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やっと見つけた和菓子屋さん

あの日 あの時 あの場所で
君に会えなかったら
僕等は いつまでも 見知らぬ二人のまま

なんて懐かしい曲を口ずさんだりしている。
と言っても当時高校生くらいだった僕は、いわゆるロック音楽に目覚め、ベースなんかも始めてみちゃったりなんかして、「ヒット曲なんて聴いてられっかよ!」みたいにナイフみたいに尖ってたから(笑)、クラスメイトの友人がカラオケボックスでこの曲を歌ってるのを「俗物が!」って思って聴いてました。
別に友人のこと嫌いとかじゃなくてね。

だけども、"今だから"言えるんたけど、僕は物心が付いて音楽を好きになり、そしていわゆるロックに目覚める以前は、普通にポップスと呼ばれる音楽だって好きだったんですよ。
うちにあった"初めて買ってもらったレコード"はピンクレディーの「UFO」だったようです。
(※泳げ!たいやき君など"子供向け音楽"はカウントせず)
断然ミーちゃん派でしたね。
ちなみに少し上の世代が夢中になったキャンディーズに関しては僕はほとんど知りませんでした。

まぁ現在15歳なんですけど。

当時の歌番組の認識としては、「演歌・歌謡曲」と対極にある「若者が好みそうな音楽」を「ポップス」と読んでいて週間ランキングチャートでもそれぞれ別のカテゴリとして集計されていた。
そもそもそういったカテゴリ分けは90年代のオルタナティブという黒船に端を発した音楽界のカオス化する以前の、大人と子供が律儀なまでに棲み分けられてた頃の名残なんですね。
日本の大衆音楽の70'sと80'sを理解するにはその辺の空気への理解が必要になってくるわけで。
しかしそういった「大人」と「子供」の音楽鑑賞への断絶化というのはいつの時代からあったのだろう。
おそらく(と言うまでもなく)、僕が生まれるよりも昔からあったことなのだろう。

古くはベンチャーズやグループサウンズなどに憧れてエレキギターが欲しくなれば「エレキなんて不良が持つものよ!」などと勘当に等しい扱いを受けたりした話も聞くし、おそらくお茶の間の特等席にテレビがあり、そこで一家団欒していた時間の他に、子供部屋にラジオやレコードプレーヤーなどが置かれてパーソナルに音楽を楽しめるようになってからそれは顕著になったのだろう。

やがて70年代にフォークソングブームが起こると、どこの芸能事務所にも所属せずにギター一本で成り上がり栄光と名声を掴んでいったミュージシャンも数多く輩出された。そんなのちにニューミュージックと呼ばれる彼らの中には旧来のお客さんとの距離を大切にしたいなどの理由で、「テレビ番組には出ない!」とスタンスのミュージシャンもたくさんいた。それも「大人」と「子供」の断絶化に一役買っていたのだと思う。

80年代の地元のレコード屋さんといえば、演歌もニューミュージックもアイドルも同じ売場に並んでるカオスな空間だった。
五十音順の棚は棲み分けがされていたのだが、なんとなく演歌のコーナーにはどこか辛気臭さが漂っていた。
レコードからCDつまりコンパクトディスクに移行し始めた時代においてもカセットテープがその店を占めていたりポスターの色使いもどこかアレでしたよね。氷川きよし以降、若手演歌歌手もずいぶんと垢抜けてきた感じはあるけれど、やはり演歌ファンの求める色彩感覚がアレなので、あえてそういう色使いで相も変わらず訴求しているって感じですかね。

僕もいつか「大人」にはれば演歌を好きになるようになるのかな?などとも思ったりしたけど、僕の両親はいつまで経っても演歌を好きになりそうな気配もないし、いわゆるニューミュージックなどを聴いて楽しんでいる。

90年代になるとそのポップスと呼ばれるジャンルは「J-POP」と呼ばれるようになりミリオンセラーも頻発するようになり量産されて大量消費されてゆき、タワレコやHMVなどの外資系大型CDショップが隆盛を極めるようになると郊外の昔ながらのレコード屋さんは演歌・歌謡曲に特化してニッチな客層を相手に生き残るか閉業を余儀なくされるかがほとんどだった。

そんな90年代に隆盛を極めたミリオンセラー作品がハードオフのジャンク品コーナーで投げ売りされてるのを見ると切ない感情が沸き起こってきますね。
近年になって「90's J-POPコンピレーション盤」なるものがなかなか立派な価格で売られていると、切ないを通り越して怒りに似た感情さえも沸き起こってきます。それなりにリマスタリングなどの処理が施されているのでしょうけど、彼らのハイエナのような商魂に食傷するというか、なんというか。

昨今ではAKB商法以降、同じタイトルのCDを大量に購入しても中古下取りに出す行き場さえないご時世ですが。
一方でサブスクやストリーミングで音楽を聴くことが昨今のトレンドになっていますが、それでもお気に入りの音楽は手元に歌詞カード付きのCDをおいておきたい気持ちもあります。いまだにアナログ人間から抜けきれていないのです。
本もやっぱり紙媒体が安心するけど、でも結局のところスマホやパソコンを通じで読んでる文字数のほうが圧倒的に多くなってるとは思います。

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和菓子屋さんのつもりがレコード屋さんの話になってしまった。
この際だから言っておくけど、この記事は最後まで◯◯和菓子司などという店舗は出てきませんしグルメリポートでもありません。

もちろん!
オフコース!

