの存在を信じていなかったけれど、自然と深呼吸したくなるあの空気には、マイナスイオンがたくさん含まれていたのかもしれない。

頂上にはストゥーパとお祈り用のお堂があった。
鳥になった気分で街を眺めているとスコールに襲われて、頂上にいたみんなでお堂の中に避難した。

お堂の中にはたくさんの仏像が置いてあった。
金ぴかで棒立ち、肉髻の上に細長い巻き貝みたいなものが生えた、私の知らないお地蔵さん。
靴を脱いで中に上がるのは日本と同じなのに、仏像のスタイルは全然違った。

ナイトマーケットで、私はもっとラオスを好きになった。

ビール2本と焼き立ての串焼き盛り合わせ、全部合わせてだいたい750円。こんな国と恋に落ちずにいられるわけがない!

ビアラオも例にもれず、東南アジアのスッキリビールで、でも、ホワイトは少しだけヨーグルトか乳酸菌のような、爽やかで個性のある味だった。

日本に帰ってきた今もずっと忘れられないのは、このラオスのソーセージ。

これはソーセージではなくステーキと呼ぶ方が正しいのではないかと思ってしまうほど、肉肉しくて、濃厚な味わいだった。

ナイトマーケットで声をかけてきたドバイに住んでいるという上海人はなぜか滝のように汗をかいていたけれど、東京に比べるとずっと過ごしやすい気候だったと思う。

あっという間に夜になり、たった数時間前に着いたとは思えないほど、ラオスに愛着を持っていた。

とにかく、(少なくとも私のような素人物書きにとって)大切なのは、自分の思考が解放される場所に身を置くことだと思う。

私にとってのその条件は「自分のタイミングで日常を遮断できる環境で、自分の思考と向き合ったり、社会を観察できること」

それがラオスには、一人旅にはある。

最近、気づきたくなかったことに気づいてしまった。

私はずっと自分のことを「割と社交的な」人間だと思っていた。平均よりは社交的だし、人と話すのが好きだと思っていた。

だけど、私が本当に好奇心を刺激されるのは「あなた」ではなく、「あの人たち」みたいだ。

心底信頼している友人は別として、大した関わりのない会社の人やマッチングアプリで知った誰かと話すよりも、旅先でアノニマスな人たちの行動を観察したり、”旅人と現地の人”という構図を割り切った上で会話する方がよっぽど面白い。

日常から隔離された孤独な状況、9時のニュースに載らない”マニアック”な地域、社会、文化、そんな環境で私は彼らと、そして私と向き合い、自分の存在価値を思い出す。

ひとり旅の醍醐味は、朝起きて今日何するか決められること、気を遣わずに好きな場所に行けることよりも、「日常と切り離された環境で究極的に孤独になり、自分の脳みその中をまじまじと覗き込める、純粋に知らない世界と向き合える」ことだと思う。


最低でも年に1回はこういう時間をとらないと、私は私が誰だったか忘れてしまうから。



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