おひつを買った。

おはようございます。おひつを買いました。まだ届いていないけれど。おひつは、私が十年以上買おうかどうしようか迷い続けたもので、なぜかというと台所でごはんを入れとくというだけの目的に払うには高額だという不安感から手を出しかねていたものだった。そうしている間にそれよりずっと高価なあれもこれもそれも買ったのに、なぜかおひつだけは手つかずのまま。そして思い出したころにネットサーフィンで良いものはないかなあと探すわけだ。

そうしている間に、世の中では秋田杉の伐採が禁止になったりして、それをビジネスチャンスにして買い込んだ秋田杉(と称する)のおひつを高めのお値段で売りさばくたくましい人も現れたりして、これはまたなかなか世知辛い世の中よのおと思ったりするわけです。なんてことを言ってないで、私の中の「お金」のしばりというものはとっても大きくて、これなんで??てくらいにお金が怖い。まあ理由はいろいろあるけど、子供のころはうちはお金がないとか思ったことはありがたいことになかったし、私がもし今子供を持ったとして私の幼少時と同じレベルの暮らしをさせてもらえるかどうかというと怪しい。いやたぶん無理。特に留学とか。それで親に感謝とかそういうわけではなく(いや、親には違う意味で感謝してるけど)、私の中のお金のしばりの話ね。

前つきあっていた人は持病があって、でも別にそれゆえにお金の不安を持たされたことは、当人が病院にいかなくていつの間にか病状が悪化して緊急入院して一年働けなかったそんときだけだし、そのときもその人のご両親に助けてもらった。いやあたしも一部負担したけど、それ以上に精神的負担のほうがはるかに大きかった。そいでよくなって数年したら振られちゃったわけだけど、今思うとなーんとなく分かる。私が恩着せがましかったんかな。とか、その人のスピリチュアル度の高さについていけなかったのかなとかいろいろ思ったけど、一言いうならたぶん、嫉妬。いや、向こうがあたしに嫉妬したんじゃなくて、私が向こうに嫉妬したのね。お金のことで。それだけじゃないけど、それは大きい。

普段はむしろ親から嫌われていると嘆いていたその人。主にセクシャリティーが理由で親の側が縁を切りたがっていたように見えた(というか、その人自身の説明がそうだった)けど、問題はセクシュアリティーなんかじゃなくてたぶんその人自身が親から離れたがっていたということだろう。ご両親の方は実はかなりフツー(あくまで私目線)に善良なひとたちで、闘病を支えた(?←ここ、自分で疑問あるけど)私とのことを回りに祝宴を開いて親戚に紹介すべきなのかと問うてきたという。

私が彼女の何に嫉妬したかというと、ここでようやく出てくる、お金だ。その人は親との関係性がうまくいっていなかったにも関わらず、事業をやるときは頭を下げてお金を出してもらっていたし、病気のときももちろんだし、何かというといつもかなりの大金を労なく手にしていた。(病気の時はあたしが頭を下げた)私などは、父が長く患った後亡くなって、年金暮らしの母に何を頼るでもなく(当たり前だが)、例えば重病になったところで自分でなんとかするしかない。そういう私が、その人が闘病せねばならなかったときにその人の親に頭を下げなければならなかったことを、私はどこかで恨めしく思っていたのだなー。

でも、ポイントがある。私は直接彼女に頼まれて頭を下げたわけではない。彼女が倒れて入院したとき、私と彼女はほとんど話ができなかった。二人でどうにか暮らしていたから、無収入になったその人との暮らしを支えるには、その人の(多少裕福な)親を頼るしかない。そう考えて、私が勝手に頼んだのだ。当時その人は自分と私の関係をはっきりとカムアウトはしておらず、だから親としてはその人が入院するような羽目になったのなら実家に連れて帰るしかないと思っていたはずだ(とその人に聞かされていた)。私は悩んだ末に、必要な金額を計算し、連れて帰ろうとしている親に対して、補助を頼んだ。今思うとその人はどうしたいか、その時点では話し合っていなかった。

退院後、その人は私に手紙で(一緒に住んでたんだけどね)私と一緒にいたいと、もう一度チャンスをくれと伝えてきた。当初はそれがその人の本音だっただろう。あるいは、生き延びるためのせいいっぱいの手段、あるいは誠意だったかもしれない。実際私がいなければ、その人は田舎の実家に引き戻されていただろう。もちろんそのほうがよかったのか、あるいはあれでよかったのかは今となっては分からない。考えれば考えるほどに苦しくなる。

退院後、その人は確かに頑張っていた。頑張りすぎてまた倒れるのではないかと思いながらも、ハラハラと見守っていた私を通り越し、どんどん精神世界へとのめりこんでいくその人を私はただただ見守るしかなかったし、正直自分が好きな精神世界の話を頭のよいその人とするのは楽しかった。そうして、気づいたらもうその人は引き返せない淵まで行ってしまっていた。そして、たぶんその人は気づいたのだ。その人の経済面の枷は私であると。

これが私の側のストーリーだ。ここまで書いたのは、その人が去ってかなりの年月が過ぎたが、初めてのことだ。そして書いていて改めて気付いたことがある。これは私の側のストーリーだということだ。そしてこんなストーリーを抱えているあたしは、経済面がよくなるわけはなかったのだ。実際、仕事は楽しいものが来たし、新しいパートナーとの関係も良く、順風満帆なはずなのに、経済面ではいつも逼迫していた。暮らせないわけではないし、余裕ゼロではないが、まったく「楽」な感覚を持てない。それは、私自身が前の人との間で私の存在がその人の経済面の枷になっていたと定義づけてしまっていたのだから、自明のことだ。ましてやその人に対して精神世界のことだけでなく、経済面でも嫉妬していたのだから、がんじがらめだ。なんてことだ。

私は枷なんかではなかった。私がその人を救い、その人の経済面を支え、立ち直るまでを見守ったのだ。そのことを、誇るでもなく、卑屈に思うでもなく、ただ平らかにそうであったと、腑に落ちればよかったのだ。

おひつは一か月後に届く。それまでに、嫉妬も枷も取り払って、私のエネルギーがどうなるか、今度は自分で自分を見守っていけば、きっとそれでいい。


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