【短編ボツ小説】時法

 その日の朝のニュースでは、卑弥呼がドヤ顔で神からのお告げを聞かせている姿が赤裸々に映し出されていた。
 来年からは教科書に卑弥呼の顔がカラー写真で載せられることになるのだろう。

「誠治、また隣の部署に手柄を取られたの?」

 何も知らない母親が朝飯を机に置きながら俺にそんな事を尋ねる。

「前にも言っただろ。全部の部署が新聞記者みたいにスクープを探しているわけじゃないんだって」
「だったらもう少し派手な仕事をたまには貰えたっていいのにね」

 叔父さんの部署ではそんなに大きな仕事は任されないんだよ、とは口に出しては言わなかった。俺は携帯を触ると差し迫る電車の時刻に気付き、急いでトーストを胃の中に押し込む。

「行ってきます」
「ちょっと待ちなさい、お爺ちゃんに挨拶をしてから」

 俺は母親の言葉を無視すると、重い足取りで大学へと登校を始めた。



 大学行っても何もなかった、なんて二回生の俺が言うのも変な話だ。
 けれど、実際そうだから俺は頭を悩ませている。部活もサークルにも入らずバイトで使う予定のない金を稼ぎ続けているだけの俺に未来はあるのだろうか?

「だから、キミも何か始めてみたらいいじゃないですか」

 その日の昼休み、食堂で昼飯を取っていた濱谷が俺にそんな気のない言葉をかけた。

「何かって何だよ」

 きっかけは俺の何気ない愚痴だった。
 濱谷は法学部でも有名な人間で、学生ながらにして様々な団体と関わりを持っている。その凄さは社会学部である俺の耳にも入ってくるレベルだ。

「例えば、事業をやってみるとか」
「出来るわけないだろ。目的もないしポシャるのがオチだ」

 俺はそう吐き捨てながら箸を麺へと滑らせる。

「それなら、今夜知り合いの議員さんと交流会があるんですがキミも来ますか?」
「いいよ。何の知識のない俺が行っても実入りが何も無さそうだし」

 濱谷は俺のそんな姿を見て嘆息する。

「キミは要領が良すぎて消極的なのが欠点だと思いますね。折角滅多に経験の出来ない職場で働いているんだから、それを活かしたらどうですか?」

 滅多に経験の出来ない職場、濱谷のその言葉が俺の中で少し引っかかる。

「歴史修正プロジェクトなんて前衛的な事業に関われているのはこの大学でもほんの一握りだけだと思いますよ」
「俺はただのバイトだって」


『歴史修正プロジェクト』


 それが現在俺のアルバイトとして携わっている仕事の通称だ。
 それは六年前、米国が時を遡る装置、タイム・マシンを発明した瞬間にまで遡る。

 タイム・マシンの誕生は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』や『ターミネーター』を彷彿とさせ、人々を熱狂させたが結局はそのような危ない装置が一般化されるわけもない。
 失われた過去の歴史を修正するという目的でのみ使用を許可されている。
 その立ち上げに起用されたのが叔父の会社であり、丁度アルバイトを探していた俺は高収入であるその仕事の手伝いを任されることとなったのだ。

「まあ、考え方は人それぞれだと思いますけどね」

 濱谷がそう言って話を纏める。そしてすぐに新しい話題を出した。

「そういえば、先ほどの講義で『時法』が取り上げられていましたよ」
「そうか」


 俺は興味無さそうに濱谷に返事をする。
 時法とは、タイム・マシンの実用化に伴って作られた法律だ。

「知っていますか? 時法は色々と未完成で、特に日本の民法の分野に関しての時法はほとんど何も制定されていないんです」
「そりゃそうだろ。どうやったらタイム・マシンと民法が結びつくんだよ」

 俺が観た映画では、時を遡って行う犯罪のほとんどは未来の知識を用いた賭博や歴史の改変だ。そのほとんどを取り締まる法律は刑法に記載されている。
 幾ら何でも今回は濱谷の言っている事は間違っている。
 しかし、濱谷は俺のそんな心を見透かしたように奇妙な笑みを浮かべた。

「例えば、死んだ人間に一目会うために時法を犯す。これは刑法に引っかかると思いますか?」

 俺は、その問いに何も答えることが出来なかった。



 やはり濱谷に聞いたことが間違いだったのだ。
 俺はそう結論付けながら叔父の勤め先の部署の扉に手をかける。
 すると珍しく叔父が出迎えてくれた。

「おお誠治君早いね、それじゃあこれが今日の君のノルマだよ」
「叔父さんお疲れ、今日は休講だったから」

叔父から受け取った書類に目を通しながら俺はパソコンのモニターがズラリと並んだ部屋に移動する。既に何人かの社員が作業を続けていた。

 俺は専用のモニターに目を通しながらデバイスを書類通りの年代・場面・時刻に設定する。
 これはタイム・マシンだ。とはいっても過去や未来に行き来できるわけじゃない。色々と機能が制限されており、可能な事といえば過去の好きな映像を観る事が出来る程度である。
 俺は書類と画面の差異を淡々と別のデバイスに打ち込んでいった。


