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ゴッホの「学び」 と、ルノワール

SOMPO美術館で開催中の <ゴッホと静物画 展>。
このチラシ(ヘッダー写真)を見たとき、既視感を覚え「あれっ?またゴッホの静物画をやるんだぁ。」と思ったのです。
しかし、しかし。主催者のあいさつ文を読んで驚きました。

本展は2020年10月にSOMPO美術館の新館開館の際に予定しておりましたが、新型コロナの感染拡大により延期となり、3年の時を経てようやく開催の運びとなりました

主催者のあいさつ文より

そうだったのですね。。。よく似たチラシを2019年〜2020年に見ていたのかもしれません。
一度白紙に戻したプロジェクトをまた一から調整し、実施にまで漕ぎ着けることがいかに大変か・・・この3年間、関係者のご苦労を考えると頭が下がる思いです。よくぞ開催してくださいました。チラシのメインビジュアルになっているゴッホ『アイリス』が再び借りられてよかったです。

そして前回 note に投稿する記事を書いているときに、27の黒を使うフランス・ハルス先生に背中を押されたこともあり、<ゴッホと静物画 展>に行ってきました。

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本展覧会は17世紀オランダから20世紀初頭まで、ヨーロッパの静物画の流れの中にゴッホを位置づけ、ゴッホが先人達から何を学び、それをいかに自らの作品に反映させ、さらに次世代の画家たちにどのような影響をあたえたかを探ります

<ゴッホと静物画 展>紹介文より

展示作品数は69点(うちゴッホ作品は25点)と決して多くはないのですが、紹介文にあったとおり、
① ゴッホの「学び」
② 「学び」により変化していくゴッホの作品
③ ゴッホに影響を受けた次世代の作品

が文脈に沿って展示されていたため、初心者の私にはとてもわかりやすい展示会でした。

そして名だたる画家たち(クラウス、ドラクロワ、マネ、モネ、ピサロ、ルノワール、ゴーギャン、セザンヌ、ヴラマンク、シャガールなど)の【静物画】が見られただけでも私は大感激!。とても楽しむ事が出来ました。

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① ゴッホの「学び」

今回の美術展を総監修された千足伸行先生によると、現存するゴッホの油彩はおよそ850点、その中で最も多いのが【風景画】で400点近く、次が【人物画】で250点あまり、三番目が【静物画】で190点近くあるのだそうです。
【静物画】は順位としては三位でも、190点⁈ もあるのですね。
今回は関係ないのですが、ゴッホの【自画像】は油彩だけでも40点近く現存しているのだとか。すべてを並べて観たいものです。

さて。
ゴッホにとって特別なジャンルであったのは【人物・肖像画】。

「僕を心底刺激し、他の何よりも無限を感じさせるものといえば、人物しかないのだ」
思想があり、モデルの魂がそこに息づくような肖像こそ、これからの課題だ」

ゴッホの手紙より

どうやら、本丸の【人物画】を描くために【静物画】でトレーニングを積み 腕を磨くことが必要であると考えていたらしいゴッホは、油彩を始めた当初から多くの【静物画】を描いています。
彼の「学び」の方法は、先人たちの作品を研究し真似ることでした。

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下の画像・上)はクラースの描いた『ヴァニタス』。空虚や虚栄を意味するモティーフとして描かれるのは、髑髏どくろ、火の消えたロウソクや燭台、時計にグラス・・・。それぞれのモティーフの寓意とは別に クラースの作品には、カンヴァス全体に流れるその空気感だけで “ヴァニタス” (人生ははかなく常に死がつきまとっている)が漂っています。さすがです。

上)ピーテル・クラース『ヴァニタス』1630年頃
下左)ゴッホ『麦わら帽のある静物』1881年
下右)ゴッホ『髑髏どくろ』1887年

これに対して油彩を始めたばかりのゴッホの描き方(左)には まだ “ぎこちなさ” があり、技術を身につけるのに精一杯。目の前の対象を何とかしてカンヴァスに写しとろうとしているのでしょうか。
(右)の作品も “ヴァニタス” ではなく、単なる骸骨がいこつの写生のように思えます。でも頑張ってますね。
こと「絵」を描くことに関しては、全くセンスのない 素人の私が感想を述べるのは失礼なのですが、ゴッホは ‘飛び抜けて絵の才能に恵まれていた’ わけではないのだなぁ〜と感じます。

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② 「学び」により変化していくゴッホの作品

ゴッホは「学び」を怠らず、自身の作風を掴むべく努力を続けていきます。
パリに出てきたゴッホは【印象派】のタッチや色彩に触れ、その作風が変化していきます。

下の画像・左)は、ベルギーの建築家・ヴェルデが20代前半に描いた『静物』。ゴッホと同世代のヴェルデは画家を目指してパリに出て、やはり【印象派】の影響を受けたといいます。
左上から斜めに走る 細やかな筆致にそれほど多くのオレンジ色が使用されているわけではないのですが、パッとみた印象は「オレンジ色だけを使用した作品」のようです。画面右上から差し込む陽光を受けたキッチンには、テーブルを包み込む柑橘系の爽やかな香りが漂っています。
題名は『静物』ではなく、ズバリ「オレンジ」とすべきでしょ!

