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螺旋階段を、まっすぐのぼるように

「まるで螺旋階段をまっすぐのぼるような強さで」

これは高校生のとき、親友 ーというのか、どんな呼び方もしっくりこないけれど不思議と強く惹かれあった友人ー が私のことを書いた詩で私のまっすぐさというと聞こえがいいが、それについて表現した言葉で、昔から螺旋階段が好きで、撮りためていたり、将来は家の中に小さな螺旋階段を作りたいと思っているくらいだったので、この例えは非常に気に入ったのだった。

ただ、今思えば強さというのか、ある意味では弱さというのか、私は何かときちんとできない人間で、ひっちゃかめっちゃかで方法論も突拍子もないものだったりして、螺旋階段の内側を回って早くたどり着こうとか、今周りを遠回りしているけど、これはあとこのくらいで行き着くから、とかそういう計画性や認識、分析が常に足りない(でも無駄に考えてる)まま、もう三十路に行き着いてしまった。きっとそれを彼女は当時すでに、よくわかっていたんだなと思う。

ヴァチカン市国のミュージアムの螺旋階段。

そんなわけで今私はイタリアにいて、退職日その日に日本を発ってもう10ヶ月が経った。いろんなことが起こりすぎて、たくさんの思いを書き留めたかったけれど、でもわざわざ海外にいるんだし人様に役立つことを・・・なんて思っていたらnote始めたのに更新できないまま、帰るはずだった日を迎えてしまった。

そう、今日私は帰国するはずだった。でも私が乗るはずだった飛行機は私を乗せずに飛び立った。

乗らなかった理由はいくつかあるけれど、イタリアに来て9ヶ月くらい経って初めて、「あ、イタリアにいるんだ」って思えてきたことが大きい。本当に変な話だけれど、もっと正しく言うと多分、”私が来たかったイタリア”に、今いるって思えてきたとでもいうか。

贅沢な響きのようだけれど、実際のところはそうではない。今までの人生の中で最も難しい10ヶ月だった気さえする。イタリア生活についてはまた別で改めて書きたいと思うが、底の見えない螺旋階段の中盤で、降りていたのか上っていたのかわからなくなるような気持ちに何度もなった。最後まで迷っていたニューヨークに行かずにイタリアにきたことを正当化する理由も散々探した。もちろんまだ、どちらが正解だったかなんてわからないけれど、今はイタリアの良いところがたくさん見えてきて、当初フィレンツェに来たときに、全然好きになれなかったことが嘘のように感じる。

でもだからといって予め買っていた復路のチケットを捨てるのはそれなりの勇気がいる。捨てる気もなかったし、再就職活動も進める気持ちで満々だったのだけれど、面白いことに、人生で特記すべき怪我をしたことがない私がバイクで転倒して、ろくに歩けない外傷を負い、飛行機に乗るのが難しくなってしまった。これが最終的に私の背中を押し、この人生の昼寝のようなイタリア生活の二度寝を許したのである。

そして見事に二度寝そのもののように、朝方に見る夢のようにほどよく現実感のある絶妙な浮遊感を得る日常が始まった。残りの1ヶ月半、少しずつでも今までの記録ができたらなと思っています。

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