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実験 7 日目 3/3「シュレーディンガーの きゃっと」

重なり合った状態で存在する物というと、何を思い浮かべるだろうか。

「生きてもいて、死んでもいる」
「愛しているし、憎んでいる」
「存在しているけど、何処にもいない」

「シュレーディンガーの猫」という有名な思考実験だが、2019 年に東大が光線を猫に見立ててこのパラドックスの解明に至ったらしい。
量子力学について全く専門外なので、下手な深堀りをして浅学を晒したくはないが、この実験で起こったとある「偶然」はどことなくこの思考実験を思い起こさせるような出来事だった。

2020/07/04 23:00<実験終了まで残り 60 分>

ワールドの入口から、人が雪崩れ込んでくる。
インスタンスはあっという間に入場可能な人数の上限まで埋まった。
その中には、ノラネコ P の姿もあった。

人の股ぐらに猫さながらにやってくる「彼」と、まるで決闘のように、殴打の応酬を繰り広げた。

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傍から見れば、お互いにワチャワチャと猫パンチをしているだけである。
きっと、のらきゃっと世界観のフィルタ越しであれば凄まじい攻防戦であったに違いない。自分としては、小島秀夫監督作品の世界さながらだった。

痛みのないこのバーチャルの世界で、拳で語り合えるはずもなく、普通に口頭で1 週間の後半で自分が発見したことを「彼」に伝えた。

自分の影を見たとき、初めて心から今の自分を「可愛い」と感じたこと。
人と人の繋がりが描く輪郭から「自分は間違いなくここに居る」と胸を張って言えると理解したことを。

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「ところで、この実験が終わったらその義体はどうするんだ?」
ノラネコ P が、唐突に問いかけた。
「IMR に丁重にお返しするよ。俺には必要ない」
「その義体を目の前で粉砕機にかけるが、本当に構わないんだな?」
暗黒メガコーポ IMR を取り仕切る立場に登り詰めたノラネコ型アンドロイドとして「彼」はそう言った。
「あぁ、やってみろよ」
1 週間世話になった義体を粉砕して欲しくて言った訳ではない。
確かに「彼」は手段を選ばない奴だ。
それでも、本当にそんな真似ができるはずが無いと、高を括っていた。
「ふむ」
腕を組んで短くそう答えた「彼」は、少し遠くを見て
「別に、他の道もあると思うんだけどな……」
少し、寂しそうに呟いた。
これは、ロールプレイを幾度と重ねてきた一人の男としての意見だったように自分には聞こえた。

正直なところ、このとき自分は張らなくてもいい意地を張っていた。
このシチュエーションに、サイバーパンカーとしての俺が強く表に出た結果なのかもしれない。
それを後悔するようになるのは、まだ先の話。

2020/07/04 23:45<実験終了まで残り 15 分>

自分のパソコンのファンが悲鳴のような音を立てて回り、VR ゴーグルで覗く世界の描画速度が低下していった。
相変わらずインスタンスは満員の状態だったが、負荷に耐え切れず脱落した者が出ると、すぐに新しい誰かが入って来た。

どういう流れだったか覚えていないが、集合写真を撮ることになった。
VRChat のイベント事では定番だが、この実験は別にイベントカレンダーに記載した事前告知した集会ではない。
何度でも言うが、あくまでもこれはノラネコ P と自分の間でやると決めたことだ。
こんな風に終わるとは、思っても見なかった。
実に感動的じゃないか。
終わったらシャワーを浴びたい。

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各々がワールドの絶対座標系に固定したカメラのシャッターを切る。
タイマーやシャッターの音が正面で鳴りだすと、更に PC と回線への負荷が増えた。視界のガク付きに加えて、自分が聞いている音声も若干途切れるようになってきた。

自分は集合写真の中央、ノラネコ P の向かって左に立っていた。
「あ~、重い、あ~重くなってきたなぁ」
と、ノラネコ P が言っていた。
その後もカメラのシャッターを切る音が続く。
ふと隣を見ると、まるで野良猫のようにいつの間にか「彼」は消えていた。

