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アンドレ・ドランと私 [本編]

70年前の雑誌『国際文化画報』で紹介されていたアンドレ・ドラン。
最近 アンドレ・ドランのことが気になって仕方ない理由を、前回の投稿で書きました。

アンドレ・ドランの作風は生涯 変化し続けるのです。
【フォーヴィスム】→【セザニスム】【キュビスム】→【古典回帰】。
そのため、いろいろな美術展において展示される彼の作品は、多種多様であり、展示場所もさまざま
ある時はセザンヌの隣、ある時はアンリ・マティスの近く、またある時はジョルジュ・ブラックの直前に・・・。
そして展示会で予期せず出会うアンドレ・ドランの作品は、展示会の「主役」ではないけれど、胸の奥にキュンとくる私好みの作品ばかりなのです。

前回の投稿より

多種多様な画風について年代別に並べるとこんな感じでしょうか。

+++ アンドレ・ドラン(1880-1954年)+++
1898-1899年 アカデミー・カリエールで絵画を学び始め、マティスと出会う。
1900年にはヴラマンクと知り合い、アトリエを共有して共に制作を行う。
1905年の夏、地中海に面した港町コリウールに住むマティスと合流。新しい絵画表現を探求。
1905年の秋、サロン・ドートンヌの第7室=「フォーヴ(野獣)の部屋」にマティス、ヴラマンクらと作品を展示。
1907年 セザンヌの作品に大きな影響を受けたドランは、ついで【キュビスム】に触れて一層構成的な画面を試みるようになる。
第一次世界大戦後(1919年以降)は、落ち着いた【古典】的な画風に復帰するようになっていった。
1954年 交通事故で命を落とす
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そして国際文化画報(1953年8月号)【画壇の明星】で紹介されていた記事がこちらです。

国際文化画報1953年8月号特集【画壇の明星】より

記事で紹介されているのは、1910年から1914年というわずか一時期に制作された作品ばかり。暗い色合いの作品からは、ほんの5年前まで激しい色彩を操っていた【フォービスム】(=野獣派)の画家であるとは想像もできません。
これらの作品を並べて「描いた画家の名前を当ててください」と言われてもわからないかもしれません。セザンヌっぽいけど、左端の『二人の姉妹』は違うようですねぇ。。。
うーーーん、謎が多い画家。ワクワクします!

今回はアンドレ・ドランにとって転機となった年代について、私が実際に観てきたドラン作品を参照しながら考察していきたいと思います。

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1904年のアンドレ・ドラン
私が最初にドラン作品と出会ったのは、<ビュールレ・コレクション展>(2018年3月・国立新美術館)。絵画鑑賞を始めてまだ日の浅かった私は、アンドレ・ドランの名前を聞いたこともありませんでした。

『室内の情景(テーブル)』1904年頃(ビュールレ・コレクション)

1904年は「フォーヴ」と名付けられる1年前。兵役から戻ったばかりのドランは、再びヴラマンクと共に制作することも多かったといいます。
この作品の解説によると、
ドランにとって当時 重要な画家であったセザンヌ(厳しい造形性)とゴッホ(自由で大胆な色彩と筆遣い)の影響が見られる
そうです。
確かに。テーブルや椅子が極端にこちらに傾いているため、果物はこぼれ落ちそうです(…セザンヌのような)し、右上の白い物体が何なのかさっぱりわかりません。また画面奥の部分は何度も塗り直しており、全体的に厚塗り(…ゴッホのような)になっているようです。
この時のドランは、“色彩”“形態” の両面において何かを探求していたようです。

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実はこの頃 アンリ・マティスは、【新印象主義(=点描)】のポール・シニャックと過ごした南仏サン=トロペからパリに戻り、こちらの作品を描いています。
1904年のアンリ・マティス

アンリ・マティス『豪奢、静寂、逸楽』1904年(ポンピドゥー・センター 所蔵)

近代絵画を考察するにあたり 何度も登場するのがこの作品。それほど大きな影響力を持っているということなのですね。
先月訪れた<アンリ・マティス展>(東京都美術館)の解説によると、

いまだに固有色の放棄、純色、筆触分割、視覚混合という【新印象主義】の規則に従ってはいるものの、マティス独自の道を進むべく決定的に重要な一段階を記した。ただ、当時マティスを悩ませていた色彩と線描の衝突はここで解決されずに終わった

