失敗談を綴ってみよう!vol.30 ー家庭科編ー
ぶるぽぴです。
小学生の息子が帰宅するなり、
『家庭科のミシン嫌だな。難しくってキライ。』
とブツブツ言いだしました。
『ミシン、お母さんも苦手だったよ。』
そう言いながら、血は受け継がれているな~
と感じたのでした。
① 私の駄作。(傑作ではない)
何年前のことだったか、
子どもたちを連れて帰省した時のこと。
『これ、懐かしいでしょう?』
母が、笑顔でリビングに入ってきました。
それも、私が小6の時に家庭科で作ったエプロンを着て。
私のお手製エプロンは、基本的に手縫いで、白地の生地に刺繍を施したものでした。
40年前に作ったソレを身に着けて、
にやにやしている母でしたが、
私がよく残っていたものだ・・・と思っていると、
『コレ、ポケットに手を入れると、見事に指が出るのよ。
ある意味すごいよね~。』
そうだ。忘れていた。
縫い方が雑すぎて、ポケットから物が抜け落ちる仕上がりなのです。
いわゆる駄作・・・失敗作。
ま、私は失敗とは思ってなかったのですけどもね。
② 本当に嫌いだった。
私は、根っこから家庭科が苦手、というか嫌いでした。
料理はいいんです。
味付けは自由度があって調整できます←個人的意見。
でも、お裁縫はまるでダメ。
私は指が長くて手が大きいからか(女性用手袋は入らない)、
担任から
『ぶるぽぴくんは、自分の手を縫わないように気をつけてよ。』
と言われていたほど。
中学にあがると、どうして男子は技術科を習い、女性は家庭科なのか。
私だって椅子を作りたいよ!
と真面目に思っていたほど。
母方の祖母は着物の仕立て屋だったそう。
母も和裁洋裁ともにできて、私や妹のワンピースは手作りでした。
妹は、服飾関係の学校へ行き、宿題に刺繍をしていました。
どうも私はその血を受け継いでいないらしい。
妹が刺繍をしている横で、
『刺繍が宿題にない学校で良かった~。』
と、進路によっては苦痛を強いられるところだったと
ホッとしたのでした。
③ できなくても、何とかなるもの。
お裁縫が全くダメな私は、
夏休みの家庭科の課題も、ずっと評価が低かったです。
『苦手な課題をしたのに、
評価が低いとますますテンション下がるじゃん。』
まさに思春期、こころの中では文句ばかりでした。
こういう私でも
子どもを授かった後は、
グッズを手作りした方がいいよね、と
妹にお勧めのミシンを聞いたことがありました。
でも、
『そんなの持ち腐れになるから、やめた方がいいよ。』
と、あっさり断られました。
確かにね。
結果的には、
できなくても何とかなりました。
義理の母もお裁縫が好きだったから、
必要な物をお願いしたら
喜んで作ってくれました。
ありがたい!
私がするのは、
ゼッケンつけと裾上げ、ボタン付けくらい。
好きな人にお願いしたらいいですね。
④ 駄作でも、想い出には変わりない。
息子が家庭科のミシンに苦戦していても、
私は何も教えられないです。
ミシンがないから、家で練習もできない。
でも、私が作った無様なエプロンの存在は、
それはそれで
息子の参考になるかもしれません。
それが傑作ではなく、駄作でも。
得意でなくて、苦手でも。
好きでなくて、嫌いでも。
きれいなお手本を見せてあげられたらいいけれど、
私にはできません。
雑だけど、
だめだめな仕上がりだけど、
ばあばが大事にとっておいてくれた。
想い出には変わりない。
これは、息子に伝えられると思います。
嫌いでも、苦手でも、何とかなるよ。
私が教えることができるのは、コレですかね。
私の失敗作をとっててくれて、
良かった (≧▽≦)
ありがとうございました。
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