「ノラネコ P が居ない」
VRChat で負荷に耐え切れず落ちるということはよくある。

「でも、あれワザとらしい言い方だったよね。絶対何かあるよ」
隣の緑色のますきゃっとが、鋭いことを言った。

確かに、ノラネコ P は自分なんかよりずっと PC のスペックやインターネット回線も良い物を使用しているはずだ。
自分よりも早いタイミングで落ちるはずが無かった。

ちゃんと練られた物語ならば、一応今回の主人公である自分が
「嫌な予感がする」
なんて、後の展開へのフラグを立てるのだが…。
現実の自分は、高負荷によるラグと非日常すぎる自分の姿と、周りのお祭り騒ぎぶりで全く余裕が無かった。

2020/07/04 23:51<実験終了まで残り 09 分>

集合写真タイムを終えて、実験終了まで残り 10 分を切った。
撮影が落ち着いたおかげで、多少は視界のガク付きがマシになった気がした。
あのタイミングでワールドから居なくなった「彼」のことを多少は気にしていたが、それを深くを考えるだけの間もなく、再びあの男が現れた。

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実験 2 日目に現れた有名な変態の仮面の男「主任」が、颯爽と自分の前に駆け付けた。
「やぁ DJ 君!おや?なんか最初会った時よりも可愛くなってるんじゃないかい?可愛くなってきたねぇ~?」
この瞬間を狙ったかのように、事前に準備したかのような滑らかな台詞回しで、自分をますきゃっとの姿に留めようという欲望を直接ぶつけられた。

だが、自分は元のリアルアバターに戻ると心は決まっていた。
多少、ブレそうになった瞬間はある。
可愛い姿同士のコミュニケーションの楽しさも、知ってしまった。
「解釈違いで無理になるオタクだから…」という理由はこれまで note に無駄に回りくどく書いてきたが、まだここで語っていない理由がある。

自分がこのリアルアバターで居ることには、理由がある。

「集合写真が終わったところだから、一緒に撮ろう」
貴重な男性アバターユーザーのよしみだ、仮面を付けた男ってのは色々あるよな、わかるぜ?噂される程別に悪い奴じゃないし、まぁ男同士仲良く……

おや?

自分宛に invite が飛んできた。誰からだろう?

メニュー画面を開いて、送り主のアイコンを見た。

叫んだ。

「彼女」からだった。

2020/07/04 23:53<実験終了まで残り 07 分>

叫んだ。感情の緊急ベントだ。
情けない声を出すんじゃぁない俺。

「彼女」つまり、ファーストロット唯一の生き残り「のらきゃっと」本人から invite 申請が送られてきた。

自分の様子を記録したコアなオタクさんの動画を後から見返すと、自分が「彼女」の居るワールドへ行く判断をするまで、ほんの数秒程度だった。
だが、実際の自分の感覚としては 3 分程度の長考をしていた。

「のらきゃっとさんに、今、会うのか!?」
「こ、これは、二人きりになる奴では??」
「何かの罠だ!」
「わーい!のらちゃん!好き!会いたい!」
「間違えて送ったとか、誤操作……じゃないの?」
「お姉様に会いたい」
「この義体なら奴の懐に飛び込める、チャンスだ」
「無理ぃ……マジ無理だって……」
ソードラインも何もない、脳内会議はダンスフロア。
ええじゃないか。何も良くない。

「でもよぉ……」

創作サイドの俺が、落ち着いた様子で呟く。
「お願いされちゃ、断れねぇよな……?」

invite が送られたということは
「来て欲しい」
という意思表示である。( ※個人的な解釈です)

「彼女」からの願いを、断れるはずがない。

じゃぁな、皆……すまんな。
俺は残されたこの数分を「彼女」と 2 人で過ごして、世界の終わりを見届けるように感動的なエンディングでこの 1 週間を〆るんだ……。
2人きりで一度話してみたかった……夢みたいだ。

