私なりのウクライナ侵攻についての書き散らし

 どうも、黒田です。今日は軽めの記事を。

 この記事を書いてから、一年。
 つまり、ロシアによるウクライナ侵攻を受けて一年が経過しました。
 国家間の紛争が一年経っても継続し、これほどまでに多くの死傷者が出るというのは当時、あまり想像が出来ませんでした。

 私はウクライナについて、今も知識が無いので、今回のウクライナ侵攻をどう論評していいのかわかりません。
 国際政治学の視点からは、既にTwitter上でも多くの学者から意見が出ているため、彼ら以上に説得力のある話は今の私にはできません。

 私がウクライナ侵攻をどう見ているのか。
 少なくとも私は、「ロシアが侵攻した」という事実は重く受け止めるべきだと考えています。戦闘により、多くの市民が傷ついているであろうことも、忘れてはなりません。

 二度の大戦を経験して現在を生きている我々が考えることは、ウクライナとロシアの今と、ウクライナとロシアの将来のそのどちらも、であるべきなのですが、どうにもどちらかを語り、どちらかを無視する議論が多いように感じます。

 「ロシアが侵攻した」以上、ロシアとウクライナの戦闘はウクライナが勝つまで止めるべきではないとするなら、ウクライナへの武器支援が鍵になるでしょう。
 無辜の民が傷つくのを止めるためには、即時停戦と人道支援の展開が不可欠でしょう。

 現状の境界で停戦することはウクライナには認めがたいことであり、元の境界で停戦することはロシアには認めがたいことである以上、この紛争の停戦交渉が行われうるほど妥協できる要素があるとはあまり思えません。「戦争のバーゲニング理論」が通用しない程度には、こじれてしまっているように見受けられます。

 現時点でウクライナは進行以前に比べて格段に発言力を増していて、今後おそらく国際社会に主要アクターとして登場することになるのではないか、と私は思います。もちろん前提として、彼らが余力を残してロシアと停戦した場合の話です。
 その場合、ウクライナを御して、国際秩序に取り組むだけの将来像を各国は持っているのだろうか、と思わずにはいられません。
 この先のことも、今と同じくらい考えなければならない以上、答えを出すために知識を付けなければと反省します。

 戦闘が行われその地で傷つく人々に対して、少なくとも思いを馳せ、彼らに対し手を差し伸べる必要が、我々には出てきたと思います。
 傷つく人々に対する支援のコストは、ロシアを許さないと思う人々の手で払われるべきであるとも思います。

 話がまとまらないので、こんな感じで書き散らしておきます。

 [2023/02/27]


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