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Lifestyle|フィンランドのクリエーター図鑑 〈16.ハンナ・ブロテルス〉

デザインや自然、食べ物など、様々な切り口から語られるフィンランドの魅力。そんな中、フィンランドに何度も訪れている宇佐美さんが惹かれたのは、そこに暮らす「人」でした。このコラムでは、現地に暮らし、クリエイティブな活動を行う人々のライフスタイルやこれまでの歩みをご紹介。さて、今回はどんな出会いが待っているのでしょう。

首都ヘルシンキはまた一つ季節が進み、朝晩は氷点下まで気温が下がる日も多くなってきました。今月末にはサマータイムが終わり、時計の針を1時間戻して日本との時差は7時間になります。

この町を拠点に、ダンサー、振付師、監督、作家としてマルチに活躍の場を広げる、ハンナ・ブロテルスさん。多様なバックグラウンドをもつ人々と協働しながら、数多くの作品を創出する舞台芸術のパイオニアとして国内外に知られる一方、専門知識を活かしてボディコンディショニングやエクササイズなどのワークショップも定期的に開催しています。

今回は、社会に散りばめられた光のかけらを集めて光彩を放つ、クリエーターの暮らしの根っこを紹介します。

Hanna Brotherus(ハンナ・ブロテルス)/ ダンサー、振付師、監督、作家

ハンナさんは、フィンランドを代表する作曲家ジャン・シベリウスと妻のアイノが家族とともに晩年を過ごしたトゥースラで、のどかな子ども時代をおくりました。バレエを踊ったり、裁縫をしたり、野山で草花を摘んだり。小さな村の学校は生徒がわずか12人で、冬になるとスキーで野原を越えて通学することもありました。

「5歳の時、母が私をバレエスクールに連れて行ってくれました。最初のレッスンで、自分は踊ることが好きなのだと悟りました。身体で語るバレエ用語や、その表現技法、音楽と組み合わされた舞踊の美学に惹きつけられました。」

早い段階で芸術の道を志したハンナさんは基礎教育を修了すると、舞台芸術の表現を学ぶことができる高校へ進学しました。さらに、舞踊や演劇の分野でフィンランドを代表する芸術大学の一つ、ヘルシンキ芸術大学演劇アカデミーダンス学科の振付師養成プログラムで学び、舞踊芸術の修士号を取得しました。在学中、アムステルダムのニュー・ダンス・ディヴェロップメント・スクールへの交換留学は、振付への興味を深める大きな転機になりました。

「ハイレベルな振付研修プログラムに参加し、とても興奮しました。振付とはダンスを書くことであり、魂を宿した思想を身体言語に翻訳する作業です。振付こそが私の天職だと感じています。」


ハンナさんが国内外でダンス芸術について学びを深めるのとほぼ同時期に、新たなジャンルの舞台芸術が世界各地で同時多発的に誕生し、それらはのちにコンテンポラリー・ダンスと呼ばれるようになりました。

「私を舞踊の道へと誘ったのはバレエがきっかけでしたが、後にコンテンポラリー・ダンスが私の舞踊スタイルになりました。」

バレエは、中世ヨーロッパ宮廷の無言劇や仮面劇から独立して進歩し発展した舞踊劇です。バレエでは通常、ダンサーは歌詞のない音楽を伴奏に、踊りや身振りで感情を表現します。一方、コンテンポラリー・ダンスでは、語りや台詞、映像、楽器演奏、歌唱、コント、パフォーマンス、舞台美術や衣装など、ありとあらゆるすべてのものが表現手段となります。舞踊技法においても、コンテンポラリー・ダンスには、バレエやモダン・ダンス、舞踏などが融合され、作家独自の技法や美意識が投影されます。

1996年、ハンナさんは振付師としてのキャリアを築く最初の作品〈 Laulu Onnesta 〉を上演しました。11歳から70歳までの幅広い年齢層の出演者と創り上げた作品は、女性の人生と4世代間の繋がりを描き、デンマークで開催された国際児童青少年演劇祭でフィンランド代表作にも選ばれました。

「私はこれまで手懸けたダンス作品の多くで、少女性や母性、女性らしさを題材に選んできました。その動機には私自身が女性であることはもちろん、長い間、最も私の身近だった妹のラウラの存在がありました。彼女は服飾デザイナーで、よく一緒に仕事をしました。世俗的な価値観や感覚からかけ離れることのない、地に足の着いた主題と本物の素材から、視覚的に興味深い芸術を創造したい。その渇望が私たちを団結させたのです。」

