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美しさと世界との折り合いをつけること

ずいぶん前に、初めてコンタクトをつけたときの話。


右目、左目、の順に装着していくのだけれど、

片目だけつけたときと、両目につけたとき、世界の見え方が全く変わる。


何を言っているんだ、当たり前のことだろう。と思われるかもしれないけれど、

お洒落をしたり、お化粧をしたりする上で、これって結構重要なことかもしれない。


例えばわたしのコンタクトの場合で言えば、右目だけコンタクトをつけたときは、自分の肌が落ち込むほど汚く見える。

色黒に見えるし、肌には色ムラが。おまけにクマもなんだかひどく感じる。わたしにとって右目の度数だけ調整した世界は、あまり幸せではない。

だからそそくさと左目にコンタクトをつけると、世界は一変する。

透明感が復活し、色もいくぶん白く、先ほどよりよっぽど綺麗な肌がお目見えするのである。


だけどこれ、どちらの世界が真実だと言い切れる?


言い切ることなどできない、きっと。


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他にも、ヨーロッパに住んでいたときにこんな出来事があった。

いわゆる黒い瞳のわたしは部屋の灯りが暗いと思って、煌々と電気をつけようとするのだけれど、

青やヘーゼル色の瞳をした同居人は、それを眩しいと言うのだ。

彼らの言うには、黒い目はそれだけでサングラスをしているような効果があるので、

淡い色の目をした人々はそれより眩しさを感じやすい、とのことだった。(科学的な根拠は調べていないけれど、なんとなく納得する理屈ではある、と思う。)


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それで、何を言いたいかというと。


あなたが「自分の瞳」で最高に美しい自分をつくり上げたとしても、

「他人の瞳」にも同様の美が映っているとは限らない。なぜなら私たちは、色彩も眼球の湾曲も、視力も、すべてが違っているから。


そしてここから、


他者に同様のものが見えているとは限らないから、人の言うことなど聞かず、自らが美しいと思うものを、自分の瞳を使って選び出していいこと。

他者との調和で出来上がっている世界だから、違う眼を持つ人間の見え方も(違うという前提を持った上で)ときには参考にして良いこと。


という一見相反するような基準が導かれる。


見え方はそれぞれ違うから、あなたはあなたに見える世界を、自分で美しく彩ればいい。それはもう、思いっきり。

そして他者の視線を意識したときに、あなたが美しいと思う世界は、いったい誰に見せたい世界なのか。それを見せてあげたいし、相手の世界を見たいと思うようなひとは誰なのか。

絶対に同じものが見えない世界で、似たものを美しいと思い、似たものを憎み、あなたが信頼できると判断した、違う瞳のひとに、是非とも話を聞いてみてほしい。

すると世界は少しだけ広がるはずだ。


例えばわたしは、ランジェリーやナイトウェアはひたすら自分の好みや憧れで選んで良いと思っているし、一方で洋服は友人や恋人に似合っているねと褒めてもらえれば嬉しくなる。

そうして自分と他人を調和させて、世界とは上手くやってきたつもりだ。


自分の眼を信じること、そして他者の瞳を使ってその美しさと世界の折り合いをつけること。


コンタクトレンズをつけるたび、そんなことを考えている。









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