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実験7日目2/3「地球が綺麗ですね」

黒曜石を思わせるような宙に、青い星が浮かんでいた。
この義体と「彼女」の故郷、月面の IMR 本拠地に自分は立っていた。
あと1時間で、自分は元の体に戻ることができる。

実験初日、下層の街で呆然と立ち尽くしていた自分は、夜空に浮かぶ月を眺めていた。そんなことが、途方もなく昔の事のように思えた。
同時に、あっという間だったような気もした。
どちらにせよ、この義体との1週間がやっと終わる。
遂に終わってしまう。
願ったり叶ったりだ。
名残惜しい。
清々する。
本当に良かったのですか?
これでいいんだ。
嫌いになった?
……嫌いじゃないさ、最初からな。

自分自身と、ますきゃっと義体のそれぞれが、在るべき処に還る。
元通りになるだけ。

……本当にそうなんだろうか?

2020/07/04 21:00<実験再開>

コントローラの充電を終えて、再び VRChat にログインした。
その直後、自分の元に次から次へとワールドへの入場申請が届いた。
所謂 Request invite だが、この申請を承認すると、自分の居るワールドにその人を招待できる。

ワールドにはインスタンスという概念があり、1 つのインスタンスに入室できる人数の上限がある。
場所によって異なるが、15~40 人程度入ることができる。
しかし、同じインスタンスに 25 人を超える人数が集まると、自分の PC の
グラフィック性能が限界を迎えてしまい、VRChat の動作が遅くなったり、フリーズしたり、最悪の場合ソフトが落ちることもある。

まぁ、そんなに人が集まる事は大人気イベントでもない限り無いのだが…。

さて、ログイン直後の自分は特に何も設定していないので VRChat デフォルトの「ホームワールド」に居る。
ここには鏡と、初心者に優しい案内(英語)がある。
流石に人を招き入れるには味気ない場所なので、人が入りやすそうな場所に移動した。

BAR イベントのワールドに移動した。
店舗前に飾られている自分の姿をした銅像を横目に、戸を突き抜けてカウンターの中に居る店主に簡単に挨拶をした。

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私を見るやいなや、店主が目の前で量産型の自分に着替えたので
「なんで!?」
と、言ってしまったが…まぁ、この何日かで何度も見た光景ではある。
実験最終日ということで、見物人がいつも以上に多くやって来きた。
自分の思うデフォルトのますきゃっとは、どこぞのサイバーパンク野郎と違って人当たりが良い。
挨拶をしてくれた人の前に歩みっ寄って丁寧にお辞儀したり、カメラを向けられればポーズも決めていた。慣れたものである。
いつもの俺が見たら泣くぞ。

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大きな心境の変化から、今までで一番ますきゃっとになっていた。
昨日までの自分をよく知っている周りのフレンドは、この変貌に動揺した。
「何があったんだ…!?」
「本当にますきゃっとになっちゃった!」
「DJ⑨さんは何処にいっちゃったの…?」
「何も喋らなくなっちゃった……」(ここ『イノセンス』っぽいと思った)

一方で、どちらかと言えば多数派な意見が
「遂に堕ちたか」
「ずっと、ますきゃっとで良いよ」
「可愛い方が楽しいよ」
という、VRChat の日本人コミュニティにおける男性のユーザーの一般的な在り方に自分が近づいたと判断するものだった。

……そうじゃない。

VRChat ユーザーにとって、自身の利用するアバターがどんな位置づけで、どのような想いを抱いているかは、本当に人ぞれぞれだ。
服として認識している人も多いし、普段の自分と別人格として運用している器用な人や、より真の自分に近い存在と思っている人も居る。

では、自分の場合はどうなのかと言えば
「基底現実をそのままぶら下げてやって来たメタい奴」
だと自分自身を捉えている。

わざわざ仮想世界に来てまでそんな無粋な真似を!?と、思われるかもしれないが、SF 作品でこういったテクノロジーは「夢の技術!」「何でもできる!」と、冒頭で謳われて、結局のところ現実とは切り離せないというオチに至るのが鉄板だ。
実際に自分もそうだと思っている。
これは、決して受け売りではなく、作品を咀嚼して、飲み込んで、納得した上での自分の結論だった。
なので VRChat を始めるときから「リアルアバター」という「錨」を自分のアバターにすると決めていた。

だが、「イエーイ!この世にサンタクロースもオタクに優しいギャルも居ないぜ!現実を見な!」等と言って回るような真似をするのは無粋すぎる行為だ。
フィクションを見て「有り得ない」とか「物理的におかしい」なんて言って喜ぶよりも、空想の状態の物を如何に現実に近づけるかと考えて、現実化するための努力をする方がずっと「粋」だと思っている。

だから、基底現実と仮想現実を行き来きできるデザインを自分自身に求めた。これは、割とうまくいっている。
何も知らなければ、自分をリアルアバターだと他人から思われないし、知っていても意識しなくなるのだ。

モブキャラっぽいというのも重要な要素だ。
花道は「主役」のためにある。
自分は、誰かの物語に綴られるような器じゃない。
そういうちょっと卑屈な認識が、自分の中にずっと存在していた。
やるとしても、自己完結する範囲でないと恥ずかしいと思っていた。

ところが、この実験により自分は「のらきゃっと世界」に
「量産型のらきゃっと義体に入れられた人格」として踏み込んでしまった。
恐るべき解釈違いに精神を擦り減らし、羞恥心に震える細胞が発熱して身を焦がす!燃えよミトコンドリア!

