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Instagramで学ぶアンドレア・デル・サルト

先日 Instagram を見ていたら、フォローしているウフィッツィ美術館の素描(ヘッダーの画像)解説に、見覚えのある「名前」が出てきました。
[アンドレア・デル・サルト Andrea del Sarto]。

1486年7月16日、イタリア🇮🇹のフィレンツェに生まれたアンドレア・デル・サルトは、

ミケランジェロとラファエロがローマに活動の場を移した後、
フィレンツェの盛期ルネサンスを牽引した画家

『国立西洋美術館名作選』(渡邉晋輔先生)より


参考:左)ミケランジェロ『聖家族』1507年頃(ウフィッツィ美術館)
右)ラファエロ『小椅子の聖母』1513-1514年頃(ピッティ宮殿パラティーナ美術館)

なのだそうです。そんなに重要な画家だったのですね⁈。

アンドレア・デル・サルトの「画業」については全く知らなかったのですが、先日訪れた国立西洋美術館の常設展で彼の「作品」を観ていました。

アンドレア・デル・サルト『聖母子』1516年頃

アンドレア・デル・サルトと同時代の大巨匠=
ミケランジェロが創り出したのは “別世界のかけ離れた存在”、
ラファエロの描いたのは “理想的で特別な存在” である聖母子。
それとは異なり、少し “人間っぽさ” を思わせるアンドレア・デル・サルトの聖母子は、美しくも くつろいだ表情をしています。
顔、足の動きや全体の身振り、そしてとりわけ手指の動きがリズミカルで、二人の親密さが自然に伝わってきます。幼児キリストの髪の毛がふわふわして気持ちよさそう。
完璧で神々しい聖母子は素晴らしすぎて少々圧倒されるのですが、親しみやすさを感じる聖母子は微笑ましくて気持ちが和みます。
そんなアンドレア・デル・サルトの代表作品がこちら。

アンドレア・デル・サルト『ハルピュイアの聖母』1517年(ウフィッツィ美術館)

手元の資料によると、
 ◯ いずれの聖母も、のちに自身の妻となる女性をモデルに描いた
 ◯ 子どもの顔は、原寸大の下絵(カルトーネ)を元に何作品にも利用した
とあります。
本当ですね。私が国立西洋美術館で観た『聖母子』の幼児キリストと、本作で聖母の足元右横に位置するプットーは同じ顔、表情をしています。

安定した三角形の構図、カンヴァスに溶け込むような柔らかな色彩はラファエロを思わせます。しかしアンドレア・デル・サルトの作品には、
特有の “しなやかな リズム
を感じるのです。体のひねりや手の動きといった人々のポーズが作品全体に絶妙なバランスをもたらしているからなのでしょうか・・・。
言葉でうまく伝えられないのがもどかしい限りです。

そういえば・・・先日投稿のために【マニエリスム】の画家ポントルモについて調べているとき、彼は “アンドレア・デル・サルトの弟子だった” という記述がありました。
なるほど・・・ポントルモ初期の作品を見返していたら、アンドレア・デル・サルト作品の影響を見てとれるような気がします。

ポントルモ『聖母子と諸聖人』1518年

“ポントルモが生み出した【マニエリスム】”(←勝手にそう解釈してます)に特有の少し誇張された人物のひねりや動きは、アンドレア・デル・サルトの持ち味である “しなやかさ” を受け継いで さらに発展させたものかもしれません。
そんなことを考えながら、アンドレア・デル・サルトの作品画像を iPad で見ていたら、不謹慎ながら吹き出しをつけてセリフを書き込みたくなりました!
おーーっ、「吹き出しをつけてセリフを書き込みたくなる作品」。← これぞ私の中の【マニエリスム】です(笑)。

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実はアンドレア・デル・サルトの「名前」。
彼の「作品」を知る以前に、夏目漱石『吾輩は猫である』の冒頭に出てくる “アンドレア・デル・サルト事件” で見覚えがあったのです。