とありました。面白い表現ですね。
確かに、理論に基づいて “色彩” を配置していくシニャックの影響をまだ残しながら、「もっと自由に!もっと感じるままに表現したいんだ!」とマティスの叫びが聞こえてくる作品です。

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1905年のアンドレ・ドラン
私が次にアンドレ・ドランの名前を見たのは、<Pushkinプーシキン美術館展>(2018年5月・東京都美術館)。
アンリ・マティスとコリウールで共に過ごした1905年です。

左)『港に並ぶヨット』1905年(プーシキン美術館)
右)1905年10-11月のサロン・ドートンヌ展を伝える記事

5年前の東京都美術館の展示室で、
「【フォーヴィスム】(=野獣派)って、こういう作品のことなんだぁ。色彩が鮮やかであるぶん、湖面に写るヨットの帆=白色がまぶしい✨。アンドレ・ドランってアンリ・マティスの仲間=【フォーヴィスム】の画家なんだね・・・」
と学習意欲に燃えていた私はインプットしたのであります。
  ↓
実はこの作品。1905年秋、あの「フォーヴの部屋」に展示された記念すべき絵画の1点なのだそうです(画像・右、記事中央にこの作品が紹介されています)。
118年後の日本の展示室で私が「これぞフォーヴ!」と感じたことは大正解なのですねルイ・ヴォークセル(フォーヴの名付け親となった美術批評家)さん!

この作品を描いた1905年。コリウールで “色彩の力” を追求していたドランとマティスは、共通の「直観」を確かめることができたといいます。その結果、技法として拘束の多い【新印象主義】の点描技法を放棄するに至ったのだとか。。。

その「直感」とは、色彩を科学・理論的に点描の中に閉じ込める=【新印象主義】には限界があり、己の感覚を重視して “色彩” を解放してこそ自らの感動を表現することができる!ということですね。
『港に並ぶヨット』を見ると、まだまだ点描法を拡大したようなタッチが見られるものの、ルイ・ヴォークセル氏がこの作品に対して指摘した「幼稚さ」「素朴さ」「装飾性」という表現は、彼らが新しい一歩を踏み出したことを示しています。

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◉ 同じく1905年のドラン作品を先日、<ABSTRACTION展>で観てきました(アーティゾン美術館の新収蔵作品)。

『女の頭部』1905年頃(アーティゾン美術館)

100年以上前の【フォーヴィスム】というより最新の現代アート!
色合いが美しいですね。髪の毛は○○色、肌は○○色、そんな対象物が持つ固有の色ではなく、ドラン自身が感じ取った色彩で彼女を表現しています。「サーモグラフィー」の映像ならぬ、ドランの感覚を反映させた「ドラン・グラフィー」で私の顔を映したらどんな色合いの映像になるのでしょうか? 是非見てみたいものです。
ここでは完全に点描を捨て去り、大胆な筆遣いでドランが自由を楽しんでいるように感じます。
絵画は自然の再現である、色彩はデッサンや素描に従属するものである、という概念から解き放たれ、自然から受け取った自らの感動を表現するのが色彩なのである!ということなのですね!【フォービスム】なるほどです。

そして女性の「上から目線」、これマイブームです。我が家に飾らねば!とポストカードを購入しました。

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1907年のアンドレ・ドラン
アンドレ・ドランの【フォーヴ】時代は、実質的に1906年で終わったと言われるそうです。1907年のアンデパンダン展に出品した作品がこちら(これは実際には観ていません)

『水浴する人々』1907年(ニューヨーク近代美術館 所蔵)

昨日(←大袈裟ですが)まで「色彩で何かを表現することを追求」していたドランが、今日はゴツゴツした輪郭、強い陰影によって対象の立体感を強調するような描き方をしています。
ドランの関心が色彩から堅固な形態へと移っていったことが明らかである
と解説されていました。そしてこの変化について、
・1906年頃から収集を始めたアフリカ彫刻
・1907年のサロン・ドートンヌで回顧展が開催されたセザンヌ作品
・モチーフを幾何学的な形態に単純化したピカソやブラック
からの影響が指摘されるそうです。