オフコースっていう、いわゆるニューミュージックのグループがあったのだけど、その綴りは「もちろん」の「of course」ではなく「OFF COURSE」であり、その由来は中心人物の小田和正氏がそれまでの建築関係の仕事から"道を外れて"音楽を始めたこと──とされていますね。
英国のビートルズも「カブトムシ」みたいに呼ばれることもあるけど「カブトムシ」は「Beetle」なのに対し、その四人組バンドは「Beatles」なんですね。「Beat=拍子」をかけ合わせた造語であって。

今風に言うのならば、グループ名が一般的すぎて検索にもエゴサにも引っかからないからわざと綴りを変えたり造語にしたり。
今にして思えば、彼らはそれの先駆けだったんじゃないかなって思います。

沢田研二や岸辺兄弟などが居たグループサウンズはザ・タイガースですがプロ野球の阪神タイガースと混同することありましたもんね。

ってまた脱線したんだけど、OFF COURSEの小田和正氏の声を初めて聴いたとき、僕は物心ついたばかりだったかな、「なんて素敵な歌声なんだろう」って衝撃が走りました。

先ほど言及した「今だから」という曲は、当時大人気だった松任谷由実と小田和正とチューリップの財津和夫の3人がボーカルを務め、ギター加藤和彦・高中正義、ベース後藤次利ドラム高橋幸宏というサディスティック・ミカ・バンドの面々にキーボードと作曲は坂本龍一という、こんなに豪華がてんこ盛りにされてもお互いの音が喧嘩し合うようでもない絶妙なアンサンブルを奏でた名曲だと思います。

こうして改めて聴いてみると財津さんの声もとても素敵なのだけど、小田さんの切なげなパンチが心を刺すんですね。

今では明治安田生命のCMでの「らーらーらー ららーらー 言葉にできない」などで聴かれる優しげで包容力のありそうなイメージが大きい小田さんですが、彼の声の魅力は、そういった他に「今だから」などで歌われている突き刺すような毒気さえ帯びたシリアスさにこそあるのかなと僕は思います。

そんな僕が物心ついて小田和正さんの声いいな、かっこいい曲だな、って思った曲はオフコースの「君が、嘘を、ついた」でしたね。

この曲を知ったあとでユーミンや財津さんたちとの「今だから」がリリースされた時系列だったと記憶しているのだけど。改めて「君が、嘘を、ついた」を聴くとマイナー調のメロディに乗せた小田さんの歌声はもちろんのこと、ディストーション深めでトレモロアーミングも多用しているギュイーンとしたギターサウンドだったり、シンバルの残響など全体的にロック色が濃い曲ですね。

だからなんというか、ドラマの主題歌「ラブストーリーは突然に」で再ブレイクした小田和正よりもオフコース時代から続いている小田和正の声が好きなんだと言いたいし、米米CLUBにしても「君がいるだけで」なんかよりも「Shake Hip!」こそが至高だろ!と言いたいんです。 

伝説のコピペ「ボウイ博士」

これ以上書き連ねるとまるでボウイ博士になりそうですが。

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あの日 あの時 あの場所で
君に会えなかったら

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あれは2023年の12月10日のことでした。
その日はお昼からのトナリアのライブを観に、僕は新宿まで出かけてました。
ちょっとこの日は夜は早めに帰らなきゃ行けなかったので夕方からどこかでライブを観る予定は立てずにいたのだけど、IVYの有栖ゆのちゃんが渋谷のハチ公そばでフライヤー配るとのツイートを見つけたので、せっかくだしゆのちゃんにねぎらいの言葉でもかけに行こうと僕は渋谷駅に降り立った。

以前からも渋谷のハチ公そばではアイドルさんがフライヤー配りをしていることを見かけたが、例の感染症が一段落ついた昨年あたりから、そういうアイドルさんが急増したように思う。
フライヤー作成したらとりあえず渋谷いっとけ、みたいな。

そんなわけでJR渋谷駅の改札口を出たrrrらァァー♪ハチ公口のあたりをソワソワと、さも"普通の通行人"であるかのように歩きながら、かと思えば「ハチ公前で待ち合わせするなんて"おのぼりさん"のすることだぜ」と不本意ながら人を待ってる素振りをしたりして。
この雑踏の中でゆのちゃんの姿がなかなか見つからない。渋谷と言ってもハチ公近くとも限らないし、もしかしたらもう撤収しちゃったかな??
そんな中、ビラ配りをしている別のアイドルさんから声をかけられたり。それもまた一期一会だし、それがきっかけで新しい音楽とも出会えるし。

以前、弊ブログ「Trebleと出会ってから」という記事においても言及したのだけど、

このようにして彼女たちがフライヤー配りやCDやチケット売りなどを頑張ってる姿は応援したいと思うし、そんな機会かあれば出来る限り活かしたいとも思っている。

とは言うものの、「頑張ってる人を応援"してあげたい"」的な"あしながおじさん"のような高尚なものでもない。
正直言うと、僕は自分自身が生き延びること、Surviveすることで精一杯でもある。

頑張れば頑張っただけ報われる社会、救われる社会──世の中そんな性善説で回ってなんかいやしない。
頑張れば頑張るほど掬われる、巣食われると言ってもいいだろう。無意識の悪意によっていいように利用されてハイエナに食い尽くされた骨ガラになってゆくのだ。
そんな理不尽が当たり前の社会で僕は抗うように生きている。
かつては、死んでしまうことが社会への復讐だと思っていたこともあった。
しかしこういう僕のような人間が死んでしまったら社会の思う壺なのである。
だからこそ、それに抗って生きるしかない。
そう思うようになった。

そんな蟲螻のような僕にだって、誰かに喜んてもらいたい。といった感情も在り、誰かが喜んでくれることがすなわち僕自身の喜びでもある。
そんな"ある意味"僕自身のエゴのため、頑張ってる誰かを応援したくなるのであって。
頑張っても巣食われるような負の連鎖なんか断ち切ってしまいたい。

渋谷という人種の坩堝である雑踏でビラを配ったところで果たしてどれだけのフィードバックが返ってくるだろうか、それは限りなくゼロに近い小数点以下の話かもしれない。
だがしかし、それは決してゼロなんかではなく、思わぬ可能性も秘めている。だからこそ彼女たちは雑踏に立っているのだし、僕もそこに可能性を見つけようとしている。