左)アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデ『静物』1886年
右)ゴッホ『水差し、皿、柑橘類のある静物』1887年

同じくパリに出て【印象派】【新印象派】に多いなる刺激を受けたゴッホの作品(右)。思考錯誤を繰り返しながら作品を描くゴッホは、少し地に足がついていないような。。。ゴッホ自身も少しフワフワしたそんな落ち着かない気持ちだったのではないでしょうか。【印象派】のタッチは、ゴッホを心底刺激し、無限を感じさせる手法にはなり得なかった!のかも知れません。

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今回の展示会で圧巻だったのは、冒頭でも触れた名だたる画家たちの「花」を描いた作品。
まずは ‘正統派’ の【静物画】作品から。

左)コルネリス・ファン・スペンドンク『花と果実のある静物』1804年
右)ピーテル・ファン・デ・フェンネ『花瓶と花』1655年

近くで観ればみるほど見事な描写!。繊細で透けるような花びらに、思わず手を触れたくなります(画面をピンチアウトしてもご確認いただけるはず!)。

私が勝手に想像するに、先人たちのように まるで本物のような花を、いや本物以上に美しく ふわりっ とエレガントで匂い立つような花を
「自分には絶対に描くことができない」
とゴッホは悟ったのではないでしょうか。
↑ これを教科書的に言い方を変えると
「自分が求めている表現はこれではない!」
と気がついた、というのでしょうか。

しかし、ご安心ください。時代は19世紀末、すでに新しい表現方法にチャレンジして時代を大きく変革している先人たちがいました。
ドラクロワ、モンティセリ、そしてマネ。

左)ウジェーヌ・ドラクロワ『花瓶の花』1833年
中)アドルフ=ジョゼフ・モンティセリ『花瓶の花』1875年頃
右)エドゥアール・マネ『白いシャクヤクとその他の花のある静物』1880年頃

私、ドラクロワの【静物画】(左)をはじめて見ました!
中央の白い花が、キリッと未来を見つめる女性の瞳のようで、ふと戦いに向かうジャンヌ・ダルクを想像しました。

そして絵の具を、これでもか!というくらい厚く重ねるモンティセリ(中)。ゴッホと弟のテオは「私が(兄が)追い求めていくべき方向はこれだ!」と夢中になったのかも知れません。
ゴッホは、絵の具を厚く重ねる手法のみならず、モンティセリのエキセントリックな生活習慣にも魅かれ、広いツバのある麦わら帽子を被るようになった…という文章も目にしました。
モンティセリの荒々しい筆致と色遣いに ふと ‘狂気に繋がる怖さ’ を感じてしまうのは私だけでしょうか。

マネが晩年に多く描いたという花の【静物画】(右)はいいですねぇ。これ、大好きです。
簡潔で的確な筆致で花を見事に描き出すマネ。
一方 マネのように描きたくとも、的確な筆致を素早く置く事ができなかったゴッホは、何度も何度も上から筆を重ねてしまい、結果として厚塗りとなったのかも知れません(勝手な想像です)。

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ゴッホは先人たちの【静物画】を「学び」、自らの画風を確立していきます。

左)ゴッホ『カーネーションをいけた花瓶』1886年
中)ゴッホ『ばらとシャクヤク』1886年
右)ゴッホ『野牡丹とばらのある静物』1886-87年

あら。素敵じゃないですか。たとえ誰かのモノマネからスタートしたのだとしても、おのれの表現方法を確立しつつある、そんな自信ある筆運びを感じます。

しかし右の作品『野牡丹とばらのある静物』は、構図そして何とも柔らかい花びらを表現した点など「ちょっとゴッホっぽくない・・・」と思ったら、やはり。。。長い間その真正が疑われてきたそうです。
キャプションには、
「X線写真で、ゴッホが描いたとされる『二人のレスラー』の絵の上に重ねて描かれていることが判明したため、ゴッホによる作品と位置づけられた」
とありました。
うーーーん。私にはどうしてもゴッホが描いたとは思えませんでした。