ハンナさんの作品には、トップレベルの芸術家だけでなく、薬物中毒から回復しようと懸命に努めている人や、幼稚園児から高齢者まで、様々な境遇で生きる人々が老若男女を問わず出演します。

「私は勇気を持って本物であり続ける方法を知っている人が大好きです。プロフェッショナルの高度な技術表現は素晴らしいものですが、演技をしていない子どもやお年寄りの姿ほど感動するものはありません。草原の花はどんなに華麗にアレンジメントされた花束よりも美しく、子どもの絵はその誠実さにおいて完璧ですから。」

2009年に発表した〈 En lähde täältä salaa 〉は、振付師としてのキャリアの根幹となった作品です。当時、「100年に1度の金融危機」ともいわれたリーマン・ショックによって、フィンランド経済も大幅な景気後退に見舞われました。経営に打撃を受けた企業は雇用が維持できなくなり、オフィスや工場の人員削減や規模縮小、閉鎖などで対応に追われていたのです。ハンナさんはこの作品を通して、困難な場面に直面している生活者一人ひとりに自分たちの人生についてそれぞれの視点を見つけることを訴えかけました。

黙ってこの場を離れてなるものか。タイトルには、生きることの切実さが滲みます。舞台に上がったのは3人のプロダンサーと、地元の混声合唱団のメンバー50人でした。彼らは歌い、駆け出し、飛び跳ね、横たわり、表現者としてその場に存在することで、観客に人間らしさを見せつけました。灯火消えんとして光を増す。ハンナさんはこの作品を病床の妹ラウラさんに捧げました。


4人の子どもたちが独立し、50代を迎えたハンナさんの人生は新たなフェーズを迎えました。踏み出したのは作家としての道。『Ainoa kotini』(2021年)は、紆余曲折を経た自身の人生をありのままに解き放ったオートフィクションです。

「私にとって文章を書くことは、この上なく素晴らしいことばのダンスです。ことばの流れは、呼吸に近いものがあります。鼻や口から吸い込んだ空気が気管を通って再び肺に送られる。内なる場所から外の世界と繋がったことばは再び、心の一番奥へと戻ってきます。」

外国を旅行する時、その国のことばを理解できずにコミュニケーションに苦労することがあります。もしもこれが母語だったら、もっとスマートに気の利いた返しができるのになぁ…、私自身これまで何度も悔しい思いを経験しています。流暢な語学力を欠いていても会話が成立するのは、その言語に精通している人たちがことばの余白を味わって、話の意図を理解しようと努めてくれているからだと思います。

芸術作品を鑑賞する場面でも、同様のことが言えるのではないでしょうか。それまでの経験や判断の蓄積によって十分に咀嚼されたことばにはエネルギーが宿り、障壁を容易に越えて私たちの心に届くのかもしれません。

\ ハンナさんにもっと聞きたい!/

Q. 私たちの社会にはどのような課題があると考えますか?
不平等の問題があります。私はすべての人が等しく言論と表現の自由を所有し、個人の生が尊重される環境に暮らす機会を有するべきだと考えます。

また、私たちが抱える大きな問題として、今が十分幸せな状態なのに「何かが足りない」とどこまでも欲をかく貪欲さと、まわりへ目をくべることなく自分の利益や立場だけを考えてわがまま勝手に振る舞うエゴイズムを指摘することができます。そうした状況が、お互いへの恐怖として現れるのだと思います。

Q. 心身ともに健康な生活を送るために、どんなことに気をつけたらいいでしょうか?
人生は短いです。私たちの身体こそが私たちの「家」で、魂の神殿として守られなければなりません。そのためには、私たちには自然が必要です。人間は自然の一部です。

また、自分を愛することを学べば、他の人を受け入れるのが容易になります。生活や人生が立ち行かなくなったとき、自分の限界を認識し、自分の身体を知り、その声に耳を傾ける方法を知ることが重要だと思います。私たち一人ひとりがその人自身の最高の専門家であると信じています。

Q. ダンス、振付、監督、作家とマルチに活躍されていますが、表現へのアプローチにはそれぞれどのような違いがありますか?
創造性は人間が生きてゆくための基本的な能力です。創造するとは、存在しなかったものを生み出すことを意味します。創作活動を行ない、アーティストとして生きるということは、どのような視点で物事を見つめるのか、存在するのかを意味します。書いたり踊ったり、描いたりと表現の仕方はそれぞれですが、単にどのようにして楽しむか、その違いに過ぎません。

私は、芸術形式の表現をさまざまな方法で区別する必要性をそれほど感じていません。自然を例に考えてみても、例えば鳥は、時には巣を作り、時には飛ぶこともあります。だからといって、彼らが鳥であることに変わりはないですよね。

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