いかんせん、僕の身なりがこういうものなので(笑)、「この人はアイドルよりもバンドが好きなんだろうな」みたいに思われてスルーされることも少なくない。と思ってる。
以前、フライヤー配りをしていた子に「こうして街中に立ってて、どういう人がアイドル好きそうに見える?どんな人をターゲットにする?」と訊ねたことがある。
「うーん…リュックにラババンとかぶら下げてある人はライブハウス好きなんだろうな、って思って積極的に声かけたりするかも」
彼女はそう答えた。
なるほどそれも一つの大きな手掛かりかもね。

しかし一方で、アイドル好きな人達があの電車の時刻と時刻を行ったり来たりする狭間の中で足を止めるかと言ったらそれもまた別問題で。

見た感じアイドル現場とは縁の無さそうな浮浪してそうな初老のおっさんや、いかにもホストや風俗絡みと思われる風貌の人たちにフライヤー配りのアイドルさんが絡まれているように見えると、それを制止しようかなと頭をよぎったりもする。
しかし「人は見かけによらないんだ」ということを改めて肝に銘じ静観せざるをえないのが現実。僕自身もそう見られてるかもしれないしね(笑)

ちなみにですけど、僕は見た目のまんまどおりメタルやパンクや、いわゆるV系も好きです。
しかし一方で冒頭で書いた小田和正さんの音楽なども好きだし、アイドルの楽曲も大好きですよ。
ベースを弾いてくうちに、いわゆるロック以外の音楽も真面目に聴いてみようと思うようになったんです。
それについては弊ブログの「僕とドリカム」をご拝読いただければ幸いです。

さて、そんなフライヤー配りどころか、ライブハウスのアイドル現場の最前列で僕は真剣にステージ観てる(つもり)なのにもかかわらず、そういう僕を観客の一人としてステージとフロアーの関係性に巻き込んでこようとしてくれないアイドルさんも少なくない。
別に爆レス乞食するつもりでもないがw

「ああこの現場は"おまいつオタク"さえ居ればそれで成立してるんだな」
って僕も割り切って考えられるし、それもそれで勝手にやっててくれて結構なんだけど、そういうグループの出番が続くと「かったるいな、ドリンクチケット引き換えに行くか…」ってなったりもする。
そこで大音量で音楽が流れていても、その中にかっこよさげなギターソロが聴こえてきても、「戸籍謄本すけすけバンティー!鬼瓦!」みたいな意味不明な怒号によってメロディーもリズムもかき消されてしまうこともしばしば。
それはフロアーに限ったことではない。
「ハァーイワタシタチ、〇〇の天使こと〇〇〇〇デスッ!メンパーショウカイシマース!ハァーイ赤色担当ナンチャラエンジェルコト〇〇デス〇〇ッテヨンデネー!\〇〇ゥゥゥ!/ハーイナンチャラガダイスキ黄色担当〇〇ゥェー!\〇〇ゥー/(5人くらい続く)」
って全然聴き取れない"おざなりの儀式"のあと、
「それじゃあ次の曲聴いてください!」
ってMCを締めくくると照明が落ちてフォーメーションを組む。
これはおそらく普段のライブであまり披露されないフォーメーションなのだろう。
フロアーのオタクからどよめきが起こる。
「もしかしてこれはレア曲なのかな?僕は初見なのでどれも初めてですけどね」
イントロが流れる。
「っしゃー行くぞ!タイガー!ファイヤー!(以下略)」
…レア曲とは一体… …。
(ちびまる子ちゃんのナレーションっぽく)

そんなステージのあと、「今日は初見さんは無料でチェキ撮れまぁーす!物販遊びに来てね」とMCで言われても、「はぁそうですか」としか感想が思い浮かばないし、それで物販列に行列が出来ているのだから市場経済は回っているのだ。

そんな一連の儀式も含めて、それがアイドル文化なのだし、それに恍惚を感じている人がマジョリティーを占める世界。
僕のようなサイレントマイノリティーは「迫害される楽曲派(笑)」と自虐的に言ったりもするけど、

つまり何がいいたいのかって言うと、
「いいものもある、悪いものもある。」
それに尽きるんだけどね〜

https://youtu.be/3N4IOg3AcQw?si=IEzKog17TYrYusoQ

令和年代のアイドルシーンを考える、と題してお話を伺いました。
いやぁ〜、スネークマンショーは楽しいなあ。

「アイドルライブはかくあるべき!」
などと「べき論」を言おうものならば「それじゃあ民主主義のルールで決着つけましょう」ってなって、僕のような「迫害される楽曲派」は、それこそ島流しですよ。
なので、僕側からしても「ライブの楽しみ方、応援の仕方は人それぞれ」でいいんだと思っております。基本的には。

という"一般論"はさておき、フライヤー配ってるアイドルさんに声をかけられると僕はまずそのアイドルさんの風貌とフライヤーのデザインを見て、彼女の話ぶりを聴いて興味が湧きそうならば「グループの楽曲のサブスクはあるの?」って訊ねている。
YouTubeにライブ映像のみアップロードされてるグループもあれば、音源のサブスクはもとよりアルバム作品としてリリースしているグループもある。
楽曲も知らないのにいきなり「来週の〇〇曜日ワンマンあるのでチケット買ってくれませんか!」とお願いしてくるアイドルさんもいる。彼女の愛嬌に思わず「それじゃあ…」となってしまいそうな気持ちも無いわけではないが、いや、ちょっとまって平日じゃん!無理無理!ってこともしばしばあるし、何より楽曲を聴いてみないことにはライブに足を運ぼうとはならない。基本的に。
そこが「(迫害される)楽曲派」たる所以でもあるのだけど。
なので、「とりあえずあとで楽曲を聴いてみるね」とワンクッション置くことでお互いが傷つかずにいられる、というのもある。
「行けたら行く」みたいな社交辞令じみた真似は嫌いだし、そんな安っぽい言葉で相手に期待を抱かせてしまうのは不誠実だと思うし、また、相手も相手で「でたよ、『行けたら行く』という決まり文句」などといった諦観を持ってもらいたくもない。
事実、僕はその楽曲に興味がわかなければライブへの魅力も感じないのだし。
めんどくせえ奴だな、と一笑してください。