 今日の仕事を終えた俺は電車の中で携帯を取り出してタイムラインを覗き始める。
 そこに映るのは輝いている人間の笑顔ばかりだ。濱谷が何だか偉そうな人間と握手している写真まで目にする。何故みんなそんなに輝いて見えるのだろう。

 途端に自分の存在が惨めなものに思えてきた。

「ああ、面白くない」

 こんな日は何を考えても悪い方向へと行ってしまう。もう今日は早く帰ってゲームでもして鬱憤を晴らそう。

「ただいま」

 俺が家に帰ると誰もいないようで家中がガランとした静寂に包まれていた。
 机の上に残されていた書置きとラップで包まれた夜飯を発見する。
 そこには夜飯のメニューと今日は両親共に家に帰る事の出来ないとのこと、そしてお爺ちゃんをよろしくという旨の言葉が書かれていた。

「面倒くさいな」

 俺の祖父は既に晩年を迎えている。祖母に先に逝かれてしまい、不憫に思った父親が今更ながらの二世帯住宅を提案したのだ。
 祖父の意識はかなりハッキリしており、俺の用意していたお菓子を勝手に食べてしまうのが目下の悩みだ。

「あれだけ元気なんだ。一日くらい面倒見なくたって大丈夫だろ」

 俺はそう結論付けて夜飯を自分の部屋の存在する二階へと持ち運ぶ。
 パソコンを点けてディスクを挿入する。俺は唐揚げを一口摘まんだ。じゅわっとした食感が仕事で疲れた身体に活力を取り戻してくれているようだ。

 今日は好き勝手に過ごさせてもらおう。
 俺はそう心の中で結論付けると、マウスを手に夜を過ごした。


 そうして、夜は更けて行った。





 声が聞こえる。
 それは母親の聞きなれた声だった。

「起きなさい! 誠治!」

 徹夜明けなんだからもう少し寝かせてくれよ。

「誠治! お爺ちゃんが!」

 母親の鬼気迫る声で、俺は反射的に目を覚ました。
 母親が目の前で泣き崩れる。そして俺が、自分の行った過ちを理解するまで時間はそうかからなかった。



 葬式は非常に小規模の場所で行われた。まだ生きているほんの一握りの友人達、後は俺たちやその親族だ。
 岸山希代三郎、そう書かれた張り紙を俺はぼうっと眺めていた。

 俺のせいだ。俺がちゃんと看ていれば。

 胸にぽっかりと空洞が出来てしまったようだった。焦燥が直ぐに怒りへと変貌を遂げていく。

「誠治君、この度は本当にご愁傷さまです。聞いたよ、君が気に病む事じゃない」

 喪服を着た叔父さんが俺の前に現れて優しく声をかける。
 やめてくれ。反射的に先日俺が心の中で考えていた事を思い出す。 


『叔父さんの部署ではそんなに大きな仕事は任されないんだよ』


 祖父の最後も看取る事が出来なかった俺が何をほざいているんだ。
 俺には、何もなかった。





 あれから三日が過ぎた。
 告別式も終わり、いつも通りの日常を取り戻し始める。

 そんな中、俺は未だ引きずったままで図書館へと出向いていた。
 タイム・マシンや時法、更にはタイム・マシンを保管する場所について調べる日々が続く。俺は何度も書架と座席を往復した。

 無理だと分かっていても、俺は過去へと戻る方法を調べずにはいられなかったのだ。

「タイム・マシンはあるっていうのに、何で過去に戻れないんだよ」

 その理由は心の奥底では分かっている。俺みたいな人間は山ほどいるからだ。
 それでも、俺はこの言葉を零さないわけにはいかなかった。

「過去に、戻れたらいいのになあ」

 過去に戻って、祖父に謝罪したい。ただそれだけだった。
 そんな折に、俺は妙な参考書を見つけた。その中にはセンスの悪い豹柄のしおりが挟まっている。

 次の瞬間、俺の表情は驚愕に染まった。
 しおりが挟まっていたページには謎の書き込みがあったのだ。


『十一月二十一日××社 作業室机ノ中』 


 性質の悪い冗談としか思えなかった。寒気が全身を駆け回る。
 十一月二十一日は今日だ。まるで俺がこの参考書を今日読む事を見計らったように、この参考書には叔父の働く会社の名前が刻まれていた。
 もうすぐバイトの時間だ。もしこれが偶然ではなかったら、俺は直ぐにでも会社へと向かい作業室の机を調べなければならない。