あっ、主任……。
ごめんな。

叫びながら、超加速した思考で、彼女の居るワールドにアクセスすることを決断した。

ワールド読み込み中のハブ空間で、見慣れたロード画面と音楽に包まれた。

「…まさか、こんなことになるなんてな」

そう呟く自分は現実世界で、バスク・オムのような顔つきでニヤけていた。
VR ゴーグルが、口角で持ち上がる。

この姿なら、自分から近づいても……いやいや。
でも……、うふふ。
いかんいかん。
ダメです、ダメです。
1 週間頑張ったご褒美かもしれないですよ。
ずっとこの姿で居てとお願いされちゃったらどうしよう!
……それだけは、ダメなんだよな。

そんな事を考えている内にあっさりと読み込みは完了し、目の前に「GO」と書かれたボタンが表示された。
これを押せば「彼女」の待つ場所に自分は降り立つことになる。
何をするか、何を言うか、何も決まってない。
だが、抑えきれない衝動のままに、「彼女」が自分を待っているワールドにアクセスした。

2020/07/04 23:55<実験終了まで残り 05 分>

……?
ここが、この 1 週間の終着点?

辺りを見渡したが、そこに「彼女」は居なかった。
メニューでインスタンス内に居るユーザーを確認する。

……誰も居ない。

だんだんと冷静になってきた頭で、部屋を見渡す。
この造りは、ホームワールドだ。

彼女のプライバシーになるので詳細は省くが、実にシンプルでクラシックなホームワールドだった。
自分 1 人で、周りに NPC も居ないので動作は軽い。

冷静になった頭で、メニューから「彼女」の現在の居場所を探す。
「彼女」は先程まで自分が居た IMR の月面基地ワールドに居た。

つまり、こういうことだ。
「彼女」は、今さっきログインした。
そして、慌てていたのであろう彼女は自身のホームワールドから自分に向けて「invite(来て欲しい)」を送った。

だが「彼女」が本当に実行したかったのは恐らく……
「Request invite(そっちに行きたい)」の方だったのだろう。

これは、VRChat ではよくあるミスで、自分も何度か経験があった。
自分がインスタンスから消えたことで、空き枠ができて、そこに彼女が入った。自分と「彼女」は、入れ違いになっていた。

ははっ……これは……。

「やっぱり、のらきゃっとさんの誤操作だったじゃないすか……」
「うるせぇ」

先程までの妄想で、死ぬ程恥ずかしくなってきた。
下心全開のドブネズミ。
男の友情を秒で裏切るクソ野郎。
都合のいいように妄想する甘ったれた思考。
最低の底を貫く下衆。
ダメです、今は顔合わせできないです。
調子乗ってました。
脳内会議はお通夜のようだった。

気付けば実験終了まであと数分。
やはり、最後の時間は月面で迎えたい。

自分がもと居たインスタンスは「彼女」の集客能力で満員を維持していた。
これは、戻ることができない。
そして「彼女」と顔合わせしない良い口実になる。

月面基地のワールドに入れなかった人が集まっているであろう、別のインスタンスがあった。通称「野良インスタンス」である。
そこそこ人数が集まっている様子だったが、入場可能だったので「彼女」が居ない IMR 月面基地ワールドの野良インスタンスに向かった。

2020/07/04 23:57<実験終了まで残り 03 分>

再び月面基地に戻った。
人は疎らで、自分が現れたことに周りの人達は驚いた様子だった。

元々は「IMR の本拠地に保管されているであろう自分自身の肉体をますきゃっと義体で取り返しに乗り込んでやったぜ!」という気分でこのワールドに来たはずだった。
しかし、先程までの語るに忍びない程の下心丸出しの行動への自己嫌悪で、すっかり目が覚めていた。のらのらし過ぎた。

聴衆はそんなことを知らないので、別インスタンスに居る「彼女」をいかにこのインスタンスに呼ぶかと奔走していた。

突然、世界が止まる。
動きと、声が失われる。
ワールドの BGM だけが鳴る。
PC から再び冷却ファンの唸りが聞こえた。
今までにないくらいの高負荷だ。

一斉に、周りのアバターが動き出して、音声が聞こえた。
ワールドは満員になっていた。
「のらちゃん来るよ」
「いやだぁ!」
手術前の子供のようにワールドの端っこまで走って逃げた。