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そしてたどり着いた “ゴッホの” 花。

左)ゴッホ『アイリス』1890年
右)ゴッホ『ひまわり』1888年

(右)『ひまわり』は、ゴーギャンとアルルで共同生活を送っている時に描かれたもの、そして(左)『アイリス』は、自ら命を絶つ二ヶ月前に描かれた作品と言われています。『アイリス』素敵ですね。
『アイリス』についてゴッホは弟テオ宛にこう書いています。

「混じり気のないカーマインとプルシアンブルーを合わせた紫の花束が(中略)鮮やかなレモン・イエローの背景に際立ち、対極にある色が互いに高め合う、全く異なる補色の効果」を狙った

展示室で撮影しましたが、実物はもっと色鮮やかです

ゴッホが使用していた赤い絵の具が非常に褪色しやすい性質を持っており、本来は 紫色のアイリスの花束であった可能性があるそうです。
うわーっ。紫の『アイリス』見たいです!また印象が全然違うことでしょう。

ゴッホの二つの花は、我々を心底刺激し、他の何よりも無限を感じさせる作品になっています。そこには、ゴッホの思想があり、ゴッホの魂がそこに息づくような作品になっているのです。

『アイリス』と『ひまわり』の競演は、やはり素晴らしかったです。

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展示会場では あまり気に留めなかったこちらの作品について、解説が興味深かったので、少しご紹介します。

ゴッホ『皿とタマネギのある静物』1889年

一見、【印象派】の影響を受けてパリ時代に描いたのかな?と思わせる『皿とタマネギのある静物』は、1888年12月にゴーガンと口論になり、自ら “耳切り事件” を起こして入院した後の作品だそうです。『ひまわり』よりあとに描かれているのです。
ゴーガンがアルルを去り、退院して一人残されたゴッホは再び絵筆を取ります。そして描いたのが、ロウソクをともした燭台、医学書、タマネギに瓶…。これは “ヴァニタス” ?と思わせるのですが、テーブルの上には弟テオからの手紙、大好きなタバコを吸うためのパイプ、こよなく愛したアプサン(お酒)が描かれています。

解説には「ゴーガンの不在を連想させる…ゴッホの当時の状況と内面を物語っている」とあります。
一方、ゴッホ美術館の学芸員はこれをゴッホの私生活とゆかりの深い物を描きこんだ “ゴッホの【自画像】”と見ているそうです。
そして千足伸行先生は、
「ゴッホの自伝的な【静物画】の総集編とも言えよう」
と論文を締めくくっているのです。

黄色と緑が美しい【印象派】のようなタッチで描かれたこの作品を見ていると、パリに出てきた好奇心旺盛なゴッホの姿を思い起こします。
この作品に取り組んだゴッホは、また原点に戻って「学び」をスタートさせよう!と、とても落ち着いた精神状態だったのではないかしら・・・と私は少し穏やかな気持ちになるのです。

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③ ゴッホに影響を受けた次世代の作品や、ひまわりを描いた作品の展示

記事が相当長くなってきました(汗。
以下、乱暴なご紹介をお許しください。

左)モーリス・ド・ヴラマンク『花瓶の花』1905-06年
右)ヘンドリク・ニコラス・ウェルクマン『ひまわりのある静物』1921年

多くの花の絵を残しているヴラマンクですが、こちら(画像・左)の大胆な構図、大胆な筆遣いの作品もイイですね。
ウェルクマン(右)をはじめ、明らかにゴッホに影響を受けたと思われる作品、その他「ひまわり」を描いた素敵な作品もたくさん展示されていました。

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そして 私が最後にお伝えしたいのが、ルノワール。

左)ピエール=オーギュスト・ルノワール『アネモネ』1883-1890年
右)ピエール=オーギュスト・ルノワール『果物のある静物』1902年

展示会場でこの二つの作品を見つけて、幸福に満ち溢れるあたたかい気持ちになりました。
なんとも色鮮やかな花と果物は、生命力や芳醇な香りが一体となって “幸福感に満ちたバラ色の大気” をはらんでいます。対象物「それ自体」が発する輝きを描き出すルノワール。

ゴッホが弟テオに宛てて、

「僕はよくここ(アルル)でルノワールのことや、その純粋で明確な線を思い浮かべる

と書いたように、SOMPO美術館をあとにして、私が思い浮かべたのはルノワールの二つの作品でした。
恐るべし…ルノワール。

是非、会場でご覧くださいませ。

<終わり>


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