 俺は会社へと向かって走り出した。

 電車で三駅、そして十分ほど歩いたところでいつもの作業室に到着する。誰も見ていない事を確認すると俺は自分のデスクの中を調べ始める。

「あった」

 二段目の机に、それはあった。
 全く見覚えのない電子プラグがそこには存在した。



 休憩時間中、俺は揺れる動悸を押さえつけて濱谷へと電話をかけた。
 このプラグを本物と仮定したとして、俺が今から行うのは犯罪だ。だから絶対に抜け道は必要なのだ。

『もしもし。珍しいですね。どうしましたか?』
「この前、日本の民法で時法は全く機能していないって言っていただろ。それについて少し教えてくれないか?」

 俺がそう言うと濱谷は少し黙り込んだ。急すぎたのだろうか? しかし濱谷はすぐに何かを察したようで俺の問いに答え始める。

『少し時法とは外れた話をします。日本の契約において、海外と全く異なる部分があることを知っていますか?』

 濱谷はそれを『誠意条項』と言った。

『海外では契約を破った場合に備えて契約書に多大な罰則が用意されています。しかし日本ではお互いの誠意を重んじるためにほとんど罰則が記載されていないんです』

 俺は少しそれに感心する。しかし今俺が聞きたいのはそういう話ではない。

「それが時法にどう繋がるんだ?」
『キミがそのバイトを始める時、全然書類を渡されなかったのではないですか?』
「ああ」

 濱谷の言う通りだ。とんとん拍子に事が進んだために俺は普通のバイトと同じような最低限の書類にしかサインをしていない。

『時法もその程度でしか条文が用意されていないんです。誰も厳重に保管されているマスター機を使用して犯罪といった犯罪をしないような人間が現れると思っていないんですよ』

 俺は濱谷の言葉を聞いて確信した。つまり俺の今からやろうとしている事は法律にも会社のルールにも引っかからない。つまり捕まる事はないという事だ。

「ありがとう、濱谷」

 そう言うと俺は携帯を閉じた。



 俺は勤務時間が終了しても家へと帰る事はなく、休憩室に潜み続けた。
 やがて社員全員が帰宅するのを見計らうと、叔父の使っているタイム・マシンのリーダー機の前にやって来る。俺は迷わず電子プラグをそこに挿入した。


『タイム・マシンの起動を確認しました』


 画面をクリックする。


『年代・場面・時刻を決定し、タイム・トリップを行う範囲を設定してください』


 飛ぶ場面はトイレ辺りでいいだろう。時刻は俺が二階へ上がった少し後くらいか。そして範囲を選択していよいよタイム・マシンを起動させる。


『それでは、タイム・トリップを開始します』


 不思議な光が辺りを包み込み始める。
 俺は、タイム・トリップをしたのだ。





 目を開けると俺は見慣れたトイレの椅子に座っていた。
 それと同時に、ダンダンと誰かが階段を駆け上がっていく音が聞こえる。どうやらちょうど俺が夜飯を二階に持って行っている時間帯にトリップしたらしい。

「すごい、本当にタイム・トリップをしているんだ」

 俺は興奮して息を荒げてしまう。しかし、本来の目的は忘れてはいない。俺は祖父に会って謝らなければならないのだ。

「よし」

 俺はトイレの扉に手をかける。そして俺は隣の和室に行くのだ。そういった未来図が既に脳裏によぎっていた。

 しかし、次に俺の目に映ったものはまるで想像していない光景だった。

『こちらタイム・パトロール隊。岸山誠治容疑者を拘束に成功しました』

 俺の目の前には大量の捜査官。
 そりゃそうだ、俺はそう思いながら気を失った。





 俺が目を覚ますと、全体が真っ白な空間にいた。

「やあ、お目覚めかい?」

 叔父が俺に声をかける。

「ここは?」
「ここは時の留置所だよ。タイム・トラベラーを拘束するための場所さ」

 なるほど。場所が特定されにくいような内装にしているのだろう。

「叔父さんはどうしてここに?」
「契約書がザルだとお叱りを受けてね。それと君の関係者という体で呼ばれたんだ。それにしても君にしては随分思い切った事をやったもんだ。とりあえず、僕に着いてきてよ。悪いようにはしないから」