実験終了まであと数分、いや100秒程度。「彼女」の姿はまだ見えない。
とにかくめちゃくちゃ重い。最悪 VRChat が動作を停止するんじゃないかとヒヤヒヤした。

メニューを事前に展開して、アバターの一覧を表示した。
見慣れた自分の姿を選択する。
一刻も早く Change Avatar のボタンを押したかった。 

「あと何分!」

間に合ってくれ!
またフリーズした!ギャラリーからも「重い」「止まった」と聞こえた気がした。

「時間変わった、実験終了です」
この実験を初日から手伝ってくれていた友人が、そう告げた。

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2020/07/05 00:00<ますきゃっと義体実験 終了>

「体が重いっ!動かないっ!重い!」
時折音声がループするし、メニューの挙動がおかしい。
が狙ったところになかなか反応しない。
慎重にメニューを操作して、自分のアバターを呼び出した。
「間に合え!」

光が、自分を包む。
世界が少しだけ小さくなる。
ヘリーハンセンのジャケットとメカニカルグローブ、足元にはVANS のスニーカーの自分の体がそこにあった。
まだ「彼女」はここには居ない。

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「戻ったぁぁぁ!!!」

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「良かったぁぁぁ!!!」

耐え抜いた!

「戻れないかと思った……」

そして、のらきゃっとさんに見られなくて済んだ!

ラグい視界の中で、周りの音声が断片的に聞こえた。
うん……?何か、話が嚙み合わない。
とても、嫌な予感がする。
まるで、近くに「彼女」が居るような話をしている。

「のらちゃん……居ないよね?」

一瞬、周りの空気が変わった気がした。

「目の前に、居るよ?」

「???」

2020/07/04 23:59<実験終了直前>

おわかりいただけただろうか。

元の体に戻ったときの連続写真は、実験中の様子の記録補助をしてくれた付き合いの長い友人の沖川さんが撮影してくれたものだ。
そして、上記ツイートの動画は、同じく記録に付き合ってくれたみふかなさんの撮影してくれたものだ。
「のらきゃっと」が存在しない世界と、存在する世界が重なり合っていた。
自分は「のらきゃっとが存在しない方の世界」に居た。
しかし「彼女」からは自分の事がバッチリ見えていた。

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「のらちゃんに見られる前に実験が終わった!」
成し遂げたと完全に思い込んでいる自分を「彼女」が見つめていた。

2020/07/05 00:05<再び実験終了後…>

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「……どういうこと?」
本当にサイバーパンク作品めいたことが、発生してしまった。

実はこの現象は VRChat でさほど珍しくないバグが原因だと思われる。
「彼女」は自分や沖川さんが居るワールドには確かに存在するが、ワールドの原点位置に固定されていた可能性がある。
PC に負荷がかかっている状態だと発生しやすい現象ではあるが、このタイミングでピンポイントで「彼女」が見えないというトラブルが起きた。

自分の視界に「彼女」の姿は無かった。
時折レンズがブラックアウトするし、聞こえる周りの音声は間欠運動めいたことになっていた。
比較的耐性がある方だと思っていたが、流石にこのままだと VR 酔いになりそうだった。
それに、ヘッドセットがやたら熱いし部屋も暑い。
緊張も相まって喉の渇きが酷かった。手の届く場所に蓋の締まる飲料を事前に置いておくべきだった。

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周りからの断片的な情報をもとに、ワールドの原点位置方向に移動するようにした。
負荷が少ない別のワールドへ移動できるポータルを出して貰えるらしい。
だが、激しいラグの中で自分はうまく動けなかった。

気を遣った人が負荷軽減のためにワールドを離れると、空いた入場枠に次から次へと人が入ってインスタンスは満員を維持した。
音声が途切れたと思ったら、その間の音声が圧縮されて再生されるような挙動もあった。
視界が止まってブラックアウトしたかと思えば、また世界が動き出す。

ワールドの原点位置に近づいたとき「彼女」の声が聞こえた気がした。
それから、自分のもとにフレンドから invite が送られてきた。
またフリーズしてはかなわないので、すぐに移動した。

