女性作家とポートレート

一生で一番大学生のころ勉強したと思う。そのころに専攻していたのは社会学で、当時は日本には社会学というものは浸透しておらず(時代がわかるでしょ)、教科書は担当教授が書いた本以外すべて英語で、教材も日本では手に入らない洋書をコピーしたものだった。それゆえにかもともとイギリス好きなのに変なところでアメリカ文化に傾倒していたりする。
中学生までは浴びるように本を読んでいたのが、高校生になってぱたりと読まなくなっていた。他人が作った本の世界よりも自分で作る想像の世界に逃げ込むようになったのだ。で、大学では教本は英語なのにアメリカ文化を知るためにということで配られた参考図書はなぜか司馬遼太郎のアメリカ素描とかで、今思うと変な大学だったと思う。まああの頃の英語力では洋書を一から読むことができなかった生徒がほとんどというせいもあるが(私も例に漏れない)。

そうして社会人になってから、洋書を読むようになった。子供のころは翻訳書の虫だったのが、せっかく多少英語ができるようになったのだから、原語で読みたいという気持ちが強くなったせいだ。今は新しく出版された本は時間がかかろうと原語で読むようにする。ネイティブではない分、理解力が劣るせいで誤読もあるかもしれないが、それでも原語の持つリズムをきちんと把握するほうを優先した結果だ。で、改めて現代のアメリカ文学に触れなおしている。そういう中で気づいたことがある。というわけで、ようやく本題だ。

現代の米国文学の必読書なんて検索をしてみると、ほとんどはブコウスキーやポール・オースター(柴田元幸氏とセット)などが上がっていて、下手をするとすべて男性作家だったりする。下手をしなくても9割以上は男性作家だ。そういう「おすすめ本」を並べる人は読書が好きというだけあって、読む本がその人の好みに偏っているものだから仕方がない。そして昔から「本」というジャンルはある種の男のステイタスでもあったようで、本を読みもしないし文章を書きもしない人がほとんどであろうモデルハウスには「パパの書斎」が必ずあった。(ママの場所は「台所」だ。もちろん)男の聖域とか呼ぶ人もいたりして、それが文字通りの本読みならまあともかく、それでも「男の」とつける必要はないだろうとは思う。よく調べてみても、女性作家を織り交ぜて紹介している人というのはマジ少ないよまったく。名の知れた人の中でも、コラムニストの「山崎まどか」氏や翻訳家の「岸本佐知子」氏が積極的に女性作家を推しているが、それ以外にその分野を女性作家推しで思い切り推している著名人の存在をあまり知らない。といっても最近ネットから遠ざかっているからよく分からない(だめじゃん)。

日本の現代女性作家で私が読むのは、松浦理英子や庄野頼子、江國香織や山田詠美、川上弘美、柳美里、中山可穂、川上未映子、朝吹真理子くらいか。(私はおばあさん世代(1900年前半)の作家が好きなので、森茉莉も上げたいが、彼女はみまかって久しい。)質はさまざまとしても、例えば同世代の男性作家と比べて、重く扱われる率は圧倒的に低い。村上春樹氏はノーベル文学賞候補に何回なったことか。使われる言葉の密度や描く対象への愛においても村上氏に引けを取るどころか上を行っていると私は思う松浦理英子氏は、様々な国内の賞をとったあとも「清貧」な様子があとがきからうかがえたりもする。松浦氏の「セバスチャン」は恋愛文学の金字塔だと思っているが、コアなファン以外文章に上げられることも少ない。

話が飛んだ。アメリカ現代文学における女性作家の日本(のネット)での存在感だ。ミランダ・ジュライやジュンパ・ラヒリくらいは本を少し読む人なら名前を聞いたことはあるだろうし、一、二冊は読んでいるかもしれない。ジュライ氏は映像作家でもあるし、たくさん賞をとっているからこの比較の中では少し異質かもしれない。ジュンパ・ラヒリはインド系移民の作家で、これまたオー・ヘンリー賞やピューリッツァー賞をとっている。そうして錚々たる肩書を持っている彼女らだが、紹介されるときはかなりの割合で写真がついている。それもただの顔写真ではなく、その人の背景を含んだと思われる「作品的」な写真だ。これは女性作家を紹介するときに特に顕著と感じるのだけれど、その容姿やライフスタイルも商品の一部とされていると感じてしまう。男性作家を(インタビューではなく)作品をネットで紹介する際に、単なるプレーンな顔写真以外を添えることは少ない。最近は増えているように感じるが、それでもザクっといろいろ作家を紹介するときに本の表紙ではなく、作家の写真を見せるということは男性作家の場合は少ないのではないか。

ちなみにライフスタイルと作家といって真っ先に思い浮かぶのはマッチョの手本ヘミングウェイ。女性作家を紹介する際に彼女らの容姿やその暮らしぶりを垣間見えるよう情報操作するのは、「現代女性はこんなロールモデルを探している」というメッセージを出版側が作っているような気がして、少し戸惑ってしまう。それとも現代アメリカ文芸ファンは、女性作家にそんな役割を求めているんだろうか。

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