色彩は穏やかに、画面が構築的に…。大きな転機となった作品がこれなのですね。
そして、さまざまな刺激を受けながら独自の表現を探求していくために、どんな大胆な変化をもいとわない人物、それがアンドレ・ドランなのである!!
と勝手にキャッチフレーズをつけてガッテン合点しました。

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1910年頃のアンドレ・ドラン
その後いろいろな展示会で私が出会うアンドレ・ドランは、“展示会の一番!” ではないのですが、なぜか “あと引く” 納豆のような(例えが悪くてすみません、褒め言葉です)作品ばかりでした。
同時期に開催されていた<自然と人のダイアローグ展>と<ルートヴィヒ美術館展>で観たアンドレ・ドランがこちら。

左)『カーニュの眺め』1910年(フォルクヴァング美術館)
右)『サン=ポール=ド=ヴァンスの眺め』1910年(ルートヴィヒ美術館)

以前の投稿にも書いたのですが、セザンヌに影響を受け、【キュビスム】に向かいつつある画家たちの作品、好きです!

【セザニスム】【キュビスム】…抑制された色彩と堅固な構成を試みていくアンドレ・ドランは、その後 冒頭に紹介した国際文化画報(1953年8月号)で紹介されていたような作品を描いていくのですね。

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1920年代(第一次世界大戦後)のアンドレ・ドラン
そして<オランジェリー美術館展>(2019年11月・横浜美術館)。
シスレー、モネ、ルノワール、セザンヌといった印象派の画家たちが並び、続いてアンリ・ルソー、マティス、ピカソ、モディリアーニ・・・ほおっ何とも贅沢なコレクション。

で、会場に突然現れた大きな(175 × 175cm)この作品はとてもインパクトがありました。

『アルルカンとピエロ』1924年頃(オランジェリー美術館)

楽しいんだか怖いんだか、陽気なんだか闇なんだか、美しいんだか気味が悪いんだか。。。展示会場でシュールな世界観に引き込まれました。
今、画像で見ても不思議な魅力を持つ作品です。

空は斜めにふたつに割れ、砂漠のような場所でアルルカンとピエロが楽器を弾きながら踊っているようです。しかし楽器には弦がなく、彼らの表情は動かないままで 何を考えているのか読み取れません。まるでゼンマイで動かされている人形のようです。そしてほぼ実物大のサイズ!
アルルカンを描いた作品は哀愁を帯びているものが多いのですが、不気味(←良い意味で)なのに惹きつけられる作品のNo.1はコレかもしれません。
後で知ったのですが、池井戸潤さんの小説『アルルカンと道化師』はこの作品が由来となっているそうです!やはり物書きが小説にしたくなるほどインパクトがある絵なのです。俄然がぜん、読んでみたくなりました。

4年前。美術史のことなど何もわかっていなかった私ですが、
「あれっ?アンドレ・ドランってこんな作品を描いてた人だったかな?しっかり名前を覚えておかねば・・・」
と、展示室内で作品リストの名前[アンドレ・ドラン]にグルグル丸印をつけたのを覚えています。

そうなんです。
4年前の私の感覚は正しくて、アンドレ・ドランはいつの間にか対象物が持つ固有の色彩を用いて、目に見える形を写実的に描いているのです。いつの間にか。。。

前衛芸術(絵画とは自然の再現ではない!。新しいこと、誰もやっていないことをやろうと前へ前へ向かう芸術)が主流の中、新しい真実を求めて過去へと逆流したドランは、伝統的、古典的な絵画へと「秩序への復帰」を果たしていくのです。

そして驚くべきことに、彼はその後の画業で、何らかの新しい主義を信奉することなく【古典】に回帰したまま生涯を終えるのです。
先ほどドランのことを、
大胆な変化をもいとわない人物
と認定したばかりなのですが…。あれっ?。

例えば、
1930年代のアンドレ・ドラン
<スイス・プチ・パレ美術館展>(2022年9月)

『横たわる金髪の裸婦』1934-39年(プチ・パレ美術館)

展示会場の最後のスペースに飾られていたこちらの作品。
うわーーーっ!。気になる作品、“あとを引く!” と思ったらやっぱりアンドレ・ドランでした。

“横たわる裸婦” という題材は、ルネサンス以降 画家たちが扱ってきた伝統的なもの。カンヴァス右半分(女性の足や布)の筆致はまるで何かを試しているようでもありますが、やはり堅固で調和の取れた形態を重視する【古典】様式のドランです。

