見出し画像

やさしい手ほどき~On Elegance④   装いは思想、「わたし」編

前回では、スーツ道について語りました。「装いっていうのは、思想を纏うってことなのよ」という大仰な話だったかと。
偉そうなことを書いてしまったなぁ、と思いながら、クローゼットの中を片付けていた今朝。パンタロン類を整理していると、ジーンズがやたらに出てきます。そこで思わず額を手で叩く。「ああ、わたしの『思想』はジーンズに詰まっているのね」と。

家にいるとき、田舎に行くとき、旧知の友達と会うとき……大概ジーンズです。同世代・若い世代の方と「はじめまして」というときも、気づくとジーンズ。特にブルー・ジーンズが好きです。
もちろん、ジーンズはカジュアル着ですから、目上の方と会うときは違うものを選びます。会う場所も、ジーンズがふさわしくなければ諦めます。
でも、そうでなければ、自然とジーンズに手が伸びる。「わたしってこういう人間なんですよ」と知って貰いたくて、ジーンズを選ぶのです。

ジーンズはわたしの肌。「わたし」という人間が縦糸横糸に織り込まれています。
乾燥機にかけたりしてはダメ。自然乾燥で、ごわごわしたデニムに脚を通し、少し膝を折ったりしながら肌に馴染ませる、その過程でジーンズがわたしの一部となっていく。
ブーツカットにはヒールを合わせます。スキニーフィットはもう無理。週末ののんびりモードのときは「ぶかぶかダラーン」なシルエットのを、バランスが取りやすいのは程々のスリムカット。

そうやって履きこなしたジーンズには、「わたし」がいます。

その昔、アメリカ文化に憧れた「わたし」。
インディゴとコットンが象徴する、自然を愛する「わたし」。
気さくで気取らない人でありたい「わたし」。
ジーンズが似合う、長くて細い脚に憧れる「わたし」。でもその願い儚く、短足族ではあるけれど、そうであるがゆえ、少しでも似合うように履くためにはどうしたらいいか、知恵を絞る「わたし」。
年を取って、若い頃に履いていたジーンズが似合わなくなり、「ああ年を取るってそういうことなんだな」と受け入れた「わたし」。
そんな年を取ったわたしにも気持ちよく履けるジーンズを見つけ、ジーンズの寛容さに感謝する「わたし」。
死ぬまでジーンズを手放さない、と確信する「わたし」。
エトセトラ、エトセトラ。

そんなこともあり、下 ↓ の動画撮影の時も、ジーンズを選びました。
AXESのYoutubeチャンネルにて、ベルサイユの拙宅をご紹介しております。ジーンズ姿で作らないわたし、そのまんまのわたしがご案内役です。(髪をもっと梳かせばよかった、と深く後悔しております……)
もしよろしければご視聴くださいませ。そして、出来ましたら、Youtubeの方の「いいね」も押して頂けると嬉しいです。
どうぞ宜しくお願い致します。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?