現実と仮想そして自己完結した創作の中の自分、それぞれが複雑に絡み合って並行する混沌とした精神には「暗黒メガコーポの美少女型義体に押し込められたサイバーパンク野郎」という俺も漂っていた。
「こんな屈辱は無いぜ」と、自分に対して嘆いていた。
それが、徐々に変質し、今では「譲ってやってるんだ」と、言っていた。

実験最終日の昼から夕方のログイン中に「可愛いと思える自分」を見つけたことで、自分の精神とますきゃっと義体の心理的な障壁が薄くなっていた。
自分の精神を守る殻と、ますきゃっと義体の間に存在するギャップが埋まったことで、ますきゃっと義体を通した世界との繋がりを、この輪郭を持った自分自身で世界を感じたいと願うようになっていた。

……断じて、堕ちた訳ではない。残り時間が限られているから器に魂をなじませてやっているのである。
少しの間だけ、それを許したに過ぎないのだ。
どうせ、全て元に戻るんだから。

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BAR ワールドでゆったりと可愛いムーブを無言で続けていた。
喋らずに自分の動きに集中している方が、この義体との繋がりをより深く感じる気がした。長い髪、よく揺れる尻尾、見慣れてしまったスカート…本来の自分には存在しない物の慣性を想像しながら動いていると、自分の精神とますきゃっと義体が溶け合っていくような感覚があった。
それは少しだけ怖かったが、残された時間を意識すると「貴重な体験を記憶に残しておきたい」とか「今の自分を覚えておきたい」という気持ちの方がが勝っていた。
可愛いますきゃっとにお願いされているような気がして、まぁ断り切れなかったのかもしれない。

「今日はDJ⑨さんは喋らないんですか?」
自分か、周りの誰かがそれに答えてくれることを望むように聞かれた。
「いや、別に喋らない訳じゃない」
そう、自分が答えた。
「本当に戻っちゃうんですか?」
「そりゃそうだ、早く元に戻りたいよ」
本心だ。
「ますきゃっとは嫌なんですか?」
「別に、ますきゃっとはいい。悪くない」
これも、本心だ。

2020/07/04 22:00<ワールド移動>

残り 2 時間、何処で自分はこの実験を終えようか考えていたが、お祭り騒ぎのようになってきたので、人のイベント中の BAR に長居するのは流石に迷惑だと思って別のワールドに移動した。
飲み屋街の横丁ワールドにとりえあえず移動するも何かが違う気がして、人の集まる広場のようなワールドに移動した。
だが、何かがしっくり来ない。

結局、サイバーパンクな下層の街のワールドのインスタンスを自分で作って、そこに移動した。

呆然と立ち尽くしていた実験初日が懐かしい。
あぁ、帰ってきたぞ俺の愛するこの吹き溜まり!

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懐かしいと言っていたが、何処か新鮮さを感じていた。
そして、いつもなら裏路地のビルの非常階段なんかわざわざ登ったりしないのに気付いたら最上段に居た。
きっと、「彼女」もこの街に来たとしたら、そうしていたと思う。

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そうしている間に、次から次へと人が集まってきた。
ワールドの入り口に戻った。
来る人来る人に可愛いムーブと共に挨拶をしていると
「仕上がっているな」
と、腕を組んでうんうんと頷く黒い化け猫が居た。
のらきゃっとの生みの親であり、のらきゃっと型アンドロイド製造元の暗黒メガコーポ IMR 社の社長であり、この恐ろしい人体実験の元凶であるノラネコP、「彼」がいつの間にか居た。

あくまでもこの実験は、自分とノラネコPとの個人的な約束事であって何か特別に企画したイベントというスタンスではない。
だが、街中の賑わいも Twitter での盛り上がり方を見るにそうも言ってられない状況になっていた。

「んで、最後はどうするんだい?」
相変わらずニヤニヤと笑みを浮かべながら「彼」は自分に聞いた。
ここに台本なんて物は何もない。
困ったときは周りを見るに限る。

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空を見上げると、画質の悪い月が浮かんでいた。

物語の終盤、もしも自分が「彼女」の物語を書くとしたら?
やっぱり最後は故郷に戻る話が良いと自分は思った。
そして、サイバーパンカーならば「敵の本丸」に乗り込むことが王道だ。

「……ここしか無いな」

ワールドを探す。
のらきゃっとファンが作った、月面にあるとされる IMR の本拠地をイメージしたワールドがある。
過去に、ますきゃっとカフェというイベントが行われた際に一度行ったことがある場所だ。
NPC のますきゃっとも居る。
「今の姿なら、自然に潜入ができる」
と、サイバーパンカーとしての俺がニヤリと笑う。
帰省が楽しみだという気持ちなのか、体の方はソワソワし始めた。

2020/07/04 22:55<ワールド移動>

少し長い読み込みだったが、月へ行くと考えれば短すぎるぐらいの時間だった。
IMR の月面基地に自分がますきゃっとの姿で降り立った。
辺りを見渡そうと右手を見て、思わず駆け出した。

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地球が、目の前に浮かんでいた。
ここが月なんだと、十分すぎるくらいに理解できた。
あの下層の街から見上げていた月に、今の自分は立っている。
ワールドの作者はそれぞれ違うことなんて知っている。
ただ、それでも自分はこの 1 週間と、この瞬間に至るまでのあらゆる事柄に関連性を感じざるを得なかった。
この感動というスパイスが効きすぎたのか、やたらと地球が美しく見えた。

実験終了まで、残り 1 時間。

次回、実験 7 日目 3/3「シュレーディンガーの きゃっと」

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