2020/07/05 00:20頃<ワールド移動>

黒い箱状の空間に、白のワイヤフレームというシンプルな軽量ワールドに移動した。
そこに、「彼女」は居た。
ゆったりと動く姿も、聴き慣れた合成音声も確認できた。
実験終了後、元の姿に戻った自分で「のらきゃっと」と邂逅を果たした。

この実験の行く末を見届けたいと集まった人達が「彼女」と自分から一定の距離を保って、熱いまなざしとカメラを向けていた。

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「彼女」と向き合って改めて身長差を感じた。
このギャップが、自分はたまらなく好きだ。

「どうでしたか?」
「彼女」が尋ねた。
呼吸を整えて、これまで感じた量産型のらきゃっと義体への率直な感想を伝えた。
愛されるための可愛らしい姿を探求したデザイン、ゆらゆらとした動きが実は戦闘で瞬発力を発揮するためのアイドリングではないか……と、実験レポートで書いた内容をかいつまんだような内容を自分の体験からの考察として話した。

「のらきゃっと タイプ の 体の とき は どんなワールド に 行ったんですか」
ハイライトのない赤いグルグル目に仄かに光を感じるくらい、興味深そうに問いかけてきた。
自分を探そうと自分と関連の深いワールドを巡っても、失った自分ばかりを感じてしまっていたが、「彼女」と関わり深いワールドを巡っていく中で「彼女」を主軸にした思い出から自分自身を感じた話をした。

くるりと。その場で「彼女」が回った。
今になって思えば、照れ隠しだったのかもしれない。

「ミラー 見に行って みますか」
確かに、まだこの姿を鏡で確認していなかった。
ワールドの端にある鏡の設置場所に向かって自分は駆け出した。

「ちゃんと 手を 挙げて 走っていた と 聞いたんですけど」
のらきゃっと型アンドロイド特有の走り方をやっていた事もバレていた。
アイツ(黒猫)め……!

ミラーを展開するスイッチを押すと同時に、世界が暗転した。
落ちた……。このタイミングで!?
大急ぎで、元居たワールドに戻った。

読み込みが異常に長い。
この軽量ワールドは、ワールドの軽さを活かしてインスタンスに入れる人数の上限が 50 人も入れるように設定されていた。
「彼女」にすっかり気を取られていたが、いつの間にか40人近い人がこの場所に集まっていた。
ミラーを展開した際に、描画する必要のあるアバターの数が突然倍になって、負荷に耐えられず落ちたのが先程の現象の原因だろうと予測して、軽量版ミラーで自分だけを鏡に表示するようにした。
今度はうまくいった。
そして、見慣れた自分自身の姿を 1 週間ぶりに鏡越しに確認した。

「だいぶ身長伸びましたよね」

「これが サイバーパンク だ」
自分を指さして彼女がそう告げた。
まさか、体制側の彼女からそう言われるなんてなぁ……。

「サイバーパンク2020って言わざるを得ないですね」
「スクリーンショット に 全部ハッシュタグ入れなきゃ」

「彼女」は楽しそうに揺れていた。
生で、至近距離で本物の動きを見るという贅沢な瞬間を過ごしている。
「やっぱり、のらちゃんのムーブ、次元が違うな」
「普通ですから、日常ですから」
誇らしそうにそう言った。その直後だった。

「助けて」

言い切る間もなく、全力で発言を否定するように「彼女」は両手を振った。
この瞬間から、自分の頭の中は押井守監督作品の『イノセンス』で一杯になった。ネタバレになってしまうと、未視聴の方々に申し訳ないので、とりあえず絶対に見て欲しい映画の 1 つである。
「のらきゃっと」と「イノセンス」 という 2 つの創作が自分の中で正面衝突をして、そこから新しい地平が見えた。
後から分かったが、これは自分の中の創作への熱意を呼び起こすトリガーになった。

慌てた様子の「彼女」が、自分の頭をポコポコと殴っていた。
「私の中には、私しか居ませんよ」
取り繕うために意味深なことを色々言ったと思ったら
「まぁこんな風にしておけばパート 2 に繋がる引っ掛かりになるでしょう」
という爆弾発言を残した。
「ヤメテ!」
マジでやりかねないぞこの人!?
「これでのらべり 3 (のらきゃっと同人合同誌)に出たら流石に…」
「是非 寄稿して」
「……は?」

また、新しいお願いをされてしまった。
俺が登場する作品……?流石にちょっとやりすぎ感がある。恐れ多い。
自分の妄想の中で留めておく方が平和じゃないだろうか……?
さぁ、どうしようか……のらべり 3 にのらきゃっと作品を俺が?