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そんなわけで、IVYのゆのちゃん来てるかな〜ってハチ公交番近くの街路樹のふもとが一段高くなってる場所から俯瞰して、そのスクランブル信号を往来する雑踏に流されまいと立っている、アイドルとおぼしき女の子を探す。
往来のほとんどは、その目的地へと足を急がせることで頭がいっぱいの様子だが、僕と同じくして街路樹のふもとで待避しているのは外国人が多い。
ふと僕のとなりに一人の女の子が待避しにきた。

誰かとの待ち合わせかな?と思ったが、どうやらその子も手にフライヤーを持っているようなので、もしかしたらアイドルさんなのかな?
アイドルさんはステージ衣装のままフライヤーを配ってると見つけやすいのだけど、なんせ12月なもので衣装の上からコーチジャケットなどを羽織ってるアイドルさんも少なくない。
「ひょっとしてアイドルさんですか?」と声をかけようかとも頭をよぎったけれど、ナンパだと思われたくないので僕は再びハチ公口の、しぶちかへ続く階段の周りを一周してゆのちゃんを探した。
あっ!いた!
でもゆのちゃんは誰か他の人にフライヤー配っててIVYを売り込んでいる最中のご様子なので僕は後でにしておこう。
すると、そばにいた女の子と目が合って「あのぅ」と声をかけられた。
もしかしてさっき街路樹で待避してた子!?
やっぱりアイドルさんだったのか!?
見た感じアイドルさんというよりも女優さんのようなどこか落ち着いた雰囲気がある。
彼女からフライヤーを受け取る。
「"桃瀬すあま"といいます。これからアイドルでデビューするのでよかったらTwitterフォローしてください。」
桃瀬すあま単体の紹介をしている1枚のビラを受け取ると、僕はそのQRコードからさっそく彼女のTwitterをフォローした。

「リプ返してくれたら私からもフォロバするのでよろしくお願いします!」

えっ!?
アイドルさんといえばツイートにリプを送ると「いいね」を返してくれるくらいがせいぜいのデファクトスタンダードで、たまに引用リプをもらえたらラッキーで、直リプを返してくれるアイドルさんは稀なもので…
そんな認識でいたのでフォロバしてくれるアイドルさんというのは実に珍しいなと驚いた。

そして彼女が今後どんなグループで頑張ってゆくのかは、もう既にレッスンは始まっているようだが、この時点ではまだ言えないとのことだったので、僕の中で一つの指標にしている「サブスクやMVを聴いてみるね」が今回は通用しなかったのだが、その話しぶりからは、どうやら少なくともシャウト・スクリーム・デスボイスも操る所謂ラウド・ハードコア系ロックアイドルグループでは無さそうだった。 
「でもロックっぽいかっこいい系の曲もありますよ」
そうでないにしろ、僕がアイドル楽曲を好きになる可能性だっていくらでもあるのだし、彼女から発せられた「私が加入して更にかっこいいグループにします!」という意気込みを信じてみようと思えた。

「それじゃあデビューできる日を期待して待ってるね」
そう告げるとすあまちゃんは少し名残惜しそうに微笑んで他の人へのビラ配りに戻っていった。

すあまちゃんと話し込んでるうちにゆのちゃんを見失っていないだろうか…あ、いたいた!

無事に有栖ゆのちゃんからビラを受け取ることもできたのだが、ゆのちゃんそろそろ撤収しようかなって思ってた頃で、僕がゲットしたビラはゆのちゃんが持参した(本日の)残りの一枚だった。
ゆのちゃんは僕が渋谷まで来たのをとても喜んでくれた。

"一般論になるが"、
「ライブに来てくれてありがとう嬉しかった〜」というのは、もはや定型文になりつつあるし、どれほど喜んでもらえただろうか、ということに感覚が麻痺している場合が少なからずあると僕は思う。演者・観客共に。
だけど、たとえばこのようなビラ配りなどを通じて、「日常」になってしまいがちなライブとは別の感覚、言ってみれば「初心に帰る」感覚とも似ているのかもしれない。
いつか人気が出て観客が100人、1000人、あるいは一万人になってしまうと、「ひとりひとり」だった観客が「MASS(群衆)」という1単位になってしまうかもしれない。たとえそのような状況になったとしても「ひとりひとり」という存在を意識できるアイドルこそが「史上最強のアイドル」になれるのだ、というのが僕の持論。
あくまでも持論。

先述した「ハァーイワタシタチ、〇〇の天使〜」「イエッタイガガガァー!!!」という"おざなりの応酬"の反復運動で大箱を埋めながらやがて天下を取るアイドルも少なくないと思うし、それを「史上最強」と信じて疑わないファンも少なくないだろう。
僕からすればそれはフェイクスターでしかないのだが、事実、そんなフェイクスターでも武道館ライブなどを無事に敢行できちゃったりする。
其処に弱肉強食はあれども、僕が考えるロマンチシズムというものは其処には存在しない。
世界というものは無慈悲にも割といい加減にできてる理不尽なもの、とも思う。

帰りの電車に揺られながらさっきのゆのちゃんの喜んでくれていた姿を思い浮かべていると、早くもまたIVYのライブに行きたくなった。

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おうちに帰って夕飯までの間に、さっき会った桃瀬すあまちゃんにリプを返してみた。

すると、さっき本人が言ってた通りリプも返してくれたしTwitterもフォロバされていた。
あくる日、僕は早速にすあまちゃんから「とりさん」と命名された。
僕はTwitter上ではЛавочкинと名乗っており、@lavochkin も読み方はいっしょ。ロシア語(キリル文字)かアルファベットの違いか。
初めて会うアイドルさんから「お名前は?」と訊ねられてTwitterアカウント見せるとほぼ10割の確率で「???」ってお顔をされる。
口頭で「らぼーちきん」と告げても僕は鼻声なので「なぼさん?」とか返ってくることもある。
ナボナはお菓子のホームラン王です!

