卑屈になると偏見の塊になってしまう

「悪い」イメージが昔はもっとカッコいいものだったのに、最近は悪い=カッコ悪いになっていることが残念だ。
だけど、「悪いイメージがあるもの」にも格好いい魅力があるはずで、それを感じること事態が格好が悪いことだからと決められるが嫌なのだ。少なくとも世の中が、そういう流れに行ってしまいそうなのが気味が悪い。

世界的に色々なものを差別なく、フラットな目で見ようという流れが強くなるのもいいけど、それと同時に白と黒をはっきり分けたい人の声も強くなるのが気になってしまう。
弱者を虐げるなと声を上げるのは良い事だと思うし、認めてほしい不公平を正すために行動することも素晴らしい。それでも、他人の考えをすべて均されるのは違う。好き嫌い、良い悪いは個人的な主観で存在してもいい世界でないと、わたしはとても息苦しい。
タトゥーを見て綺麗な色合いだなと思ったこともあるし、煙草を吸う姿が格好いいと今でも思っている。漫画だって日本のマンガは、拳でぶん殴るから良いんだと、それがスカッとするから楽しめるんだと個人的には思っている。
人は簡単に影響されることもある。それは紛れもない事実だ。だから、ヤンキー漫画の代わりに不良が殴り合いもするけどそれはタイムスリップした昔の世界の出来事だから、現実として捉えないでくださいみたいな保険をかけたものができる気がする。
剣や魔法で戦う作品もそうだ。魔物を残忍に殺すのだから、こちらの方が悪いことをしていますといった顔をしているが、真似しにくい配慮だ。気に食わない奴を簡単に殴ることが身近に感じないようにしている。
ギャグ漫画だけが、なんとかそれに抗っているのは、お笑いの文化もあるのかもしれない。それですら、最近は危うくなって来ている気がする。外国人の知り合いが言っていたのだけど、コメディアンだからといって人を叩くツッコミは理解できないようだ。

だからといって、あれとこれが駄目だからその枠のなかで作ろうというのが駄目だと言いたい訳ではなくて、結局のところ作り手も「枠の中でもこんな面白いものどうですか」と、面白さ先行でエンターテイメントを産み出すのだから枠の大小を弄くり回しても意味がないというのが本音だ。
世界は矛盾で溢れている。矛盾があるから、おかしなことが生まれる。安易に正すことだけに躍起になりすぎないでほしい。


頂いたサポートは、知識の広げるために使わせてもらいます。是非、サポートよろしくお願いします。