「でも本当 うちの 会社の 思い付きの企画でしたけど 反響 凄かったですね」
確かに、多少は反応があると思っていたがこんなに盛り上がるとは流石に予想はしていなかった。だが、この 1 週間で愛される強さを十分に理解した。

「ますきゃっとですから」
別に、自分が開発した訳でもないのに、誇らしそうにサムズアップしようとしたが、「いいね」をするはずの手の形が、違った。
サムズアップが「ますきゃっと」と一般的な「ヒューマノイド」ではデフォルトの設定が異なっていた。

「おっと、この手じゃなかった……」
やれやれ、これからは自分の中ののらきゃっとを自分の世界に慣らしていかなくてはなるまい。

「彼女」が嬉しそうに「7 月で 10 機売れた」と、妹が増えた報告をした。
これは、相当な PR 効果があったのではないか?
来年は月からお中元が俺宛に送られるに違いない。

サイバーパンク野郎はコーポで営業をした方が優秀である可能性が出てしまった。それは良いのか?アイデンティティが行方不明だぞ!

そんな談笑をしている内に、また回線か PC かがおかしくなってきた。
VR ゴーグルだって、そんな長時間運用を想定して作られた物ではない。
自分の体もボロボロだ。メンタルだって、スクランブルエッグみたいになっている。

自分が止まった。
周りのアバターが止まった。
今度こそ全く動き出す気配がない。

とりあえず、この場所から離れた。
誰かの立てた Invite only のプライベートワールドに自分が居た。
遂に、平穏が訪れた。

あぁ、俺の体だ……。俺のスケールで見える世界だ。
噛みしめていたが、同時に 1 週間で感じたますきゃっと目線で見た世界のあらゆる出来事が去来した。

とりあえあず、やるべきことは終えた。
あとは……この体験を書き綴ること。

VR ゴーグルを外して、その場にへたり込んだ。
疲労困憊と、緊張感からの解放で汗だくで喉が渇ききっていた。
もう、ますきゃっとになることはないんだ!と、強く自覚した。
帰ってこれたんだ、俺の勝ちだ!
……いや、勝ちって何だろうな。

だが、完全に元の自分に戻る訳ではないようだ。
まぼろし座の座長を務める仮面の男が言っていたことを思い出した。

本当に何かが始まるのは、この実験が終わってからだった。
何が自分に残されて、何があって元の自分に戻れないのか?
全く予想していなかった出来事とは?
そして、何故こんなにDJ⑨はリアルアバターに拘るのか?
この辺りを、後日談としてこれからお話していこうと思う。

次回、ますきゃっと義体実験後日談「Virtual Insanity と暮らす」

実験終了

ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。

とりあえあず、1 週間の出来事は纏まったと思います。
今後は後日談と自分の変化について語っていきたいと思います。

また更新は遅くなるかもしれませんが、是非読んでいただけると嬉しいです。

最後に、実験を見守ってくれた方、写真や動画、メモまで共有して下さった方々、VRChat のワールドで出会った全ての皆様、DJ⑨のサイバーパンクな活動を応援して下さっている方々、皆さんもまたこの物語の登場人物です。

読んでの通り、どこか気が違ったような男でございますが、温かい目で見て頂ければ幸いに存じます。

そして、「のらきゃっと」は最高です!

これからの未来、彼女と共にある世界がより大きく広がっていくと私は確信しています。だから、是非、「彼女」のことをこの機会に知って行ってください。

実験から 1 年もお待たせして申し訳ございませんでした。

後日談でまた会いましょう、おつきゃっと!


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