森の詩もよろしく。

そのЛавочкинの由来とは第二次世界大戦期のソビエトの戦闘機の名前であり、Twitterを始めた当初はプラモデル製作ブログの延長上のものであり、まさか今のようにTwitterを使うだなんて想定してなかった。

ラボーチキン戦闘機La-7

Twitterを通じて知り合った人と直接お会いする機会が訪れるようになり、「らぼさん」と呼ばれることも増えてきた。
しかしあくまでもЛавочкинというキリル文字表記はそのままに、どうぞお好きなように呼んでください。とのスタンスは変えていない。

すあまちゃんが僕を「とりさん」と呼んでくれるのはおそらく「чкин」の部分からのインスピレーションなのだろう。そうやって彼女の感性が伝わってくることも嬉しいし、「私は他の人たちとは違うふうに呼びたい」と言ってくれたことも僕は嬉しかった。

あくる日も、そのまたあくる日も、すあまちゃんは渋谷や秋葉原でビラ配りを頑張っているし、彼女のTwitterを覗いてみると少しずつフォロワーさんが増えているし、連日の配信を見に来る人も増えてきてコメ読みが追いつかないほどになってきた。
わざわざ全部拾ってくれなくてもいいんだよ〜とは思うが、やっぱり拾ってもらえるのは嬉しいし、そんな他愛もない話ばかりしている中で、「この子は"地頭"がいいんだな」と思わされることもしばしば。
時々漢字を読めなくて「漢検二級ってほんとなの?」と思う場面もあるがw、同年代(と思われる)アイドルさんたちよりはボキャブラリーも豊富だし、会話の"いなし方"の引き出しもたくさん持っていて、その上で「感性の赴くまま」に浮遊している。

ミュージシャンに例えるならば、アドリブ演奏やアヴァンギャルドを好むがそれは確かな基礎演奏力があってこそのものとも思うし、また、黙っていると美人さんなのに、たまに奇行に走ったりエキセントリックな一面も覗かせるが、しかしそれは「奇をてらったもの」などではなく、情緒不安定のメンヘラちゃんでもなく、帰結点というか着地点に戻ってこられる安心感もある。

そんな彼女なので、僕からのおかしな返信に対しても機転がよく利いたお返事が返ってくるし、僕が想定してなかった方向から変化球を飛ばしてくることもある。
自分で言うのもアレだが、僕のエスプリの利いたジョークが伝わるには、伝わる側にもエスプリが備わっている必要があるのだが、すあまちゃんにはそれが備わっているからこそだと僕は思う。

───

12月16日。
今日はセイちゃんがカフェで"一日店長"をしながら、ちょっぴり早いクリスマスをみんなで楽しむというイベントのため、僕は原宿に向かおうとしていた。
ところが電車内でTwitterしてたらすあまちゃんのこのツイートを目撃してしまった。

「渋谷通ったら挨拶に来てください!嘘!」
「嘘!?」
なんて戯けているけれど、この機会は逃しちゃいけないんだ!
そう直感が走った。
気づいたら僕は渋谷で電車から飛び降り「ぶらり途中下車の旅」をした。
(CV:滝口順平)
渋谷駅は長年の改築工事のために駅売店が無い状態が続いている。改札を出てちょっと歩いたところのコンビニでホットのミルクティーを買い、バッグに仕舞い込んで先週も来た雑踏に再び飛び込んでいった。
すあまちゃんはデビュー前なので、当然ながらにステージ衣装は着ていない。し、彼女がどんなステージ衣装になるのかもまだ知らない。
クリスマスが近づいてきたせいか、心なしか先週よりも雑踏の人影が増えている気がする。
というか渋谷のスクランブル前は常に山手線などの乗降キャパシティ一杯、青信号の周期で渡れるキャパシティほぼ一杯で流動しているイメージ。
深夜や早朝でない限り、一年中魑魅魍魎でごった返している。
しかしクリスマスが近づいてるゆえに、歩行速度が遅いバカップルの割合が増えた気がする。あいつら目的も無くブラブラ徘徊してるし二人一組で動くので、シューティングゲームの大きな岩の障害物や要塞みたいにこちらの行く手をことごとく阻んでくるし、「ねぇこれからどこいく?」「うーんきみがすきなばしょ」なんて気持ちもフラフラしてっから、周囲の往来の状況もよく見てないんだよ。
「リア充爆発しろ!」と思うのは、嫉妬やルサンチマンなんかではない。歩行者であっても交通ルールくらい守ってほしいものだわよ。この生き馬の目を抜くコンクリートジャングルアスファルトシティーにおいては特にね。