そんなアンドレ・ドランに対して数多くの誹謗ひぼう者が現れます。仲違なかたがいしていたヴラマンクは、
「ドランはヴェルサイユの骨董屋たちのために近代絵画をやっている」
と言ったそうです。
ドランと共に新しい挑戦と実験を繰り返し、前進して来たヴラマンクは、遠く離れてしまった寂しさからこんな発言をしたのかも知れませんね。

1935年頃からアンドレ・ドランは、次第に数人の友人(ジャコメッティ、バルテュスそしてポール・ポワレ)とのみ付き合う孤独な生活に入ったといいます。
そして前衛芸術から遠ざかったドランは、ナチス政権から退廃芸術として弾圧を受けることもなかったため、当時のドイツに旅行。そのことが原因で評判を落としてしまったそうです(涙。

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ここまで長々と書いてきましたが、上手くまとめられません。
アンドレ・ドランって何者?
アンドレ・ドランの「この一枚」を選ぶとしたらどの作品?
アンドレ・ドランが目指した到達点は?
???、???。

と、この2週間ほどアンドレ・ドランのことばかり考えて悩んでいた(←ちょっと異常ですね)私は、とてもしっくりくる文章を見つけました!

画家、装飾家、彫刻家のアンドレ・ドランの芸術家としての経歴は、混沌として矛盾に満ちていながら人を引きつけるものがある。1902年の段階で彼はすでに次のように宣言している。「私たちは今の時代にふさわしくあれと教えられるが、それは複雑なことであるし疑問も多いので、それより私は、あらゆる時代にふさわしくあろうと提唱したい」。

オランジェリー美術館の見学ガイド(日本語版)

うわーっ。
混沌として矛盾に満ちていながら人を引きつける」このフレーズ、そのままいただきます。

ただ「あらゆる時代にふさわしくあろう」と提唱したアンドレ・ドランが、経歴の後半30年以上も【古典回帰】してそのまま画業を終えたことは、私にとっては少し残念な気もします。
しかしオランジェリー美術館の見学ガイドはこう締めくくっています。

(古典回帰には)偉大な画風の探求が感じられるが、情熱は一切排されている。この過去への回帰はある種の非力を意味するのであろうか。いや、そうではなかろう。(中略)彼の強い個性によって、手本としながらも自分の画風をしっかりと刻みつけている

オランジェリー美術館の見学ガイド(日本語版)

なるほど。
そういえば、国立西洋美術館 常設展にもアンドレ・ドランの作品がありました。

『果物』(国立西洋美術館 所蔵)

描かれた年代は不明ですが、間違いなく【古典】回帰した後の作品のはず。
今度、アンドレ・ドランが刻みつけた強い個性をその色彩や形態からしっかり観てこようと思います。

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実はここまで書いてふと、今年4月に投稿したデ・キリコのことを思い出していました。
【形而上絵画】の旗手として一世を風靡しながら、第一次世界大戦後は古典回帰してシュルレアリスムグループから反発を受けた、あのデ・キリコです。字面じづらだけ追うと、少し共通点があるかも知れません。

アンドレ・ドランとデ・キリコは同世代。デ・キリコはアンドレ・ドランの才能は認めながらも、彼の突飛な行動や気難しさに不快感を表していたようですよ。
面白い!。

などなど・・・。このままでは永遠に連想ゲームが続いて、この記事が終わらない!と思っていたら、こんなチラシを見つけました。

<デ・キリコ展>の先行チラシ

わおぅっ。。。私の中では、とてもタイムリー!
ですが、ものすごいところを攻めてきますね、東京都美術館さん。
2年前に高橋明也館長が就任してから「きっと面白い美術展をやってくれるだろうなぁ・・・」と期待していました。<デ・キリコ展>は高橋館長の企画に間違いない!と個人的に決めつけている次第です。
来年を楽しみにして待ちます。

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アンドレ・ドランについて、別の視点からまだまだ話を展開したかったのですが、また別の機会にします。

<終わり>

デ・キリコについて書いた投稿はこちらです。


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