退屈でない仕事とは何か

「退屈なサッカーをしよう。人と同じプレイをしよう。サッカーに個性はいらない。ミスを恐れよう。THE SYSTEMにいれば安全だ」
 矛盾に満ちた価値観の組織が、世界のサッカーを退屈なものにしようと陰謀を展開する。しかし、ルイス・フィーゴやティエリ・アンリといったプレイヤーの介入を受け、組織は壊滅するーー

 これは自分が小学生の頃に見たナイキのCMの展開である。もちろん実在する組織を扱ったものでないのだが、スポーツショップ店員という職掌柄CMの内容を想起すると、組織が狙っていた「退屈なサッカー」の意味に関してどこか仕事に通じるものがあるように捉えられる。
 もし退屈な仕事を推進されたとして、それはどんな仕事か? そしてそれを「しない」ために、何をどうして働けば良いか?
 自分は仕事の現場をチェスになぞらえ、しばしばチェックを決めるためのより良い一手について考えてきた。だがスポーツショップに就職してからは、チェス盤ではメトニミーにしきれない部分をいくつか感じ取ったので、さらなるメトニミーの素材を模索していた。答えは灯台の下にあった。
 自分は仕事という名のスポーツに参戦しているのだ、と。
 そこで先述のCMを思い出し、仮に今の境遇が「THE SYSTEM」のような退屈極まりない境遇であるなら、それを退屈でないものにするにはどうするか、という論点が浮上する。
 今回は、自分にとっての「退屈な仕事と、その避け方」をナイキのCMになぞらえて綴ることとしたい。

その1:「人と同じ業務をする」
 まず、根本的に仕事を退屈にしかねない要因に触れる。
 1つの企業にはさまざまな長短、思想、性格を持った複数の人材がいる。全員がまったく同じような働き方をできるはずがない。
 では、上司が部下に与える業務を寸分違わない単純業務に統一したら? 瞬く間に部下の不安が蓄積されて、上司からしても良くない結果につながることは確実である。
 それは指示を出す上司からしても同じで、例えば指示の内容が同じものばかりであるなら、部署分けの意味は成されない。
 内容だけでなく質もまた然りである。誰かの猿真似のように業務をこなしているのなら、個々の成長につながることはない。それは各々の個性を否定しているようなものとも言える。

その2:「リストラを恐れる」
 企業にいる上で、最も恐れられるのはリストラされることに他ならない。それは確かなことである。
 しかし、業務上のミスを避けて通る方法は存在しない。勤怠の乱れ、心身の急変に対しても同様に確からしく、それは人間の生きる上での「限界」でさえある。
 どうしてもミスや遅刻を恐れて仕事する癖がついているのなら、逆説的に仕事の質にも理由があると考えられる。一度のミスで百人に影響が出る、という仕事は少なからずある。逆に言えば、そうでない仕事であるにも関わらず過剰に責任を押し付ける現場であったり、必要以上の正確さを求める「完全主義」の現場であったりするのなら、働く側としてもモチベーションが保てず心身を乱し、遅刻や欠席が増えるという負のスパイラルに陥り兼ねない。
 上司がリストラを恐れるあまり、部下に押し付けるように環境をシビアにするというケースも多い。いわゆる「昭和気質」の職場の大半はそうである。
 誰もがリストラの恐怖に対して過敏になっているようでは、間違っても環境改善に至ることはないのである。

その3:「安全なシステムと企業が思い込んでいる」
「社畜」というワードが散見されるようになって久しい。企業にペットどころか家畜の如く仕えている現代ビジネスマンを揶揄した表現である。
 企業にいれば、何かしらのリスクは存在する。それは人間関係のトラブルや不祥事、最悪の場合倒産の可能性さえある。それを可能な限り防ぐために、コンプライアンスが徹底されている。
 だが、コンプライアンスにも「抜け目」がいくつかあるように、企業システムも対策をいくらしようと決して安全ではない。
 コンプライアンスの抜け目というのは、例えば性的少数派や精神障害グレーゾーンの労働者に対して配慮が欠けていたり、あるいは徹底し過ぎていて逆差別問題に発展したりといった現代の社会問題の縮図のような事項を指す。
 その事実を棚上げして、企業運営サイドが「この企業にいれば安全」と思わせるような態度を取ることは、あってはならない。それがいつしか労働者の精神を歪め、仕事を退屈なものにしていく。先述の「社畜」ばかりが量産され、企業の成長がストップするのである。

どうやって「退屈な仕事」を避けるか?
 上述した3つのファクターが重なると、仕事は完全に「退屈な」ものになる。では、それを避けるためにすることは何か述べていこう。
 まず、仕事に「個性」を認めること。企業には長短、思想、性格のまったく異なる多くの人員が在籍する以上、それらに絶対的共通点を見出すことはできない。問われるのはむしろそれらの違いを理解しあえる、ダイバーシティのある環境を作れるかどうかである。
 次に、安全な企業としての説得力を持たせること。ブラック企業に喜んで勤務する人はまずいないだろう。就職を控える「未来の人材」が進んで仕事をしてくれる現場にするためには、応募者だけでなく企業の努力も欠かせないのである。
 最後に、アピールポイントを多めに持っておくこと。企業に応募する人、そして働く人には必ず彼らなりの理由がある。それらが魅力的であればあるほど、退屈な仕事とは縁遠い社風であることを世間にアピールできるのである。

 今回は、少しビジネス的な話になった。少なくとも今の自分はスポーツショップの仕事を楽しんでいるし、自社を誇る思いも強い。要するに「退屈な仕事をしていない」状態である。それだけ、スポーツショップ側が仕事を退屈なものにしないための工夫をしていると捉えることもできる。
 何か思うことがあれば、コメントや自分のXアカウントで気軽に発信していただきたい。

それでは、また機会があれば。

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