ようやくすあまちゃんの姿を見つけた。
先週お会いしたときよりも大人っぽく見える?
てっきり先週会った白いイメージですあまちゃんを探してしまったが、さっきのツイートでお召し物を再確認しとけばよかった!
って気も回らない。(←ばか)
しかし手に持ってるビラを見て「やっぱりすあまちゃんだ〜!」
「あっ!こないだも会いましたよね!水色の爪だった人!」
「そうそう!」
「でも私、人の顔とお名前を一致させるのほんと苦手で…」
って再びTwitterの画面を見せると「あっ!!!とりさん!!!」
先日ここハチ公口前で会った時よりも、その後のTwitterや配信でより多くコミュニケーション取るようになったし、名前と顔が完全一致したことによって心の距離も短くなった、と思う。
「とりさん聞いて!来年の1月過ぎにデビューライブが決まりそうで今衣装も作ってもらってるの!でね、私のメンバーカラーが水色になるの!とりさんの爪の色と同じだよ!」
お互いお話に夢中になっていると、ふと僕のバッグの内側から重みと温かみを感じた。
「あっ、そうそう、ほんのささやかなものだけど…はい差し入れ。」
バッグに仕舞い込んでたさっき買ったミルクティーをすあまちゃんに手渡した。
「あっ、ごめんね…すあまちゃん見つけるまでにミルクティーさめてきちゃったかも…」
「ううん、まだ温かいよ、ありがとう!」
「寒い日が続くけどビラ配りがんばってね」
そう告げて僕はすあまちゃんに手を振って改札へすべり込み原宿へ向かった。
さっきのすあまちゃんの言葉を咀嚼しながらつり革を握る自分の爪を眺めている。
たしかに僕も水色好きだし、だけど青も緑もパープルも好きだし、ギタリストの端くれとしてはやっぱり真っ黒な爪も好きだ。あの日たまたま水色だった、とも言えるのだ正直。
だけどあの時の彼女の嬉しそうな姿を大切にしたいと思った。

アイドルを続けていく上でつらくなることも今後たくさん起こると思う。今まで見てきたアイドルさんにもいろいろ感じるところはあったし、だからといって他のアイドルさんが乗り越えてきた術を伝授することもできないし、人の悩みは人それぞれ違う悩みを抱えているのが当然であって。

よく「地下アイドルあるある」だとか「オタクあるある」を一般化させて、あわよくばバズり狙いをしたり、インフルエンサーになろうとする者もいる。
実際、インフルエンサーと呼べるくらいのフォロワーを持つ者もいる。
だけどそんなの一般化させることはできないと僕は思うし、そんな「地下アイドルあるある」で一般化されてしまうような”凡庸な”アイドルには興味はないし、そんな凡庸で陳腐なケースに当てはめて悩んだりしてほしくないし、僕が推す人は「唯一無二」の存在でいてほしいし、僕は僕なりの応援の仕方しかできない。

すあまちゃんの配信のコメントやTwitterからいくつものエピソードを思い出している。
たとえば「スキマスイッチを選んでください」という人間とbotを識別するための画像選択API「reCAPTCHA」をパロディ化させた"ミーム"を素材に、「すあまを選んでください」という雑コラ(笑)を作成したところ、すあまちゃんご本人にウケてもらって、気づいたらTwitterのヘッダ画像に加工されてたw

黄色いパーカー着てたすあまちゃんのフードを"すあま色"に加工したのだけど、こうして使ってもらえるのならもう少し丁寧に加工すればよかった(笑)

─────
そしていよいよ、すあまちゃんのデビューが公式に告げられる。
錬日乙女個色(れんじつおとめこいろ)というグループの水色担当に決まった。
この"れんこい"は、以前までは錬日oTo個色というグループとして活動していたが当時の主要メンバーが複数人脱退したことによって3人の新メンバーを加えてグループ名も一新しての再始動とのことで、oTo個色の楽曲を受け継いで歌うということでYouTubeに当時の映像で楽曲の予習もできる。……のだが、観客の声援などでかき消されて聴き取れなかったりもした。

そんな中、先輩メンバーの八代千冬さんが、れんこいの楽曲を予習できそうな過去のライブ映像をTwitterで紹介してくれた。

ちょうど同じタイミングですあまちゃんも配信で"れんこい"の楽曲を"歌ってみた配信"してくれることになり、千冬さんが紹介してくれた映像と共に、満を持して迫害される楽曲派()の僕の「とりあえずあとで楽曲を聴いてみるね」が叶うことになった。
配信画面の前(すあまちゃんが同居しているおばあさまの家で)でれんこいのオケ音源を流しながら、すあまちゃんは一人カラオケ状態でれんこいの代表曲を4曲ばかり歌ってくれた。

普段から「楽曲派」を自称している僕にもかかわらず、音楽性とはまったく違う方面から気づいたらすあまちゃんのこと好きになっていたけれど、すあまちゃんはお歌もうまくて安心したし、ライブに行ってみたいという気持ちも高まってきた。
その中からギターやベースの気になったフレーズをコピーしてみる、と毎度の"悪い癖"も発揮しながら、というかそれを発揮させるべく、すあまちゃんが歌ってる部分だけ配信を録音して何度も聴いていた。
中でもライブのクライマックスに持ってくることが多いという「Kira♡Kira」は、メロディーが素敵な曲だと思った。

そして「Kira♡Kira」のアウトロでは観客から「ガチ恋口上」が叫ばれるのがれんこいライブでの恒例となっているそうだ。
そして彼女はそれをアレンジした「🩵すあまガチ恋口上🩵」を考案して配信で披露したのだが、その中の「やっと見つけたすあま屋さん」という部分が僕的にいささか引っかかったので、僕は「やっと見つけた和菓子屋さん」と、ボソッとコメントした。「こっちのほうがいいよ!」などという大それた他意など全く無かったのだが、すあまちゃん自身も「すあま屋さん」か「和菓子屋さん」かで迷っていたそうで。

https://twitter.com/RenKoi_Suama/status/1750737311028125985


うん、僕も「やっと見つけた和菓子屋さん」がいいと思う😇

いよいよ!
すあまちゃんの錬日乙女個色水色担当のデビューが迫ってきた!