“アンドレア・デル・サルト事件” とは。。。
「吾輩」(=猫)の主人である苦沙弥先生が水彩画に熱中していると、美学者である迷亭がこう忠告します。

昔し以太利(イタリー)の大家アンドレア・デル・サルトが言った事がある。画をかくなら何でも自然その物を写せ。(中略)
どうだ君も画らしい画をかこうと思うなら ちと写生をしたら

『吾輩は猫である』より

↑ 実はコレ、いい加減なことを言って人を担ぐのを楽しみにしている迷亭が捏造ねつぞうした話だったのですが、真に受けた苦沙弥先生はすぐに「吾輩」(=猫)の写生に取り組みます。そしてその成果をこう述べるのです。

なるほど写生をすると今まで気のつかなかった物の形や、色の精細な変化などがよく分かるようだ。西洋では昔しから写生を主張した結果今日のように発達したものと思われる。さすがアンドレア・デル・サルトだ

『吾輩は猫である』より

「さすがアンドレア・デル・サルトだ」と、小説の登場人物に語らせた夏目漱石。それほどまでにルネサンスの重要な画家なのですね。そして、
「さすがラファエロだ」と、誰でもが知るルネサンスの大巨匠=ラファエロにしなかったところに夏目漱石らしさを感じて、一人でほくそ笑むのであります。

+++++

実は夏目漱石がアンドレア・デル・サルトと「写生」を結びつけたのは、全くの出鱈目でたらめではなく、アンドレア・デル・サルトの正確な素描は、優美で均整の取れた宗教画と共に高く評価されており、ヴァザーリは『芸術家列伝』でこの点から “誤りのない画家” と呼んだそうです。
500年以上前にアンドレア・デル・サルトが、弟子であるポントルモに「自然その物を写せ!」と本当に言ったかもしれません。

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おーーーーーーーーっ!
そのアンドレア・デル・サルトの正確な素描が、本日のInstagramの画像なのですね!!!

ウフィッツィ美術館7月16日のInstagram画像より

素晴らしい✨。
モデルを美化し過ぎるすることなく、目の前に存在している人間そのものを写し出しています。子供のふわふわした髪の毛はここから来ているのですね。
Instagramの解説を読んで自分なりに咀嚼そしゃくしてみました。
(イタリア語と英語の記述を私なりに解釈したので、細かな部分が間違っていることは、どうぞお許しください)

アンドレア・デル・サルトはデッサンの名手で(中略)、
柔らかな陰影ある明暗法と柔らかな質感をレオナルド・ダ・ヴィンチから学び、またラファエロからは頭部(顔)の自然主義的な表現と “優美さ” を学んだ。
非常に強烈な表現力によって生き生きとした人物像を描いた

ウフィッツィ美術館Instagramを私流に解釈!

ふむふむ。
最後の “非常に強烈な表現力” 言うのが【マニエリスム】につながっていくのかもしれない・・・とワクワクするのです。

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そしてそして。
アンドレア・デル・サルトについて調べていると
ピエロ・ディ・コジモの工房で修行した」
との記述を見つけました、あらまぁ!
2022年12月 ボッティチェリ『美しきシモネッタ』について投稿した時、ピエロ・ディ・コジモの素敵な作品に出会っています。

ピエロ・ディ・コジモ『シモネッタ・ヴェスプッチの肖像』1490年?頃

なんと。。。
不思議な世界観を持つ謎多き画家” ピエロ・ディ・コジモ
→ その弟子が “誤りのない画家” アンドレア・デル・サルト。
→ その弟子が【マニエリスム】を生み出したポントルモ。

ふむふむふむ。
今度[ピエロ・ディ・コジモ]に出会う機会があったら【マニエリスム】からさかのぼってみることにしましょう!

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7月16日が誕生日だったアンドレア・デル・サルト。彼の素描を投稿したウフィッツィ美術館のInstagramを見つけて、この三日間ずっとアンドレア・デル・サルトのことを考えていました(←ちょっと異常ですね)。
おかげで、夏バテもせず元気に楽しく過ごしております(^^)。

<終わり>

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