比べる心が人を孤独にする
皆さんは、親しいと思える人と一緒に毎日を楽しく過ごしているでしょうか?
それとも親しいと思える人がいなくて、毎日に孤独を感じているでしょうか?
もし孤独を感じているのであれば、仏教で言うところの慢が強いのかもしれません。
慢とは、自分と他者を比較する心のことです。
慢には大きく分けると3種類あります。
一つ目は高慢です。
高慢とは、自分は他者より優れていると感じる心のことです。
二つ目は同等慢です。
同等慢とは、自分と他者は同等であると思う心のことです。(同等と平等は違うので注意してください。)
三つ目は卑下慢です。
卑下慢とは、自分は他者より劣っていると思う心のことです。
これら3種類の慢が強すぎると、人は孤独になります。
たとえば他者と接したとき、
「自分はこの人より優れている」と感じれば、相手から得られるものが何もないと感じてしまいます。その人と一緒に過ごすことに価値を見出せません。結果的に、自ら相手を遠ざけてしまうでしょう。
逆に他者と接したとき、
「自分はこの人よりも劣っている」と感じると、相手に与えられるものがないことに罪悪感を覚えます。不甲斐ない自分と一緒にいる相手に申し訳なさを感じます。結果的に、自ら相手を遠ざけてしまうでしょう。
高慢や卑下慢は、必ず態度や言葉、行動となって現れ、自分の周りから人を遠ざけます。
仮に「自分とこの人は同等だ」と思える人に出会えたとしても、その人と良い関係を維持するのは難しいです。
なぜなら自分も相手も刻一刻と変化するので、同等な関係は、同等ではない関係に変化してしまうからです。
また同等な関係を維持しようとして、
「自分も相手と同じよう成長しなければ」と感じると、相手との関係に窮屈さを感じてしまいます。「自分と同じように、相手にも成長してほしい」と期待する場合も同様です。
結局同等慢も、自分の周りから人を遠ざけてしまうのです。
このように慢が強すぎると、いつまで経っても親しいと思える人に出会うことはできず、孤独を感じます。
他者と自分を比べ、優劣をつけているうちは、
他者から利益を得ようとしているうちは、
いつまで経っても心の奥深いところで人と付き合うことはできません。
ですので毎日に孤独を感じている方は、
自分の心に慢が現れていないかを注意深く観察してみてください。
慢が現れているのに気づいたら、慢を控える努力をしてみてください。
慢は生きていくために備わった人間の本能なので、完全に根絶することは難しいですが、ある程度控えることは可能だと思います。
慢を控えることができれば、心の奥の深いところで他者と触れ合い、いのちの喜びを感じることができるはずです。
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