このデビューライブに僕は「お目当て:錬日乙女個色」で予約し、新メンバー指名で入場した観客にはそのメンバーからのメッセージカードが送られるというレアな特典もつくことになった。
すあまちゃんは配信で用意したメッセージカード(未記入)を見せてくれた。
そういうところにも背中を押されて、せっかくだしデビューライブを観に行くことにしてすあま指名で予約した。

2024年1月28日。
神田明神文化交流館EDOCCOでのアイドルイベント「EDOCCO祭り」にて、錬日乙女個色と名前も一新した新体制のお披露目ライブが"トリ"でおこなわれる。
僕は前日に髪の毛の一部を水色に染め、爪の先も再び水色に塗り直した。
たまたま爪が水色だった初めてすあまちゃんと会ったあの日とは違う、僕は明らかにすあまちゃんのことを意識しながら水色に染め上げる戦闘準備を整えているのだ。
否が応でも緊張感が高まってくるし、僕は観客側としてもこの緊張感を大切にしたいし、観客が本気にならなきゃステージも本気にならない、とは僕の持論(あくまでも持論)である。
と言いながらも、出かける直前になって「〇〇用意するの忘れた」って、縛った靴紐を解いてまた階段を駆け上って、結局電車ギリギリに、なんてのは日常チャメシ事だ。困ったものだ…

しかしこの日は午前10:35から夜20:45までの長丁場であるし、さすがに全部はしんどいし、僕はゆっくりしっかり身支度をして、午後2時過ぎからのんびり観ることにした。
ほぼ全てが初めて観るグループだったし、そのうちほんの一部だけあらかじめサブスクも聴いてみたけど、やはり「百聞は一見に如かず」だったかな。
その中からキラリと光る新たな発見もあったし、新規さん無料写メやチェキなどにも参加しながら特典会ロビーとライブフロアーを行ったり来たりして。

しかしこうして何グループも観ていて感じたことは、弊ブログの当記事の上段で書いてきた、その、つまり何が言いたいかっていうと、

「良いものもある、だけど悪いものもある。」

なんだよね。
その1行だったらこんなブログなんかで徒然なる儘に書くよりもTwitterで済ませたほうがいいんだがなwww
だけどそんなファストフードを一口でかき込むように喰い尽くして"消費する"だけで終わっちゃうような生き様をしてると、なんだが僕の方まで"消費されて"終わっちまう気がしてならないんだ。

「ああこの現場は"おまいつオタク"さえ居ればそれで成立してるんだな」
な、僕の個人的極私的主観によるところが大きいんてしょうけど、"おざなり"になっているグループもあったように思いました。それでも動員もチェキ列もそこそこ長蛇をなしていたりして。
それはそれで結構なことですが(笑)、「あーあ時間返して」とも思ったりもします。
しかしサブスクが隆盛しYouTubeなどで試聴がしやすくなった現代に比べたら、一昔前なんて「CDをジャケ買いして失敗する」なんてこともたびたびあったから、失敗もまたお勉強なんだと思うように心がけています。

そして本日のトリの錬日乙女個色のステージが幕を開ける。
バンドセットライブと違ってPAでオケを流すスタイルなので各グループへの転換時間もほとんど無く、タイトに始まります。
オープニングSEと共に6人がステージに現れ、横一列にフォーメーションを取る。
ほぼ最下手の最前列の僕の目の前には、水色担当桃瀬すあまちゃんがキタ━━━(゚∀゚)━━━!!
イントロが始まるとすぐにフォーメーション切り替わってしまったけどね…(;_;)
しかし記念すべきこの瞬間を確実に目の前で目撃できたことは、とても名誉なことと思った。

別に自慢するために観てるんじゃないけど、数年後に彼女がもっと大きなステージに立つ時、この日のこの瞬間のこと思い出してくれたらこんなに嬉しいことは無いし、いつまでもステージに立って頑張る彼女を僕は誇りに思っていたい。
いや、僕にとって桃瀬すあまは誇りであり自慢の推しでもある。
そういうふうになりたいものだ。

その様子はれんこいの公式YouTubeにもアップロードされているので、いわゆるライブレポ的なものは割愛します。
というか、楽曲の予習はある程度してきたけれど、ステージでは殆どすあまちゃんのことばかり観てました。持参したペンライトはずっと水色に点灯させてました。

少々ぎこちなかった部分もあったけど、それもまた初々しさとして映り、それもまたいとおしいと思えた。
一方で今日が初舞台なの!?と思わせるような堂々とした、というか肝が座っているなぁと感心させられる場面もあったりして。
アイドルとは、まず最初にステージでの印象ありきで、そこから好きになってゆくというケースがほとんどだけど、すあまちゃんのように、まず本人を好きになってそれから初めてステージを観る、といった極めて稀な例だったが、すあまちゃんのこと好きになってよかったな、これからも応援してゆきたいな、そう思えるアイドルっぷりだった。

特典会はもちろんすあまちゃんの列に並んだ。
さすがトリを務めるだけあって、れんこいメンバーの列はどれも長蛇になっていた。
他のグループもそこそこにフロアーにたくさん人が集まっていたが、れんこいに並ぶ人の多さは群を抜いていた。

いよいよ僕の出番になったのだが、すあまちゃんは僕が観に来たことをとても喜んでくれた。
「まさか、とりさんが来てくれるだなんて!!」 

たしかに僕は直前までこのライブに行くことを明かしていなかった。もちろん行くと決めた時点で、予約特典のメッセージカードのこともあるし明確に「予約したよ」とは伝えたのだが。
それでもすあまちゃんの中では「とりさん=アイドルよりもバンドが好きな人」という認識を彼女は持っていたみたいで。
僕は典型的な"アイドルオタク"のノリとは違うし、ペンライト持参してもほとんど使わずに終わることも多い。しかしペンライトや髪色や爪の先まで水色に染め上げてきたことを、すあまちゃんはとても喜んでくれた。

https://twitter.com/lavochkin/status/1751660637821063282

そんなわけで、僕は毎回ライブに参戦すると、その記録としてその日腕に書いたセトリと共にチェキを撮ることを心がけている。そのグループの推しとだったり、生誕ライブならその主役とだったり。
すあまちゃんのセトリチェキを撮ってもらったあとは、二人でお揃いの水色の爪を見せるチェキも撮った。
期せずして(?)
「あれっ?この構図!?…」
渋谷ハチ公口渋谷ハチ公口そして神田明神。
これですあまちゃんに会うのが3度目になるけど、Twitterや配信でもコミュニケーションしているのでもっと前から知り合っている気さえしている。
「…この構図…婚約記者会見みたいじゃない!?」
もちろん冗談に決まっている。
ガ、ガ、ガチ恋こじらせてなんかいないからねッ!!
「ガチ恋」なんて通俗的な言葉で片付けてしまうとかえって陳腐になってしまうだろう。

