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フランスに長くいて変わったこと〜肩を張らずにフランス123

 « Cartésien »
 デカルト的論法
 演繹的、合理的な考え方

 こう言うと固っ苦しく聞こえるが、ぐだぐだ前置きから始めずに要点から入るということ。フランス語も英語もそういう順序で成り立っている。ということは思考回路もそうなっているということだろう。日本人の最も苦手とするところ。

 日本人的思考が抜け切ったわけではない。フランスにいて議論なんかになると話しながら自分の言い方にイライラすることが今だに多い。本当に言いたいことを最後まで取っておく帰納的な話し方を無意識でやっている。肝心なところがなかなか出てこないのでたまに何が言いたかったのか分からなくなることがある。これでは何の意味もないし、聞き手にしても話が見えてこない。

 日本に身を置いてみるとこんな自分でも「あら、やっぱりフランス人だわ」と思わずにはいられないほど、言いたいことも相手の言うことも要約していることに気付く。

 例えば母が職人相手に話す時、内容が不要な話で膨らんで何が言いたいのかがボケてくる。具体的な内容であるべきなのに世間話とか家の事情とかが混ざっている。
 相手は辛抱強く聞いている。日本人同士の会話だから慣れっこなんだろう。横で聞いているとイライラとハラハラでムズムズしてくる。

 「要するに⋯⋯をお願いします!」

 母の話の腰を無理矢理折って要約する。
 目の前の二人はポカンとしている。

 といった具合。申し訳ないが無駄話をするために職人を呼んだのではない。仕事内容以外の話は無駄、とバッサリ切り捨てる習慣がついてしまっているようだ。

 「このコンテクストで世間話は必要なんだろうか?そうしないと人間関係に支障をきたすんだろうか?職人が手抜きをするんだろうか?そもそも滅多に会わない職人にそんな個人的情報をあげて何の意味があるの?」

 日本に帰ってイライラするのがこの何とも煮え切らない話し方。フランスに長くいて、話の内容を要約するばかりでなく行動そのものも無駄を省くようになったのかもしれない。
 自分は元からこんなだったろうか?いや、そんなはずはない。人前に出ればあがってしまい言葉が出なかったくらいだだから、要点を掻い摘んでなんて離れ技をやっていたはずがない。

 日本にいた頃の自分を鏡に映されたような気がして複雑な気分になる。どうもイライラしているのは自分一人のようだ。普段の生活で軋轢を避けようとするとこんな言い方になるのか?

 自分が日本人とは遠い存在になってしまったことを実感する瞬間だ。

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