布施の条件

 布施の条件
 
 仏教では布施には三つの条件があるという。
 まず、布施をする人の心が清くなくてはならない。つまり、私はあなたに布施をしているのだから、あなたは私に感謝すべきであるなどという意識があっては布施にはならない。しかし、私たち凡人は、どうしても相手に返礼を期待したり、感謝の気持ちを求めたりする。相手に対して全く感謝の気持ちや返礼を求めずに施しをするというのは非常に難しいことだ。
 それから、布施をもらう人の心も清くなくてはならない。現代の日本の僧侶は、戒名を付けただけ、あるいは読経しただけで何十万円ものお金をもらう。「お布施」としてこちらが差し出した金額が少ないと、これでは少ないという。このようなことでは「布施」は成立しない。また、布施を受ける人が卑屈になったりしてもいけないのだ。
 さらに、施物そのものも清らかでなくてはならない。分かりやすく言うと、たとえば盗品を施しても、布施にはならない。
 さて、キリスト教でいうチャリティー則ち「慈善」と、仏教の「布施」の違いは何であろう。
 チャリティーは、身体障害者や高齢者などに対する社会福祉、貧困地域の飢餓救済、紛争地域の難民救済、または災害や事故などの犠牲者や遺族に対する支援活動として行われることが多いようだ。そうだとすると、「慈善」とは相手が可哀相だから恵んであげるという意識に基づく行為であろう。
 一方、布施には「財施」「法施」「無畏施」の三種があるという。布施をする人は施主とか檀越あるいは檀徒と呼ばれる。布施の種類については、伝統的には上に記述したような種類があるという。それぞれに、意味合いが違うようだ。
 財施とは、金銭や衣服食料などの財を施すこと。
 法施とは、仏の教えを説くこと。
 無畏施とは、災難などに遭っている者を慰めてその恐怖心を除くこと。
 さらには、「無財の七施」というのもある。
 1 眼施(がんせ) 慈眼施ともいい、慈しみに満ちた優しいまなざしで、すべてに接することをいう。温かい心は、自らの目を通して相手に伝わる。
 2 和顔施(わげんせ) 和顔悦色施ともいう。いつもなごやかで穏やかな顔つきで、人や物に接する行為のことを指す。喜びを素直に顔の表情に出せば相手も幸せになれる。
 3 愛語施(あいごせ) 言辞施(ごんじせ)ともいう。文字通り優しい言葉、思いやりのある態度で言葉を交わす行ないを指す。
 4 身施(しんせ) 捨身施ともいう。自分の身体で奉仕をすること。身体で示すことをさし自ら進んで他のために尽くす気持ちが大切であるという。さしずめ、東北大震災の際などに、がれき処理などのボランティアに当たられた人達は、無意識のうちにこの布施を行ったのだ。
 5 心施(しんせ) 心慮施ともいう。他のために心を配りばり、心底から共に喜び共に悲しむことができ,他の痛みや苦しみを自らのものとして感じ取れる心持ち。
 6 牀座施(しょうざせ) たとえば自分が疲れていても電車の中で喜んで席を譲る行為。また競争相手にさえも自分の地位を譲って悔いなく過ごせることを指す。
 7 房舎施(ぼうしゃせ) 風や雨露をしのぐ所を与えること。自分が半身濡れながらも、相手に雨がかからないように傘を差し掛ける思いやりの行為など。
 
 ここまで見れば、「布施」はみんなが幸せにならないと自分も幸せになれないから、自分のために施しをするのだと思われる。だから、受け取ってくれた人に感謝しなければならないのである。何かをしてあげた時に、お礼を言われないことにムッとすることがあるが、「布施」の機会をいただいたとこちらが感謝するべきである。それが仏教の考え方なのである。
 この考え方は、タイなどに旅行に行ったことがあるひとならば、理解できるはずだ。
 自分を中心軸として、お気の毒な立場だからということで施す「慈善」と「みんなが幸せにならないと自分も幸せにはなれないからと行う「布施」には、海と山ほどの違いがある。
 
 

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