見ようによっては「ただ今よりオベを開始する」チェキにも見えなくもない。(余計なこと言うな)

なんて、お戯れをぉぉぉ〜なこと言ってると、彼女は喜んでチェキに指輪まで描き加えてくれた。
そんな彼女のユーモアというか機転の速さが僕は好きだ。

地下の文化交流館から外に出ると、神田明神はすっかり夜の装いになっていた。
月明かりと、ライトアップされた明神様と、そしておみくじを結びつける大きなハート型のオブジェが水色に光っていた。
天神様とお月様が、水色に輝く君を見守っているように映った。

光る場所の向こう側へ

キラキラgirl 照らしてゆく
普通じゃつまんないから
big action起こし続ける

無限に広がる夢ばかり
君と最高な景色が見たい

光る場所の向こう側へ
行ける 何処まででも 
Ride on jumpin'
(※ 小生による書き起こし)

Kira♡Kira/錬日乙女個色


帰りの電車に揺られながらイヤホンさしたまま音楽は流さず、脳内でさっき鳴り響いていた歌声の余韻に心をスイングさせていた。

ふと、「光」というキーワードに、僕は昨年の4月まで追い続けていたKAQRIYOTERRORで一番好きな曲「カクリヨ奇想曲」を思い浮かべたりした。

そっと閉じかけた 希望ひとつ
手のひらに浮かんだ
もうダメかも…折れかけても、
すり抜けてゆく欠片集め泣きじゃくるのは
きっと光の先に君がいるからで、でしょ?

カクリヨ奇想曲/KAQRIYOTERROR

ずっとずっと大切にしておきたいこと、
それは今でも変わっていない。
しかしそんな喪失感ばかり抱えていては前へ進めない。
時の流れは、時に無慈悲でもあり、
時に古傷を寛解させてもくれる。

最寄り駅からはタクシーにも行列ができていたので、徒歩だと数十分の道のりを、Kira♡Kiraのフレーズを脳内リフレインさせながら歩き、"午前様"を過ぎた時刻に自宅に到着した。

すあまちゃんが書いてくれたメッセージカードを開封した。
水色の小さな封筒の中には名刺サイズのカードがあり、小さな文字でびっしりとメッセージがしたためられていた。それはメッセージカードというよりミニチュアのお手紙のようだった。

すあまちゃんこそありがとう。

今まで僕が推していた(いる)人の共通点でもあるんだけど、書く文字が素敵だということ。すあまちゃんの筆跡を見ていると、彼女の誠実さがひしひしと伝わってくるのだ。そしてこのメッセージ。(中身は秘密だが)

とりさん🐦
と宛名書きの横に添えられた青い鳥のイラストは旧Twitterのアイコン?確かにTwitterを通じてたくさんお話もしているもんね。

ちょうど昨日あたりから、YouTubeで日産の名車510ブルーバード関連の動画を見ていたんだけど、そのモチーフにされたメーテルリンクの童話の「幸せの青い鳥」を僕は思い出した。
もしかしたらすあまちゃんの中にはそういう意味も込めて描いてくれたのかな?
なんて思いながら、以下に書かれたメッセージを読んでいたら、この日僕がすあまちゃんの初ステージを見届けることができて本当に良かったと思えたし、彼女がここまでに心を込めてくれたことに、僕の涙腺は思わずうるっとしていた。

今後より多くのファンたちとライブを共にするようになれば、そうも言ってられない事態も起こり得るわけで、しかし彼女にはより多くのファンがついてほしいのもまた事実であって、そうなってしまったら彼女との距離が遠くなってしまう二律背反な寂しさも抱えつつ。

そんな時に思い返してほしいのは彼女がデビューすることを決心した時に思っていたこと、すなわち「初心」を大切にして欲しい、ということ。

デビューして経験を重ねていくと自分の考え方も進化していくだろう。それは「成長」であり、デビュー当時のことを振り返るとそれを時に「黒歴史」と映ってしまうかもしれない。しかしそれは現在進行形の自分自身に対する誇りであるとも言えるしデビュー当時の自分はその到達点まで考えが至らなかったという証左でもある。
しかしそんな幼かった拙かった荒削りだったあの頃の自分の、たとえばまっすぐさであったり無垢さであったり、どこか「光る物」があり、もしかしたら現在の自分自身が見失いかけていた大切なものかもしれない。
「初心を大切にする」と言ってしまえば簡単な常套句に聴こえてしまうだろう。しかし初心に帰ることの意味を噛み締めながら、どこまでも成長して羽ばたいていって欲しい。

───

あの日 あの時 あの場所で
君に会えなかったら
僕等は いつまでも 見知らぬ二人のまま

この懐かしい曲の歌詞には次のように続いて
このフレーズと交互にリフレインしている。

君のためにつばさになる
君を守りつづける

ラブ・ストーリーは突然に/小田和正

こじつけだと言われてもいい。
「とりさん」と命名されたことと、この歌詞が重なって映った瞬間、僕は身震いがして鳥肌が立った。

とりだけに。

これからも君のこと守り続けていきたい。

2024.02.14.
"とりさん"ことЛавочкин(らぼーちきん)



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