正気な気がす

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「自己肯定感低い人間には評価は最高のスイーツだ」

断る力が欲しい。 もう若手ではないし安請け合いではけしてない。電話がかかってきた時に、用事があってと断ろうかなとも考えた。 「でも、この人は私に期待して仕事を振ってくれたのだろう」 自己肯定感低い人間には評価は最高のスイーツだ。よく考えれば、相手は貴方だから頼んだとは一言も行ってないのだが都合よく解釈。世はまさにポストトゥルース。「探せ、この世のすべてを置いてきた」とゴールデンロジャーのコスプレをしたトランプが叫んでいる。 大後悔時代の始まりである。 そもそも取材相

    • 「取り戻せない青春」とか思いつつ、美しい青春とか実はなかった

      運動がてら見知らぬ駅から見知った駅へと歩く。 自分と同じ道を行く人が増えていく。「旅は道連れ世は...」あたりで、あっ向かう先に大学があるのだと気づいた。年寄は私だけ、みんな学生だった。 大学は箱根でたまに聞くT大だ。大学の内は突っ切れそうもないから、外周を歩いていく。気温はまだ暑いが、16時には日が落ち始め、オレンジの光が背中から当たり、正面に帽子を被った人の影を作る。 横を見ると柵の向こうにコンクリートで作られた少し古い建物があった。7階くらいはあるだろうか。いかに

      • 説教じゃなく「私も同じ思いをしたこともあります」がいい

        時に人間、愚痴を言いたくなる。なんなら「そうだね」「私も同じ思いをしたこともあります」と共感が欲しくなる。 とはいえ、愚痴を言える行きつけのバーや、心無い相槌を打つキャバクラ嬢の店も知らない。 だから一人言ではなく、かすかな希望をもってSNSに書き込むのだが、これがよくないらしい。フォロワーが乾いたかさぶたのようにポロポロとなくなっていく。そんなに親しく無い人から説教じみた言葉もいただく。愚痴の代償はなかなか大きい。まだ反応があるだけましなのだろうが、でもまあしんどい気持

        • 「出川哲郎」と間違えたからといって人は死ぬんだっけ?

          XのアカウントのDMが解放されていたので、そっとメールを送った。 「記事、楽しく拝見しました。クリエイターとなるべき部分がクエリエイターとなっていましたので、差し出がましいとは思いつつご連絡させていただきました」 表だっての指摘ではなく謙虚に。取るに足らないことではありますが、という気持ちを忘れずに。 かつて新聞社で数年ほど校閲記者をやっていた。人が書いた記事の間違いを探し、指摘し、赤字を入れ、直す。マイナスをゼロにする仕事で、どうやってもプラスにはならない。何も生み出

        「自己肯定感低い人間には評価は最高のスイーツだ」

          あれはZAZYか岸田か

          国会図書館を出て、目の前の緑がいちょうだと気づく。紅葉はまだかとひとりごつ。ただ利かない鼻の奥に銀杏のあの臭いがする。さっき見た木の並びには黄色くなり身を落としたいちょうが並んでいた。 小学高学年って早熟な子もいれば、幼い子もいるよなと思う。 横断歩道を渡り終えると、左手の門に逆三角形で「止まれ」と書いてある。これは交通標識なんだろうか。門まで車が突っ込むなら、止まれの指示には従いそうにない。最後の良心に訴える施策か、はたまた日本的な「警告してました」の言い訳づくりか。な

          あれはZAZYか岸田か