 叔父はそう言ってすぐに俺に背を向けると、この部屋唯一の扉へと向かい始める。そして片手でその扉を開いた。
 扉の向こうは、まるで裁判所のような場所だった。

 しかしその場所に人影はほとんどなく、裁判長のような人間が遠巻きに頓挫しているのが見えた。

「裁判長、誠治君をお連れしました」
「ああ、ありがとう。そこにかけてくれ」

 言われた通りに俺と叔父は座り込んだ。

「君が誠治君だね。どうやってタイム・トリップしたかは答えられるかい?」

 裁判長が俺に問う。
 俺はそれに対して、一切の言葉が沸くことはなかった。そうか、やっぱり俺はタイム・トリップをしたのかと思う程度である。
 俺の記憶からは完全に「どうやって」タイム・トリップをしたのかという部分だけが切り取られていたのだ。

「全く、今我々は君がどうやってタイム・トリップをしたのかという件で大忙しだ」

 裁判長が頭を抱えながら俺の瞳を覗き込む。

「やはり未来から干渉があったようだね。君の記憶は少し切り取られているようだ。恐らく誠治君は無罪で釈放されるよ。君を裁く法はどこにも見当たらないしね」

 俺は安心のため息を吐いた。どうやら俺と濱谷の予想が当たったようだ。
 けれど、同時に目的は果たせないでいる事に気付く。
 自分のやった事に後悔はしていない。けれど満足する事も出来なかった。

「それでは本題に入ろう」

 裁判長はそう言って俺たちの座っている前までやってくる。そして一枚の紙を俺に手渡した。

「契約書、ですか?」

 男は頭を縦に振る。俺の今回のタイム・トリップに関する記憶を消去するのだそうだ。その代わり、今回の件は丸く収めてくれるらしい。
 それは願ってもいない話だ。

「分かりました」

 俺は渡された契約書の項を埋めていく。その途中で俺はある項目の存在に気付いた。

「あの、この血縁者のサインは叔父が行うんですか?」
「いいや。君の叔父はそこにサインすることは出来ない。かといって君の両親をここに呼ぶことは出来ない。だから我々は、今回の裁判の重要参考人として呼んだ方を特別にお呼びすることにした」

 裁判長はお入りください、と俺が先ほどまで寝ていた部屋に呼びかける。
 ゆっくりと扉が開き、若い男性が顔をのぞかせ、そしてゆっくり車椅子を部屋の中に運んだ。

「じ、爺さん?」

 叔父さんと青年は笑って俺の驚きようを見ている。

「どうせ記憶は消されるんだ。それに決して褒められることではないが、祖父のために君は自分のことを顧みず決断をしたんだ。それならこれくらいの幸運があったって罰は当たらないだろう?」

 俺は気恥ずかしさと、もう何が何やらぐちゃぐちゃで上手く祖父の顔を見れなくなっていた。

「話は聞いたよ」

 祖父はゆっくりと口を開いた。

「よくここまで来たな、誠治」
「爺さん、ごめん。俺どうしても謝りたくて」

 祖父は俺の謝罪を聞いてもやはり口を綻ばせているばかりだ。

「儂は誠治がこんなところにまで謝りに来てくれただけでも満足だ。どうやら、儂の記憶は消去されないようだしな」

 祖父が目配せをする。

「ええ、希代三郎さんは何も規則を破ってはいませんからね」

 男がかぶりをふりながらそう言う。それを聞きながら爺さんは契約書にサインをした。

「それでは、記憶の消去を行いますよ。目を瞑ってください」

 言われた通りに目を瞑る。
 最後に、爺さんの言葉が聞こえた気がした。


 じゃあな。





 目が覚めると俺は見覚えのない病院にいた。
 何故か濱谷が隣で俺を看ている。

「何で俺、病院で寝てるんだ?」


 どうにも昨日からの記憶が曖昧だ。爺さんのことで思いつめいた気がするが、なぜか今はスッキリとした気分だ。

「知っていますか? 今朝、民法の時法が大幅に改正されたようですよ。奇しくもキミは民法の時法についての質問をされています。不思議な事もあるものですね」

 俺にそんな覚えはない。
 少し、寒気がした。

「それにしても、少し目つきが変わりましたね」
「まあ、少しだけ目標が出来たからな」

 濱谷が驚いた表情で俺の顔を覗き込む。

「どんな目標ですか?」
「時法について詳しく勉強してみようと思うんだ。自分の仕事のことくらいよく知っとかないとって。変か?」
「いえ、良い事だと思いますよ。多少ならお手伝いしますし」
「そっか、ありがとう」

 俺たちは意味もなく笑い合った。ひとしきり笑い終わると濱谷が何かを鞄から取り出した。

「そうだ、目標が見つかった記念にこれをあげますよ。といっても、先ほど本屋で貰ったものですが」

 それは、とても奇妙な猫柄の栞だった。

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