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絵画と音楽 バベルの塔


  美術館で絵を見ていると不意に、頭の中に音楽が流れることがある。
  最初に音楽を聞いたのは2年前、西洋絵画にハマるきっかけとなった一枚の絵を見ていた時。

  2017年5月19日、東京都美術館『バベルの塔』展の最後の部屋。一枚の絵だけを展示したスペースに足を踏み入れた瞬間から音楽は流れていた、と思う。荘厳な雰囲気の中、450年以上大切に守られてきた絵に近づくと、想像していたより小さめの額に 大きな大きな塔がそびえ立っている。圧倒された。
  それまであまり興味が持てなかった美術作品。しかしその絵を見た瞬間、魅了されてしまった。この絵が描かれた時代背景、絵の主題、画家の意図など全てを知りたいと強く思った。
  塔を建設している一人の愚かな人間となって神の裁きを受け、足元が崩れて奈落の底に落ちていく自分を、いつの間にか想像していた。
  絵の前に立っていたのは5分くらいであろうか。そろそろ部屋を出ようとしたとき、自分の頭の中にずっと音楽が流れていたこと、そしてそれがバッハ『G線上のアリア』である事に初めて気がついた。『G線上のアリア』と言っても、おそらく口ずさめるのは出だしの主旋律(?)部分だけなのだが、間違いなく絵を見ている間ずっとその音楽は流れていたのである。

  音楽、と偉そうに言ってもレパートリーは非常に少ない。だいたいは有名なクラシック音楽、しかも誰もがよく知っている主旋律部分。
  ラベルの『ボレロ』、ショパン『ノクターン』、ムソルグスキー『展覧会の絵』、シューベルト『アヴェ・マリア』など、絵の題名や絵を見たときの第一印象から繋がっているのではないか、と推測する。森の中で春を思わせる絵を前にしてビバルディ四季の『春』を聞くなど、とても単純な思考回路がバレてしまうので少々恥ずかしい。

  先日クリムト展『ベートーベン・フリーズ』のブースで、第九=『交響曲 第9番』を聞いた。最初、自分の頭の中だけで流れているのだと勘違いしていたので、実際に室内にメロディーが流れていることに気づいた時は少々驚いた。
  そこはクリムトがベートーベン第九のために描いた、第九のための空間。ウィーンにあるコンクリートの部屋(実際は美術館のブース)に流れるメロディーと、頭の中のに流れる音楽が共鳴した時、身体がフワフワ宙に浮いている感覚を味わった。

  実は、絵画を見る時に音楽を流すこと自体にはあまり賛成できない。
  以前 美術展で音声ガイドを借りて聴いた時、主催者側がチョイスした音楽が流れて、どうも絵に集中できず途中で聞くのをやめてしまったことがある。
  美術館では、五感を研ぎ澄まして自分でしっかり作品を感じたいので、音楽は邪魔になる。しかし自分の感性にピッタリ合う音楽が自然に流れていることに気がついた時は、絵画の世界にどっぷり浸れている時であり、最高に気分がよくなるのである。

  さて今年5月、群馬県立近代美術館に行った。
  “群馬の森”の中に建っている天井が高く明るい美術館に入った瞬間から、自分と相性がいいことがわかった。
  常設展に入り、係りの人が「この時間、学生が団体で入って少し賑やかにします」と親切に教えてくれている時から、入り口から見える一枚の絵を見ていた。
  群馬県にゆかりのある作家、湯浅一郎『画室』。

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  画室に散りばめられた赤い花々が印象的な絵で、その中央に座る女性が気になる。特に美人というわけでも、スタイルが良いわけでもないのだが、花模様の布を軽く纏い、赤い花の横に座って赤い花を踏みつけているモデルにじっと見入っていた。
  数分後 冷静になって全体を眺めてみると、後ろに描かれている石膏像は宙に浮いているようで少し不自然。あらま、どうなっているのかしら?、現実的なことを考え始めたとき、頭の中に『ラジオ体操』が流れていることに気がついた。
  そのメロディーを認識した途端、自分が 窓の外で流れている雑音混じりのラジオを聞きながら、赤い絵具のついた筆を片手にモデルを見つめている、ような気がした。

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  その余韻に浸りつつ楽しみにしていた西洋絵画のコーナーへ移動。
  最近「西洋美術が好き!」と公言しているが、美術に関する知識が非常に乏しいため、有名画家の代表作しか知らない。したがって作品の良さは、自分の好き嫌いと画家の知名度でしか判断できないのであるが、地方の美術館に行くと思わぬ発見があって楽しい。
 西洋絵画のコーナーで、気になる作品を発見!
絵具を重ね塗りして少し暗い室内を描いた『赤い背景の裸婦』アルベール・マルケ。透き通るような色彩と軽い筆づかいの風景画を描くあのマルケ? こんな絵も描くんだ、とメモしながら歩いていると、また一枚の絵の前で足が止まった。

マルク・シャガール『世界の外のどこへでも』。

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 シャガールはあまり好きな画家ではなく、その良さは全くわかっていないのだが、この作品はとても気になる。
  画面の左側 90度右傾した街並みに画家が寄せる想いは、憧れなのか疎外感なのか。半分に切れて宙に浮く頭は、居場所を探す自分なのか、心ここにあらずなのか。

  ふと一時期 夢中になったゲーム・DS<リズム天国>のロボット製造工場を思い出した。
  ベルトコンベアで流れてくるロボット本体に、上から降りてくる部品(=ロボットの頭の部分)をタイミングを合わせてピッタリと合わせていく。そして、すべての部品を上手く組み合わせたら、完成したロボットが空に向かって飛んでいく単純なゲーム。知らず知らず、タイミングを合わせてDSのボタンを操作したいのか、手がうずうずしていた。

  この絵は飛んで行きたくても飛んでいけないそんな悲しさを感じる。
そう言えばシャガールのことは何も知らない、喰わず嫌いならぬ、知らず嫌いはいけないなぁ、と我に返った時、音楽が流れていることに気づいた。
ビリー・アイリッシュの『bad guy』。こんなに最新のヒット曲が流れることはこれまでなかったので正直驚いた。英語の歌詞の意味はよくわかっていないのだが、その退廃的とも思えるメロディーが絵にピッタリ合っている!と我ながら感心。他のシャガール作品も観たくなった。
  

<終わり>

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