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『カルミナ・ブラーナ』 と 「連想力」

同じ職場でときどき会話を交わす ‘素敵な人’ が舞台に出演する!と聞いて、先週末 O.F.C.の合唱舞踏劇 <カルミナ・ブラーナ> を観てきました。

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カルミナ・ブラーナ(Carmina Burana)』(ラテン語でボイエルンの歌集)とは、ドイツ南部・ボイエルン修道院で見つかった112枚の羊皮紙からなる写本。そこには300編あまりの詩歌がラテン語などで記されているそうです。
11世紀から13世紀にかけて伝承されてきたボイエルンの詩歌には、恋愛の喜びや苦しみ、お酒や遊戯、時代や風俗に対する嘆きと批判などが書かれている…というのですから、人間の考えること、喜びや苦悩の根源は、今も昔も変わらないのですね。
彩色・飾り絵も美しいです。

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この一枚をご覧ください。
描かれている飾り絵・円の中央に座る女性は、運命の車輪を司り、人々の運命を決める “運命の女神” フォルトゥナ
車輪の頂上に君臨する王は、時計回りに廻る車輪によっていずれ引きずり降ろされ(車輪・右)、下敷きになり死を迎える(車輪・下)。すでに車輪左には、のし上がろうとする者が控えているのですね。

一文字一文字 丁寧に記された詩は、この世を支配するフォルトゥナについて歌っています。

おお、運命よ  まるで月のように、姿を変える女神よ
満ちては欠ける、なんと憎らしい奴
痛めつけられたり慰めたり、人をからかい、
貧しさも権力も、氷のように溶かしてしまう

恐ろしく、空しい運命よ  お前の車輪は回り続ける
はかない一夜の幸福など、たちまちその下敷きになる
闇にまぎれた運命の影が、いよいよ私にも迫り来る
裸で嘲を浴びながら、運命の悪戯に耐えるだけ。

運にも力にも  見放され、
揺れる気持ちも  あやつられるまま
さあ今、ここで  弦をかき鳴らそう
勇者をも倒す女神の気まぐれを、共に嘆いてくれ!
__O.F.C.『カルミナ・ブラーナ』カタログより(訳:松永路子)

我々に与えられた如何いかんともし難い運命。それを操るフォルトゥナの車輪…。
時代や国・地位を問わず あらゆる人が翻弄されるであろう運命を記した一編の詩にインスピレーションを受けて、画家たちは絵筆を走らせ、

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左)ジョヴァンニ・ベッリーニ『四つの寓意・幸運』(1490-1504年)アカデミア美術館所蔵
右)エドワード・バーン=ジョーンズ『運命の女神の車輪』(1877-83年)オルセー美術館 所蔵

彫刻家は石膏を練り、そして作曲家はカンタータを創り出しました。

1936年、ドイツの作曲家カール・オルフ(1895-1982)が書き上げた『カルミナ・ブラーナ』(副題「楽器群と魔術的な場面を伴って歌われる、独唱と合唱の為の世俗的歌曲」)は、多彩な楽器のオーケストラに、独唱、混声合唱と児童合唱を加えた声楽作品です。
おお、運命の女神よ』。この曲は聞いたことがありました!。

いきなり始まる劇的な旋律は運命を、静かに刻むリズムは歯車を思い起こさせます。このドラマティックな演出にゾワゾワゾするのです。

一編の詩から、1ページの写本から絵画や彫刻、曲が生まれました。
それら創造物をさらに新たな方法で表現しよう!と、また別の芸術が生まれていくのですね。

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新たに生まれた芸術の一つが、先週末に観てきた O.F.C. による<カルミナ・ブラーナ>。

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歌と踊りと管弦楽を結びつけた舞台の可能性を感じて、バレエを伴った合唱舞踏劇という独自の活動を始めたというO.F.C. の存在も初めて知りました。これが最終公演だったのですね(涙)。

チケットの手配が遅れて やむなく3階席からの観劇となったので、オペラグラスを新調して臨みました。
そのお陰で、酒井はなさんをはじめとするダンサーの指先・毛先の動きまで、そして指揮者やオーケストラの息遣いまで感じることができました。ティンパニー、ファゴットを演奏する姿が印象に残っています。
また 聴き心地の良い、合唱隊が発するラテン語の「子音」は、今でも耳に残っています。

そしてなんと言っても “コロス” の一員として歌い踊る私の ‘素敵な人’ が、とてもとても輝いていました✨。
ラテン語の歌詞を理解し覚え、振り付けを合わせ、そしてどんな風に11-13世紀の人々の生活や、カール・オルフの世界観を表現するのか…。
この日のためにどれ程練習を積んできたのでしょう。
カーテン・コールで達成感と喜びに満ちた彼女を見て、思わず涙ぐんでしまいました。

11-13世紀にラテン語で歌われた詩など知る由のない、21世紀を生きる私が <カルミナ・ブラーナ>の舞台にこれほど酔いしれることができるなんて…。アーティストたちが生み出してきた芸術作品に感謝!
「この作品」そして「この人」との出会いも運命なのですね、フォルトゥナ様。

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今回の舞台・それに関わる人々の熱い思いを体感して 大いに刺激を受けました。

周囲からの評価ではなく、自分がどれだけ楽しめるか、そしてそんな自分をどれだけ好きでいられるか===>それが「幸せ」の定義かも知れません。
私の ‘素敵な人’ がキラキラ輝いているのは、「幸せ」な時間を過ごしているから。

私の「幸せ」は…。
創造力に欠ける私は、1つの詩からインスピレーションを受けて 何かを表現した作品を生み出すことはできないかも知れません。
しかし『カルミナ・ブラーナ』写本が、カール・オルフの曲が、ベッリーニやバーン=ジョーンズの描いた絵画作品が広げてくれたイメージの助けを借りて自分だけの世界を想像して楽しむことはできるはずです。
O.F.C.がカール・オルフのカンタータと “踊り” を結びつけたように、想像を広げて私だけの<カルミナ・ブラーナ>を自分の頭の中で上演してみたいと思います。

次から次へと「思いつき」が広がって、いつもまとまりがつかない私は、このnoteでも話が広がりすぎて着地点がないままダラダラ文章を書いてしまいます(反省)。
しかし、次から次へと「思いつく」いろいろな事に関して 本を開いて調べる、また別のことを想像して調べる…その過程と時間を最高に楽しんでいます。
「想像→思いつき→調べる」ことに費やす時間やそこから広がる世界、そして自分自身のことも愛おしくなるのです。

私の「思いつき」、これを「連想力」と呼ぶことにします。
見るもの 聞くもの 体験できる事は限られているのですから、どれだけ自分が楽しめるかが人生の豊かさを決めるのです。
よしっ!「連想力」を鍛えて、何歳になっても頭と感性が喜ぶ時間を持つことにします。
きっとお婆ちゃんになっても自分の事が好きでいられるはずですから。

ありがとう!『カルミナ・ブラーナ』。そして私の ‘素敵な人’。

<終わり>

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