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『ゴジラ -1.0』レビュー 吉岡秀隆の名台詞「ひとりの犠牲者も出さないことを誇りとしたい!」を噛みしめる

『ゴジラ -1.0』のテーマのひとつ——「命を粗末にしない」ということ。
もしかしたら観客にとって、あまりに当たり前なことかもしれない。しかし、山崎貴監督はこれをド直球で投げかけてきた。

『ゴジラ -1.0』の主人公は、生き残ることに罪悪感を抱く男・敷島浩一(神木隆之介)。作中世界の1945 年当時、彼は零戦に乗る特攻隊員だった。しかし敵兵との戦いからも、離島で出くわした怪獣・ゴジラとの戦いからも、ただ「逃げる」ことで生き残ってきた。何も根っからの卑怯者だったわけではない。手が震えて一発も撃てなかっただけだ。

せっかく生還した敷島を周囲の人物は「恥知らず」となじる。こんな敷島は戦争の無情を体現している。歴史上、「生き残ること」=「許されざること」とみなされた時代が確かに存在した。作中で言われるように、太平洋戦争という「玉砕」を前提とした悪魔的国家事業がまかり通っていた。

映画の中盤、これに対するアンチテーゼが唱えられる。元海軍技官・野田(吉岡秀隆)が対ゴジラ作戦の決行前夜に放った名台詞だ。

「今回の民間主導の作戦としては、ひとりの犠牲性者も出さないことを誇りとしたい!」

野田は決して奇麗ごとを言っているのでも、夢物語を話しているのでもない。「敵と刺し違えてでも」という戦い方を強いたかつての時代と向き合い、勇気を振り絞ってNOを宣言したのだ。

これまで山崎監督は、「生き残ること」の象徴として戦闘機パイロットの脱出用パラシュートを映画の中で何度も登場させた。『永遠の0』(2013年)や『アルキメデスの大戦』(2019年)を振り返ると、米軍のパイロットはずっと前からパラシュートを当然のごとく着けているのに、その様子を日本人兵士はただ「ポカン」と見つめるばかりだった。

そして今回『一1.0』のクライマックスのシーン。
山崎監督作品を追い続けた筆者としては、やっと日本人がこの道具のことを真剣に考えるようになったのかと感慨深かった。長かった。あまりに長かった!

以上のような戦争の歴史をゴジラ作品として描く意味は何だろうか?

劇場には、小学生や杖をついた高齢者の方も詰め掛けていた。ゴジラというエンターテイスントを通じてなら、とんでもなく幅広い世代へメッセージを投げかけることができる。そして日本国内だけでなく、世界市場に向けても。だから今後も、戦争の無情を伝えるべくゴジラにはどんどん頑張ってほしいなと思う。

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